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まさにアメリカをはじめとする西側が、ソ連に対して朝日新聞の主張とは正反対の措置をとったことにより成功したのである

2018年03月01日 16時29分09秒 | 日記

以下は前章の続きである。

歴史的な核軍縮 

では、現実の世界では核兵器の削減や廃棄はどのようにして、どんな条件下で起きるのか。

私は自分自身がその詳しい取材や報道にあたった米ソ両国間の中距離核戦力(INF)全廃条約の成功について、ここで提起したい。

この核兵器廃棄の合意は、まさにアメリカをはじめとする西側が、ソ連に対して朝日新聞の主張とは正反対の措置をとったことにより成功したのである。 

約30年前の1987年12月、当時のアメリカのレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ共産党書記長は、ワシントンでこの全廃条約に調印した。 

その結果、米ソ両国がその時点で保有していた射程500キロから5500キロまでの地上発射の中距離核ミサイル合計2692基が、すべて文字どおり廃棄されたのだった。

廃棄の基数はソ連側が1864、米側が846だった。

この合意は地上配備の中距離核ミサイルという核兵器の一つのカテゴリー全体がなくなるという意味で、最大規模の歴史的な核軍縮だった。 

そんな画期的な核廃棄が、なぜ実現したのか。 

東西冷戦の激化する1977年ごろから、ソ連はSS20と呼ばれる新型の中距離核ミサイルの配備を始めた。

射程5000キロ、移動が可能、1基から3個の核弾頭を発射できて、命中精度も高く、米欧側には重大な脅威となった。

米欧側には当時、同種の中距離核ミサイルがなく、SS20の出現で米ソ間の核抑止の均衡が大きく崩れることになった。 

ソ連はSS20を自国内の欧州地城を中心に300基、400基と、急ピッチで配備していった。

米欧側はパニックに襲われた。

当時のアメリカのカーター大統領や、西ドイツのシュミット首相が対抗策として「二重決定」を決めた。

ソ連側にあくまでSS20の撤去を求め、それが実現しなければ、米欧側も1983年から中距離核ミサイルを西欧5ヵ国内に配備して、均衡を保つという案だった。

この稿続く。


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