以下は前章の続きである。
朝鮮朱子学の文化破壊
現代のキリスト教までご利益神になっている韓国だが、一方では無類の思想好きであった。
韓国人の本質を理解するには、まずは朝鮮が儒教国であるということを認識する必要がある。
その際に注意すべきは、朝鮮は孔子派の儒教国でもなければ、孟子派の儒教国でもない。
徹頭徹尾、朱子派の儒教国であるということだ。
儒教にも他の宗教同様、様々な宗派がある。
朝鮮を孔子派の儒教国と思っていると、アイルランドをプロテスタントの国と思うほどの間違いを犯すことになる。
朱子学は南宋の朱子が作った儒教で、本来は排他性が強い。
当時、北方民族が攻めてきているし、朱子の住む中国南方では民衆は道教を拝み、仏教で葬式をしていた。
それらはみな異端、儒教こそ正道だ、というのが朱子学の主張である。
朱子学が江戸時代に普及し、儒者の伊藤仁斎などはこれを消化しようと29歳で引きこもりになり、8年経って世に出て塾を開いた。
弟子が「先生、『仁』とは何ですか?」と問うと、「誠実で律儀に人に接することじゃ」と答えた。
「『恕』とは?」と尋ねると、「思いやりじゃ、やさしくしてあげればいいのじゃ」と語った。
朱子学で一番重要な「天理」については、「お天道様じゃ」と返した。
日本では正統とか異端とか区別しない。
神道と仏教は見事に習合し、いまではキリスト教式で結婚式をあげたりする。
江戸の儒者たちも寛容だった。
一方で、朝鮮では高麗王朝の衰亡を招いた仏教を果敢に棄て、15世紀から中華の「礼」を核とする朱子派の儒教を全幅に受容し、その実践を始めた。
その過程は今日、韓国人が儒教を自然に広まった美風と解するような甘いものではなく、人為強制的で直接身体に暴力の及ぶ思想教化であり、排他的な社会改造であった。
ある日、突然、捕縛吏がやって来て、親の3年の喪に服していないといっては彼を棍棒で打ちすえる。
良い墓地を探そうと骨を安置しておけば、不葬者として一族絶島送りになる。
良婦二夫にまみえずという節婦道徳を強制され、前朝の風習どおりに夫の喪をといて再嫁していた女性たちは捕えられ、拷問された。
寡婦の再婚はこの後、1894年に改革が断行されるまでかなわなかったのである。
商人などは身を濁世に処し利をもとめる俗人であるとされ、ことあるごとに弾圧された。
商店などは王朝御用達の特権商人以外は禁止され、20世紀初頭まではこの禁が解かれなかった。
そして仏教を徹底的に否定したため、従来の葬儀や招魂を司っていたシャーマンや僧侶は弾圧されてソウルから放逐、山野を彷徨するなど、上木工事の人夫になる者以外は盗賊として処罰された。
19世紀末に至るまで、朝鮮では僧侶は賎民扱いでソウルに入ることも許されなかった。
この稿続く。