以下の箇所は、今は、特に新潟県人は括目して読まなければならないのである。
以下は前章の続きである。
ブロック化へ向かう世界
ここで軍事大国と同質量の軍事力を持てといっているのでもない。
相手が侵略的行為に出てきた場合に小さくない深傷を負わせるだけのチカラを持っていれば十分なのである。
ただしそのチカラには、当方の国民の総意における戦闘意欲のことも含まれる。
自衛隊の存在を公認しないような国民のために、その隊員たちがチカラを存分に発揮するわけも、できるわけもないのである。
また自尊自立を軽んじる国民のために外交官が国家を背負って外国と論戦を繰り広げるはずもない。
今の日本人は「戦争の“ない”状態」にすぎないものとしての「平和」を維持するにはどうすればよいかについて、少しもまじめに考えていない。
「必要な戦力の維持」と「必要な交戦への準備」が憲法九条第二項で禁じられている、とくに自衛隊の海外派兵や外敵との交戦は憲法違反だ、というのは法を盾にした言い逃れであり、悪しき立憲主義である。
いわゆる左翼によって立憲主義という古くさい標語が歴史の物置き小屋から取り出されて国家の表玄関ににわかにぶら下げられているが、「悪しき憲法を立前とする立憲」など噴飯物の最たるものだ。
悪法は死文とみなして、つまり間違った法に自分のオツムのチャンネルを合わせることなく、おのれら自身で考え抜いた憲法解釈なり憲法改正なりを行ってみせてこその良き立憲主義というものではないのか。
この稿続く。