以下は前章の続きである。
韓国を依怙贔屓する朝日新聞の魂胆は卑しい
朝鮮半島に文化の痕跡がないことを『天声人語』に教えてやろう
朝鮮人陶工が窯を閉じた真相
少し前、朝日新聞1面コラム『天声人語』を読んで目が点になった。 ここにはよく嘘が並ぶ。
それも日本を貶める嘘で「昔、日本は魚の缶詰に石ころを詰めて輸出した」もその一つだ。
日本人がそんな支那人みたいなことをしたのかとみんなが首を傾げたが、これはアナーキスト大杉栄が捏ねた嘘をそのまま転載しただけだった。
ウソがばれてもお詫びも訂正も出さなかった。
今度の『天声人語』の嘘も悪質だ。
話は朝鮮人陶工の李参平で書き出される。
あっちでは陶工など下賤な生業の者の名が歴史に残ることは絶対にない。
日本だから「1616年、有田で磁器に合う石鉱を見つけた」人物としてその名が残った。
かくて有田焼が賑わうが、そのために有田の土を求める者たちで周辺の山々が荒らされていった。
この辺のところは学の浅い『天声人語』は書いていないが、鍋島藩は環境保護と有田焼の品質管理を兼ねて陶工の数を半分に減らした。
記録では1千700人ほどいた陶工を900人に減らしたが、興味深いのは「男の陶工532人、女の陶工294人が廃業させられた」とある。
あの時代から日本女性は手に職を得て男とほぼ対等に働いていた。
20世紀、日本が朝鮮にいったときまであっちの女に名前はなかった。
まして女が陶工として働ける環境もなかった。
李参平はどんなふうに男と対等に働く日本人女性を見ていただろうか。
おまけにこのとき「朝鮮人陶工は優先して残した」とある。
こっちに連れてきてクビというのは酷と思ったのだろう。
鍋島の殿様はそこまで思いやった。
しかし李参平の窯は6代目で閉じる。
そのわけはいまに残る有田焼を見れば分かる。
精緻で、彩色も見事の一語に尽きる。
対して朝鮮の焼き物は左右対称といった基本もなっていない、歪んだりひしゃげたり。
それが侘び寂びに通じると茶人がありがたがった。
そういったケンチャナヨ(いい加減な)朝鮮風磁器は有田では通用しなかったということだ。
この稿続く。