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帰納的推論の論証構造の誤りとして位置づけられる【悪魔の証明proving non-existence】を、

2018年04月24日 11時00分59秒 | 日記

以下は前章の続きである。

2・帰納的推論に対する論理チェック 

帰納的推論とは、正しい論証構造の下で、経験的な原理に従って、前提となる情報から結論となる概念を概略的に導くものです。

2・1 論証構造 

帰納的推論は、客観的情報を前提として結論を導く論証構造が要件となりますが、今回の野党の追及では、この最低限の要件が確保されていない言説が散見されます。 

2018316日の参議院予算委員会において、民進党・杉尾秀哉議員は、次のような主張でヒステリックに麻生大臣を断罪しました。 

「麻生大臣は『理財局の一部の職員によって行われた』と断言し、佐川長官に責任を押し付けている。マスコミ的に言うとトカゲのしっぽ切りだ」 

調査の途中経過を基に「いまの段階で理財局の一部の職員が書き換えに関与したことは明確だ」と説明する麻生大臣に対して、杉尾議員は客観的情報なしに「麻生大臣は佐川長官に責任を押し付けている。トカゲのしっぽ切りだ」と断言しました。 

これは、個人的確信を根拠として推論する【個人的確信に訴える論証personal assurance】と呼ばれる誤謬です。

事実がどうであれ、このような証拠のない決めつけが冤罪を生む素因となります。

2・2 原理 

帰納的推論は経験的な原理に基づいて結論を導きますが、今回の野党の追及では、その原理を濫用する追及が散見されます(2018315日記事)。 

〈毎日新聞「来週にも証人喚問 やむなく『佐川カード』」 ……野党は「官僚の判断だけで改ざんを指示することはありえない」と強く反発している〉 

人間の行動に絶対はないので、この「ありえない」とする原理は、実質的には「多分ない」という言葉で置き換えられる帰納原理に他なりません。

そして実際には、この帰納原理は「多分ない」というよりも「可能性としては小さい」という程度の推量に他ならないと言えます。 

「可能性として小さい」という推量は、仮説設定に用いる分には合理性が高いと言えますが、事実確定に用いることはできません。

事実を確定するには何らかの客観的な証拠が必要であり、その証拠を得ることが「追及」に他なりません。 

このような状況のなかで、一部野党議員は、この「ありえない」という原理を何度も行政側につきつけて認めさせることを「追及」と勘違いしているフシがあります。 

帰納的推論の論証構造の誤りとして位置づけられる【悪魔の証明proving non-existence】を、これまで政府に繰り返し求めてきたのもこの勘違いのためと考えられます。 

ちなみに、官房長官会見において、証拠を提示することなくヒステリックに同じ質問を何度も繰り返し、そのことを「追及」であると思っている新聞記者がいますが、同様の勘違いを犯しているものと推察されます。 

この他に、山井和則議員がよく口にする「~するに決まっている」、報道ステーションの後藤謙次氏がよく口にする「~といわれても仕方がない」、サンデーモーニングの岸井成格氏がよく口にする「~と言わざるを得ない」、NEWS23の星浩氏がよく口にする「~という感じがする」を含む多くの言説は、いずれも【偶然と万然の誤謬secundum quida dictosimplification】や【単純化の誤謬false simplification】によって導かれた不当な帰納原理と言えます。 

検証されていない帰納原理は、当然のことながら事実の認定には何の効力もありません。

この稿続く。


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