以下は前章の続きである。
大学のころカントを読んだ。
読んで意味がまったく分からなかった。
だいたい哲学書というのは読解が難しい。
というか、総じて哲学者は文章が下手だ。
別けてもカントは下手さ加減が過ぎていた。
それでヘーゲルも苦悩し、悪い影響がマルクスにも及んでついには生まれてはならなかった共産主義が登場してしまった。
それをどう思うか、本人に聞きたいと思っていたら、カントの生地「カリーニングラードに行かないか」と宮崎正弘が誘ってきた。
モンゴル学の宮脇淳子、現代支那の研究家、福島香織らも同行するとか。
いい機会だから大学以来の恨み言をいうために同行した。
ただそこは遠かった。
モスクワまで10時間。さらに国内線に乗り換えて2時間、ロシアを越え、ベラルーシも越えたリトアニアとポーランドの狭間にその街はあった。
カントはここが海運都市として栄えていたころ、この街で生まれ、その生涯を過ごした。
難解な文章を書いて疲れると市内を流れるプレーゲル川を散策したという。
散策中、刃物を持った狂人に襲われたという話がある。
哲学者は猛る男に「今日は水曜日だ。の日は木曜日だ」と静かに言った。
男は立ち去ったという。
この話を確かめたかったが、先の戦争でここを取ったスターリンはドイツ人すべてを追い出し、代わりにロシア人を入植させたため、昔話を知る者はいなかった。
カントの墓に参って旅の目的は果たしたが、聞くところではドイツもずっとこの占領地の返還を要求してきたという。
今、ドイツは日本を見守っている。
もしロシアが北方四島を返したらドイツも本気で返還を騒ぎ出すつもりだ。
プーチンでも抑えられない大騒ぎになる。
ということはロシアは北方四島を返す気はさらさらないということになるか。