文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

国内の規範・法のみならず、国際的なルールにも進んで従うことができず、自己中心的な価値観で無謀な行動をとりやすい。

2018年10月08日 09時20分13秒 | 日記

国際刑事警察機構(INTERPOL)の中国人総裁が中国に帰国後消息不明になっているニュースが世界中を駆け巡っているのだが、何故、中国はこんなことをする国なのかということを、先日、ご購読を薦めた古田博司教授の以下の歴史的な名著は、完璧に明らかにしている。

p142から

前文略

見出し以外の文中強調は私。

信頼関係の生まれない国 

ここにもう一つの要素が加わる。

ユーラシア大陸の極西から極東に及ぶ、圈(zone)の問題だ。

具体的には、ロシア・中国・北朝鮮・韓国がこれに含まれる。 

これらの地域は歴史上、独立採算制の地域分業、すなわち封建制を経験したことがない。

分業がうまくできない地域なのである。

もちろんインドは、カーストという分業をしているからこれらの圈には含まれないし、日本も神道の神様まで分業しているくらいの分業得意国である。

では、分業がうまくできない国とは、どのような国なのだろうか。

分業は仕事を分割して人にまかせるということだから、できないことには信頼関係が生まれない。

信頼関係が生まれないから、約束関係も契約関係もダメだ、ということになる。 

結果として社会的な信頼関係や契約関係が育つことがなく、凝集力を欠いた社会の上に専制集団が派閥をもって君臨し、その不断の闘争による政権交替のみが腐敗緩和の浄化装置となっているというのが、この地域の特徴ということになるだろう。

これを「東洋的専制主義」と称することは先に述べた。

さらに私はこの地域を東洋的専制圈(A Zone of The Oriental Despotism)と呼んでいる。 

民衆は「長いものには巻かれろ」式に専制集団や独裁者に従い、経済・政治の責任ある主体であることを自ら好んで回避する。

統治形態としては王朝国家、征服王朝、独裁国家、強権政体を歴史上繰り返してきた。 

社会的に信頼性や契約性が育たないため、国内の規範・法のみならず、国際的なルールにも進んで従うことができず、自己中心的な価値観で無謀な行動をとりやすい。

自己中心的な価値観は他の価値観や社会の多様な言論の存在を許さないが、その不寛容性が却って、彼らの社会的凝集力となってしまっている。

そのような圈である。 

もちろん圈としてでなければ、その諸特徴をもつ組織は他の国にも生まれる可能性がある。

日本で言えば、戦時中の軍部や戦後のマスコミの一部など。

学歴エリートの専制的幹部と、信賞必罰なしにラインを上昇するヒラメ体質の部下たち、自己保存と出世欲だけの社員が集まれば東洋的専制体制に限りなく近くなる。

なぜそうなるのか、私は海の向こうの東洋的専制圈との共鳴、あるいはそこから伝統的な知識を借りるという、アジア主義の深い影響を挙げたくなる。

中華思想や華夷秩序の書物にある知的吸収がその核になっているのだろうか。

この稿続く。


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