文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
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日本漂着、家康の引見 …ウィキペディアから。

2012年08月28日 10時55分47秒 | 日記
日本漂着、家康の引見

1600年4月29日(慶長5年3月16日)、リーフデ号は豊後の臼杵に漂着した。

自力では上陸できなかった乗組員は、臼杵城主太田一吉の出した小舟でようやく日本の土を踏んだ。

太田は長崎奉行の寺沢広高に通報。寺沢はアダムスらを拘束し、船内に積まれていた大砲や火縄銃、弾薬といった武器を没収したのち、大坂城の豊臣秀頼に指示を仰いだ。

この間にイエズス会の宣教師達が訪れ、オランダ人やイギリス人を即刻処刑するように要求している。

結局、五大老首座の徳川家康が指示し、重体で身動きの取れない船長ヤコブ・クワッケルナックに代わり、アダムスとヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタイン、メルキオール・ファン・サントフォールトらを大坂に護送させ、併せて船も回航させた。

5月12日(慶長5年3月30日)、家康は初めて彼らを引見する。

イエズス会士の注進でリーフデ号を海賊船だと思い込んでいた家康だが、路程や航海の目的、オランダやイギリスなど新教国とポルトガル・スペインら旧教国との紛争を臆せず説明するアダムスとヤン=ヨーステンを気に入って誤解を解いた。

しばらく乗組員達を投獄したものの、執拗に処刑を要求する宣教師らを黙殺した家康は、幾度かにわたって引見を繰り返したのちに釈放し、城地である江戸に招く。
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