先日の新聞に株式会社ビジネス社の新刊広告が掲載されていた。
長谷川幸洋とケント・ギルバートの対談集。
ケント&幸洋の「大放言」
中・韓・沖縄にはびこるペテン師たちの正体、
この本もまた日本国民全員と世界中の人たちが読むべき本である。
新聞記者たちやテレビの報道番組に出てくるジャーナリストと称している連中は、何故、あんなにも酷いのか。
今、NHKのwatch9を司会している有馬と桑子は何故あんなに酷いのか、これらの事についての完全な解答を現役の東京新聞記者でもある長谷川幸洋が提示している。
前文略
長谷川
では、一方の既存ジャーナリズムはどうかというと、先ほどまったく自由じゃないと言いましたが、その点ではインターネットに後れを取っていて、自由を取り戻そうという姿勢は一向に見られません。
それどころか自分たちは政府を監視すると言いながら、実は記者クラブというシステムの下で特ダネというエサをもらって、政府や役人が言うことを、そのまま右から左に垂れ流しているケースが圧倒的に多いわけです。
ケント
垂れ流しているだけで給料がもらえるんだったらラクでいいですね。
長谷川
日本のジャーナリズムの現状はその程度で、私はいつもホントにちゃんちゃらおかしいと思っているんですよ。
政府から独立して自由に考え議論するということになれば、その前提としてジャーナリストも政治家や官僚と同じくらい、例えば経済政策や国際関係について基礎的な学力を身に付ける必要があります。
ところがそうしたジャーナリストがいるかというと、実はほとんどいません。
経済の教科書を読んだことがある記者、あるいは少しは読んだことがあるという記者はいるにしても、まったく実になっていないケースのほうが多いと思います。
例えば、金融や財政の政策を書くときに、経済記者はどうするかというと、経済学の素養がない人は日銀に金融政策を聞き、財務省に財政政策を聞いて、みんな役人に教えてもらっているんです。
論説委員になっても、何かと言うと自分で調べて考えるより先に、とにかく役人に電話する手合いが多い。
それで何かを教えてもらって「取材した」気になっている。
私に言わせれば、そんなのは取材というより、単に自分の頭で考えてないだけです。
役人も記者や論説委員はその程度と分かっているから、便利に使っているだけなんです。
後略。(p110~112)