以下は前章の続きである。
史朗さん、聞いとくれよ
これまでに番組に参加してくださった1万2000人のうち、半分近いご長寿の方が兵士として日中戦争に参加されています。
南京戦にも沢山の方が携わっておられます。
収録の前後に私たちはいろいろな話をしますが、そのなかで「南京戦のことについて、どうしてもいいたいことがある」といってくるご長寿の方はかなりいらっしゃいます。
一様に仰有るのは「俺たちはずいぶん歓迎されたよ」ということです。
私が南京で感じたことや見聞きした話と何ら齟齬はありません。
ご長寿の方のなかには、「兵隊さん頭刈ってあげるあるよ」と中国人から声を掛けられて路上で散髪してもらったとか、「いい判子を彫ってあげるよ」と声を掛けられてその判子は今でも大切に持っている―と話してくださった方もいます。
多くの方が仰有るのが、「中国の人々は全然われわれを怖がらなかった。女性も子供もそうだった」という話です。
「史朗さん、南京虐殺はないよ。だって、行ったときに兵隊はほとんどもうやっつけちゃったからいないし、市民たちは安全区に入っていたもんで日本兵が来たと言ったら『じゃあ大丈夫だ』といって戻ってくる南京の市民たちによく会ったよ」
こうはっきり仰有ったご長寿の方もおられます。
別の方からは「衛生兵として南京に入城し、逃げそこなった中国の若い負傷兵の怪我を手当して、近郊の実家に軍のトラックで送り届けたところ、大変感謝された。家宝の掛け軸をいただいて『是非戦争が終わったら来てほしい。歓待したい』と言われ、南京に行きたいのであります」と打ち明けられました。
慰安婦についてもご長寿の皆さんから随分、いろんなお話をうかがいました。こんな話です。
「鈴木さん、聞いとくれよ、あいつらは恵まれていたんだ!俺たちの間じゃ、“俺もなりたや慰安所の女、3食ごちそう昼寝付き 金はたっぷり家が建つ”つて言われていたんだ。枕元にずだ袋があってさ、金と軍票がぎっちり詰まっているし、また威張ってんだよ。若い兵士は慰安婦を見ただけで終わっちゃうし、“ほら、洗って! 洗ったあとは“ほら乗って!もうまるで上官に敬礼みたいに“失礼いたします”“お願いいたします”“はい。終わり” あっという間ですよ」
このようにユーモラスに明るくご長寿の皆さんは話されていますが、きっと心のどこかに「慰安婦=性奴隷」などという主張に「それは違うよ!」と思ってらっしやるように思えてなりません。
「南京大虐殺」もそうでしょう。
私自身が南京で直接吸った空気や見聞きした話と元兵士の皆さんの話には矛盾がありません。
日本国内では「南京大虐殺」などなかった、という認識は相当知られるようになりましたし、かつて盛んに言われた、30万人虐殺などといった話は史実としても理屈としてもあり得ないという認識が浸透しました。
ですが、今なおユネスコの世界の記憶に南京大虐殺をめぐる資料に登録された、といったニュースが伝えられるなど、当時現地にい
らした元兵士の皆さんにとってはきっと心穏やかではないはずです。 ご長寿クイズは20年を超えました。
今でも年に1回続いています。
私も80歳になり、今出演されるご長寿の皆さんは、私と同年代、従軍経験のない方々が増えています。
元兵士の方がお出になることは減りました。
少し寂しい気も致しますが、私は今までどおり、真面目に皆さまに楽しんでいただくという気持ちでやっていきたい。
そしてご長寿の方々が私に「史朗さん、聞いとくれよ」と言いながら語ってくれた慰安婦の汚名、南京の汚名をそそぎたい。
そう思っています。