文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
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「(済州島に行ったことのない)父は、済州島の地図を見ながら、原稿用紙に原稿を書いていました」

2018年02月27日 11時24分24秒 | 日記

以下は前章の続きである。

「この道を通って、ソウル・平壌間を往復して『謝罪旅行』を行なう事は、私の悲願であります」 

この頃、吉田氏は日本国内で自らの「戦争犯罪」を懺悔する講演を行っていた。

当然、講演料としての収入があったであろう。 

さて、氏は「謝罪旅行」には二つの目的があると、書いている。

①黄海道、平安南道、平安北道、咸鏡南道、咸鏡北道の五道(県)の韓国人に謝罪する為に一強制連行書罪碑一を平壌にも建立させてもらう、

②南北分断家族の手紙を平壌に配達したい、そのために、金正日夫人宛の手紙を、韓国政府高官の夫人から託してもらえればそれを届けたい。 

収入につながるであろう謝罪旅行をし、金正日夫人へのメッセンジャーになりたいというのである。 

吉田氏の子息は、父親は戦前戦中に済州島に行ったことはないとして次のように証言している。 

「(済州島に行ったことのない)父は、済州島の地図を見ながら、原稿用紙に原稿を書いていました」

この稿続く。


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