以下は前章の続きである。
事実の追求こそが仕事
小川
メディアというのは、何よりもファクトベースで報じることが重要です。
国民としても、主権者たる自分たちの権力を代行してくれている政府がきちんとした政治を行っているかどうか、監視するのは当然のこととしても、その結果としてどう判断するかは国民がすべきであって、メディアではない。
だからメディアの役割は、きちっと国民に事実を伝えているかどうか、この1点なんです。
ストレートニュースと論評を切り分けて、まず事実は事実として報じたうえで、「しかし私たちはこう思います」というのが当然の態度。
ところが、朝日新聞は事実関係を歪めてストレートニュースを報じ、ほとんど捏造に近いことまでやって報道をリードした。
だから怒りをもって、私も『徹底検証「森友・加計事件」―朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』を書いたのです。
本当はもっと考えなければならない問題が国内外に山積みで、はっきり言って朝日新聞とおままごとしている暇はない。
須田
朝日新聞が「反権力」とか「権力監視」を掲げているメディアだと言われますが、「権力べったり」と言われているであろう、産経新聞の阿比留さんとしてはどうですか。
阿比留
そんなこと言われてますかね(笑)。
「メディアは権力監視が仕事だ」という人は多いのですが、私はメディアの仕事は事実の追求だと思います。
事実を追うなかで、権力を監視することになったり、問題点を指摘することになるというまでのことで、「監視」や「批判」そのものが目的ではありません。
門田
ジャーナリズムの役割を「権力の監視」などという輩を、私は最も軽蔑しています。
なぜなら、そういう連中にかぎって、自分の主義・主張でしか、物事を見ていないからです。
たとえば、「では、朝日新聞は民主党政権時代に政権を監視していたのか」と訊きたい。
監視どころか、朝日新聞の記事と論説の双方を統括する主幹が外務大臣に就任するのではないかとまで言われたことがあるくらい、「権力べったり」だった。
「権力の監視が仕事」だというような記者やジャーナリストは、「自己陶酔型ジャーナリズム」だと思ったほうがいい。
「権力を監視して安倍を批判している」というだけで、自分に酔い、偉くなったような気になっている。
世の中には、多くの権力が存在します。
巨大な宗教団体をはじめ、権力そのもののような圧力団体が多数存在している。
あらゆる権力を監視し、闘っていくならわかりますが、まったくそんなものには尻尾を巻いて逃げているジャーナリストにかぎって、「権力の監視」を声高に叫ぶわけです。
彼らは、ただ「自己陶酔型シャッター症候群」にかかっているだけなのです。