臼井 壮太朗さん 遠洋漁業会社専務
71年生まれ。遠洋漁業会社「臼福本店」専務。漁業団体の海外駐在員など歴任。気仙沼JC理事長時代に学校給食完全地産地消に取り組む。
港、漁船、ホテル、飲食街、造船所。水産に関わるものが気仙沼には全てあったんです。それが全て震災で無くなってしまった。まちづくりに水産業は欠かせません。気仙沼市は10月7日に復興計画を策定し、本格的に復旧、復興へと動き始めていますが、計画づくりに地元の漁業、水産関係者が一人も関わらなかったことが気になります。
まちづくりには、町の歴史を考えなくてはいけないと思うんです。気仙沼にはリアス式海岸という自然の港があって、地元の人たちが魚介、海藻類を取って市場に持ってくる。するとそれを加工する人たちや関連する商いが生まれた。
私は、遠洋マクロはえ縄漁船7隻で漁業をやっていますが、気仙沼は、カキやワカメなどの養殖漁業、定置網などの沿岸漁業、刺し網などの近海漁業もあり、三陸沖の漁場を目指して全国の港からやってきた漁船が、カツオやサンマを取って水揚げします。
市の魚市場は再開しました。しかし周囲の水産加工場などは流失し、あるいは壊れ、地盤沈下で満潮時などは水没します。これまでに来てくれた漁船を受け入れるだけの態勢がまだ整っていません。
岸壁は穴が開いたままで、船を安全に着ける場所がない。カツオ船はえさが必要です。船員の食料もいります。エンジン、冷凍庫など船を整備する人も。一つでも欠けたら船は入ってて来られません。
市の復興計画には防潮堤の整備や高台移転が盛り込まれていますが、私の考えは違うんですよ。私は仕事上、世界の港町を見ていますが、防潮堤に囲まれ、海と決別しているような水産都市というのは見たことがありません。
海外の港町は、朝と昼、夜のそれぞれの顔がある。朝は漁業関係者であふれ活気がある。食事をするところやコーヒーを飲むスペースもある。昼は、観光客がやってきて海を見ながらランチを楽しむ。夜は、若者たちが食事し、お酒を飲んでわいわい過ごす。そういうまちづくりをしたいですね。
海辺でないと私は仕事はできないし、したくない。沖にいる乗組員の家族を守っているこちらの身としても。今まで会社があった岸壁のそばに、津波で1、2階がぶち抜かれてもいいように地震にも強い建物を建てたいんです。大事なものは上に置いて、近所の人たちも逃げてこられるように、食料も確保できるように会社を再建したいと思っています。
まちは、元に戻すだけに終わらせたくないですね。漁業をやりたい、水産業を勉強したいと若者がやってくるまちを目指したい。水産大学や造船大学などの研究機関があり、観光とも融和した明るい未来が見えるまちです。 (聞き手・掛園勝二郎)
71年生まれ。遠洋漁業会社「臼福本店」専務。漁業団体の海外駐在員など歴任。気仙沼JC理事長時代に学校給食完全地産地消に取り組む。
港、漁船、ホテル、飲食街、造船所。水産に関わるものが気仙沼には全てあったんです。それが全て震災で無くなってしまった。まちづくりに水産業は欠かせません。気仙沼市は10月7日に復興計画を策定し、本格的に復旧、復興へと動き始めていますが、計画づくりに地元の漁業、水産関係者が一人も関わらなかったことが気になります。
まちづくりには、町の歴史を考えなくてはいけないと思うんです。気仙沼にはリアス式海岸という自然の港があって、地元の人たちが魚介、海藻類を取って市場に持ってくる。するとそれを加工する人たちや関連する商いが生まれた。
私は、遠洋マクロはえ縄漁船7隻で漁業をやっていますが、気仙沼は、カキやワカメなどの養殖漁業、定置網などの沿岸漁業、刺し網などの近海漁業もあり、三陸沖の漁場を目指して全国の港からやってきた漁船が、カツオやサンマを取って水揚げします。
市の魚市場は再開しました。しかし周囲の水産加工場などは流失し、あるいは壊れ、地盤沈下で満潮時などは水没します。これまでに来てくれた漁船を受け入れるだけの態勢がまだ整っていません。
岸壁は穴が開いたままで、船を安全に着ける場所がない。カツオ船はえさが必要です。船員の食料もいります。エンジン、冷凍庫など船を整備する人も。一つでも欠けたら船は入ってて来られません。
市の復興計画には防潮堤の整備や高台移転が盛り込まれていますが、私の考えは違うんですよ。私は仕事上、世界の港町を見ていますが、防潮堤に囲まれ、海と決別しているような水産都市というのは見たことがありません。
海外の港町は、朝と昼、夜のそれぞれの顔がある。朝は漁業関係者であふれ活気がある。食事をするところやコーヒーを飲むスペースもある。昼は、観光客がやってきて海を見ながらランチを楽しむ。夜は、若者たちが食事し、お酒を飲んでわいわい過ごす。そういうまちづくりをしたいですね。
海辺でないと私は仕事はできないし、したくない。沖にいる乗組員の家族を守っているこちらの身としても。今まで会社があった岸壁のそばに、津波で1、2階がぶち抜かれてもいいように地震にも強い建物を建てたいんです。大事なものは上に置いて、近所の人たちも逃げてこられるように、食料も確保できるように会社を再建したいと思っています。
まちは、元に戻すだけに終わらせたくないですね。漁業をやりたい、水産業を勉強したいと若者がやってくるまちを目指したい。水産大学や造船大学などの研究機関があり、観光とも融和した明るい未来が見えるまちです。 (聞き手・掛園勝二郎)