文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

だとしたら、朝日がメディアとして失格であるだけでなく、日本政府も国家主権を放棄していたということになる

2017年06月25日 08時17分40秒 | 日記

以下は前章の続きである。

恥ずべきコラム

長谷川 

そのとおりです。

当時、朝日新聞論説委員の北畠清泰氏は九二年一月二十三日付のコラム「窓」欄で、吉田清治氏のいわゆる吉田証言を取り上げましたが、それに対して読者から批判の投書が寄せられると、三月三日付の同欄で「知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない」と、吉田証言の内容に疑問を抱いた読者をバカ扱いし、叱りつけています。

ところが、この論説委員は吉田証言の裏付け取材は何もしていなかった。

私は恥ずべきコラムだと思います。 

その北畠氏とは短い間でしたが、『AERA』で一緒でした。

私が生々しく記憶している一つは、彼が「朝日新聞に左翼でない人間なんているのかなあー」と編集部の真ん中で大声で言ったこと。

これは笑いながらでしたが、もう一つ、モスクワ特派員だった木村明生氏のことを「ああいうとんでもないヤツがいるんだ。ひでえ野郎だよ、けしからん」と、これも同じ所で大声で罵倒したことです。

このときは本当に苦々しい表情でした。 

木村さんというのは、一九七二年に「反ソ的」だという理由でソ連から追放された元モスクワ支局長です。

本人は、同年四月十二日付の国際面に書いた「ソ連の各共和国の民族主義には根強いものがあり、バルト三国やウクライナでは民族語や伝統文化を守る運動が続いていて、ソ連からの独立を図る勢力もある」という記事が原因だろうと自著の『知られざる隣人たちの素顔―ユーラシア観察60年』の中で推測しています。

ソ連の実態を実証的にとらえた一つがその記事でした。 

実は、ソ連から追放された当時の朝日新聞社内の実情を木村氏本人から取材しようとしたのですが、断られました。

しかし、著書は利用してもいいというので、それによりますと、在日ソ連大使館から木村特派員を更迭してほしいと申し入れがあり、さもなければソ連側で措置するというので、木村が傷ついてはいけないと社内の人事異動として帰国させたそうです。

そうなら、朝日新聞社の人事権はソ連にあったことになる。

それに、ソ連からの追放が記者の傷になると考えるのは、ソ連という国を奉っていることにほかなりません。

これには日本の外務省高官も絡んでいた可能性がある。

だとしたら、朝日がメディアとして失格であるだけでなく、日本政府も国家主権を放棄していたということになるでしょう。 

この人事に朝日社内のそのころのソ連派急先鋒だった秦正流氏がかかわっていたかどうかは、微妙なところですが、はっきりしません。

当時の彼は常務取締役でしたが、編集部門とは関係ない総務・労務担当でしたから。 

その秦氏と対立していた親中国派で社長の広岡知男氏は、日本新聞協会が七〇年に開催した新聞大会研究座談会で北日本新聞社長が「取材も言論も自由でない中国に特派員を出す意味があるのか」と発言したことに対し、日本新聞協会発行の『新聞研究』一九七〇年十二月号にその時の反論を載せ、こう書いています。 

「私が記者に与えている方針は『うそは絶対に書くな。迎合の記事は書くな。しかし、こういうことを書けば国外追放になるということは、おのずから事柄でわかっている。そういう記事はあえて書く必要はない。(略)』こういうふうに言っている」 

しかし、「迎合の記事は書くな」と言いながら、「追放されるような記事を書く必要はない」というのは迎合そのものではないでしょうか。

この稿続く。


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