以下は前章の続きである。
だが西欧諸国では、国民の多数派はソ連のSS20の脅威に対抗するには、西側も新たな中距離核ミサイルを配備して、抑止と均衡を保つ、という考え方をとった。
ソ連の脅威に対しては北大西洋条約機構(NATO)が団結して防衛措置をとることが、平和や安定を保つ最善の方法だという、各国政府レベルでの政策への同調でもあった。
その結果、西欧5ヵ国での新たな中距離核ミサイルの配備が終わる。1984年ごろのことだった。
ソ連は当然、当初は激しく反発して、米欧側との軍縮関連の交渉などをボイコットした。
だが、西側は揺るがなかった。
核廃絶論の不毛さ
ところが驚いたことに、1986年にはソ連はSS20と西側中距離核ミサイルとの相互の全廃を提案してきたのだ。
当時の西欧では、欧米のミサイル配備こそがソ連の譲歩と軟化を招く決定的な要因になったという認識がコンセンサスとなった。
「ソ連に対する核抑止」の不均衡を新型ミサイル配備で是正することは、西欧の決意と団結にとって死活的な試練となった。だが、西欧はソ連の圧力や懐柔、国内の反核運動にもめげず、それをなしとげた。そのことこそが、ソ連の譲歩を引き出したのだ」(イギリスのフィナンシャル・タイムズ社説)
「ソ連の譲歩は西欧の反核運動の一方的軍縮論者の主張の完全な破綻を証明した。SS20を撤去させたのは、反核運動ではなくNATOの抑止と均衡への決意だったのだ」(同サンデー・タイムズ社説)
このような認識は、いまもなお朝日新聞が唱える情緒的で一方的な核廃絶論の不毛を、歴史的にもいやというほど立証しているのだ。
この稿続く。