以下は今朝の産経新聞13ページの連載記事からである。
慰安婦問題の原点「サハリン裁判」
“朝鮮人狩り”証言した吉田清治
軍の命令で朝鮮人女性を慰安婦とするために暴力で狩り出したーなどという吉田清治の虚偽の話が、それをうのみにした朝日新聞の記事によってバラまかれ、今や世界中に慰安婦像が立ち並ぶ事態になってしまった経緯は、いまさら繰り返す必要もないだろう。
吉田はもちろん、尻馬に乘って、さんざん日本の行為を非難した革新政党の政治家や、進歩的文化人とよばれた学者や、ジャーナリスト、弁護士たちの責任はあまりにも重い。
この結果、「従軍慰安婦」「朝鮮人強制連行」など、戦時には存在しなかった言葉が、日本の悪行のシンボルのごとく使われるようになり、ウソがウソを呼んだ。
その吉田がスポットライトを浴びることとなったのが昭和50(1975)年12月、東京地裁に起こされた「樺太残留者帰還請求訴訟」(サハリン裁判)である。
57年、法廷で朝鮮人の「強制連行」や「慰安婦狩り」を証言した吉田はメデイアに大きく取り上げられ、翌年には同様の話を綴った著書を出版。
韓国で「謝罪碑」なるものを建てサハリン残留韓国人の遺家族の前で土下座パフォーマンスを行う。
虚偽の話はどんどん拡散していった。
日本叩きに狂騒する日本人たちにとって吉田の証言は貴重だったろう。
何しろ“加害者側(日本人)”による具体的、詳細な告白だったのだから。
社会の注目を集めたサハリン裁判に昧を占めた彼らはそれ以降、「戦後補償」「戦後責任」という言葉を声高に掲げて日本政府を非難し、慰安婦問題をはじめとする補償請求訴訟などを次々に起こしてゆくことになる。
この稿続く。