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習近平政権下でその軍事戦略になにか大きな変化が起きているのでしょうか。 

2018年08月04日 11時57分25秒 | 日記

以下は前章の続きである。

さて、本題の中国の軍事的な戦略や政策というテーマに入ります。中国がここ20数年、国防費を飛躍的に増大し、軍事力の増強を進めてきたことは周知の事実ですが、習近平政権下でその軍事戦略になにか大きな変化が起きているのでしょうか。 

「その質問に対しては、まず習近平氏が歴代の中国の最高指導者のなかでも人民解放軍との特別のきずなを持つ特別な政治指導者だということを説明させてください。習氏は共産党内で若いときから軍部とのとくに親しい関係を保ってきたのです。だから最高指導者となったいまも、軍に対してはとくに強い思い入れやきずながあります。この点は江沢民、胡錦濤といった前任者とはまったく異なります」-軍部とのその特別のきずなの契機はなんだったのですか。

 「習近平氏の父は周知のように中国共産党八大元老の一人、習仲勲氏です。しかし、文化大革命では習仲勲氏は紅衛兵に自宅を襲われ、拘束され、近平氏の妹は殺されました。近平氏は他の青年たちと同様に下放され、陜西省で共産党の生産大隊リーダーとして一生懸命に働きました。この体験から習近平氏は共産党の規律や社会のコントロールを固く信じ、社会の不安定や無秩序への強い嫌悪を抱くようになったといえます」

―文化大革命後の習近平氏は? 

「彼は清華大学に入学し、卒業しました。そして、卒業後すぐの軍部への最初の接触は1979年に耿颶氏の秘書になった時から本格的に始まりました。耿颱氏は共産党の人民解放軍の著名な軍人で日中戦争や国共内戦で活躍した人物ですが、中国建国後は外交に転じ、合計6ヵ国の中国大使を務めた異色の経歴があります。習近平氏は耿氏の秘書を1982年まで務めました。この間、耿氏は党中央軍事委員会の副主席、国防相、副首相という重要ポストに就いていました。習氏はその間に政治や外交、党の実務だけでなく党と軍の関係を学び、多数の軍人とも交流したのです」 

-こうした軍とのきずなは中国共産党の他の国家指導者もその昇進の過程で得ることがよくあるのでしょうか。  

「いえ、この点で習氏の最高指導者としての経歴は異端なのです。近年の他の最高指導者たちは共産党の党務や政府の行政任務に専念し、人民解放軍との直接のかかわりはないまま、トップの座にあがってきたといえます」


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