文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

拿捕されたとき、母のお腹にいた娘はまだ見ぬ父の顔を一生懸命に目に焼き付けていた。傍らで老いた父がぽつり言った

2018年08月02日 16時56分17秒 | 日記

以下は前章の続きである。

70年安保前夜、本郷では安田講堂を占拠し、お茶の水では神田をカルチェラタンにとか学生が楽しんでいたとき、社会部デスクが「根室に行け」といってきた。 

日本中が平和でも根室の漁船員は毎日が戦時下にあった。

出漁すればソ連艦艇が待ち構え、銃撃もされた。

新造船と見ると執拗に追いかけてきて拿捕し、船はソ連国内で売り捌き、漁船員は最低4年間ラーゲリにぶち込まれて強制労働をさせられた。 

4年前に捕まった漁船員がやっと日本に帰ってくる。

「根室の船員の留守家族の話を取材してこい」ということだった。 

留守宅の一軒を訪ねると戻ってくる漁船員の妻と4歳の娘と老いた父がいた。

妻はアルバムを開き娘に「これがお父さんよ」と指さした。

拿捕されたとき、母のお腹にいた娘はまだ見ぬ父の顔を一生懸命に目に焼き付けていた。 

傍らで老いた父がぽつり言った。

「昔、オホーツクに行って息子と同じにソ連船に襲われた」「もうダメかと思ったとき、連中の船が反転して離れていった」「前方に艦影が見え、それがどんどん大きくなってくる。旭日旗を付けた駆逐艦だった。すれ違ったとき舷側に若い水兵さんがいた。思わず敬礼した。涙が出てきた」「国が守ってくれた。いい時代だった」

母子は帰還船のつく函館にいき、こちらは東京に戻った。

この稿続く。


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