以下は前章の続きである。
トランプで良かった
意味があるとすれば、誤った歴史認識に引きずられることなく、冷徹に自国の利益を何よりも優先した決断をしなければ将来に大きな禍根を残す、という教訓を歴史からくみ取ることしかない。
まもなく迎える新しい時代は、明治から大正、大正から昭和、昭和から平成に御代替わりしたときのように、予測不能の時代に突入することだろう。
そんな激変期に、われわれはどうすればいいのか。
トランプ氏が米大統領選を勝った3年前の秋、私は「トランプでいいじゃないか」という記事を書いた。
その思いは、「トランプで良かったじゃないか」との確信に変わった。
主要閣僚を次々とクビにし、日々わき上がる激情を次々とツイートし、同盟国との信義よりもカネ勘定を優先する大統領は、これまでにいなかった。
だからこそ、われわれは米国のむき出しの本音を知ることができる。日本は米中の狭間でうまく立ち回れる、と今でも思っている御仁は、よほどのお人よしである。
トランプ氏は、いずれ「俺をとるのか、習近平をとるのか」と安倍晋三首相に迫るはずだ。そのとき、どっちつかずの返答ができないのは、首相自らがよく知っている。
日米安保さえあれば大丈夫だ、という思考停止の時代はまもなく終わりを告げる。
この国自らが厳しい選択をその都度迫られる新しき時代こそ、日本人は戦後の呪縛から解き放たれる、と信じたい。