以下は2016/10/10に発信した章である。
以下は黄さんの論文の続きである。
日本の多くの人が全く知らなかった史実の数々、勿論、世界の人たちは全く知らなかった史実の数々であり、中国の伝統である。
人民共和国になって論争にもなった唐「黄巣の乱」は、殺された民衆が八百万人とされる。
長安城外に巨大な舂磨砦が造られ、捕獲民衆を日に千人この巨大な臼に入れ、骨ごとの人肉ミンチを生産し、乾尸(干し肉)や塩尸(塩漬け肉)まで作って兵糧にした。
これは、正史『唐書』『新唐書』や『資治通鑑』だけでなく、アラビア商人の「印度・支那物語」にも出てくる話である。
黄巣の乱では、広州でも大虐殺があり、イスラム商人も虐殺され尽くした。
近代でも、太平天国の虐殺はよく語られる。
天理教(白蓮教徒)の乱では、広東で約百人が虐殺された。
孫文が広州で軍政府をつくった際には、北方から「客軍」(外省犬部隊)が乱入し、ジリ貧になった孫文は広州大虐殺を行った。
支那虐殺史の中では、四川の蜀人は南方の越人よりもっと哀れだ。
秦に征服され、三国時代には蜀漢として中原の魏、南方の呉と鼎立し、『三国志演義』の舞台にもなった。
蜀は中原の地から遠く離れた奥地であるが、「天下大乱の前にはまず蜀が先に乱れ、天下が鎮まった後でも蜀はまだ鎮まらない」と言われ、蜀人は三国時代に蜀漢から何度も大虐殺に遭い、人口がそっくり入れ替わることさえあった。
明末の張献忠の大虐殺(屠蜀)では、女性だけでも四百万人が殺された。
辛亥革命で中華民国となっても五代十国時代より激しい殺し合いに突入し、十数年問に蜀人の内戦が五百回以上も起きた。
知名な文学者・林語堂は、国民党の7年間の内戦だけで三千万人が死んだとし、そんな中国人を「敗類」(クズども)と呼ぶ。
異族異教徒大虐殺の国風
支那人の大同思想は、共生共存を絶対に許さない。
日本でよく「革命の哲学」と称賛される陽明学は、実に異民族虐殺を正当化する天誅学である。
開祖・王陽明が軍人として国内の非漢族を大虐殺したことは有名で、「天に代わり天誅した」と誇らしげに正当化した。
もちろん朱子学の排他性も陽明学に引けをとらない。
この稿続く。