以下は前章の続きである。
見出し以外の文中強調は私。
節操なき小沢氏とのタッグ
中でも、落ちるところまで落ちたな、本当に残念だなと感じるのが、過去の栄光との落差が大きい小泉純一郎氏の現在である。
今や任期でも実績でも自分をはるかに超える大宰相となりつつあるかつての部下、安倍首相に嫉妬し、その足を引っ張ろうとする姿は見ていてつらい。
小泉氏は7月15日にはなんと、自由党の小沢一郎代表が塾長を務める政治塾が東京都内で開いた夏季集中講義で講演した。
講演では、小沢氏と共通の主張である「原発ゼロ」の実現に向けた持論を展開し、反安倍政権の姿勢でタッグを組む姿を示した。
小泉氏は、政治塾の塾生を前にこう強調した。
「今はもう、(小沢氏に)わだかまりは全くない。だから私、来たんですよ。政界で敵味方はしょっちゅう入れ替わりますから…」
とはいえ「宿敵」だった二人が足並みをそろえる姿は平成元年、自民党幹事長に就任した小沢氏が小泉氏を全国組織委員長に指名したとき以来、実に約30年ぶりのことだった。
もともと接点も少なく、ソリも合わない。
現役議員時代の小泉氏は、小沢氏が中心にいた自民党田中派の流れをくむ「経世会」を目の敵にしてきた。
経世会支配に対抗しようと、三年に結成したのが山崎拓元副総裁、加藤紘一元幹事長との「YKK」だった。
小沢氏はかつて田中角栄元首相や金丸信元自民党副総裁に目をかけられ、「なろうと思えばいつでも首相になれる」と言われる実力者だった。
民主党・鳩山政権時代も、鳩山氏を差し置いて最高権力者と呼ばれた。 しかし結局、「首相の地位は、自ら時期を選んで就けるものではない」(首相経験者)のである。
小沢氏は今では、こぢんまりとした少数政党のリーダーにまで「没落」し、かつてのこわもて、豪腕政治家の面影はない。
政界でもほとんど存在感はない。
SNS(会員制交流サイト)での安倍政権批判が、インターネット上で時折、小さな話題になる程度である。
いくら小泉氏が二十三年三月の東京電力福島第一原子力発電所の事故後、首相時代の主張を転換し脱原発を訴えており、その点では小沢氏と主張が一致するとはいえ、節操がなさすぎる。
小泉氏は原発再稼働の是非などが争点となった今年6月の新潟県 知事選でも、野党6党派の推薦候補にエールを送ったが、野党候補。は敗戦している。
自身も自民党総裁を務めておきながら、安倍政権と党に嫌がらせをして負けた小泉氏の株が、大きく下がったのは言うまでもない。 「そんなに原発に反対だというのなら、自分の首相時代に言うべき だろう」
政府高官がこう批判する通りである。
講演後、小泉氏と並んで記者団の取材に応じた小沢氏は笑顔で「首相経験者が『原発ゼロ』を国民に対して話しているっちゅうことはね、それだけでも大変心強い」と期待感をみせた。
東京都知事選でも反原発を唱えた細川護熈元首相を支援し、ここでも敗れている。
十七年八月の郵政解散・総選挙の際に発揮した自身の神通力が忘れられないのかもしれないが、もう過去の人ということだろう。
この稿続く。