文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

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青柳氏は「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を。百人委員会」という組織の事務局長で、90年に渡韓し日本政府相手に訴訟をおこす原告募集のビラをまいた。

2019年07月18日 08時58分51秒 | 日記

以下は一連の流れから裵順姫氏~宋斗会氏~青柳敦子氏という在日の運動の人脈が見えてくる。と題して2018-02-16に発信した章である。
再発信する。
以下は前章の続きである。
「大分の青柳敦子は、医者の奥さんで、在日韓国人の宋斗会という差別反対運動家に私淑していた。青柳は宋と組んで、日本政府を相手に謝罪と補償を求める裁判を始めた張本人だ」(西岡力『よくわかる慰安婦問題』)。
青柳氏は「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を。百人委員会」という組織の事務局長で、90年に渡韓し日本政府相手に訴訟をおこす原告募集のビラをまいた。
この活動の延長線上に金学順さんが名のりをあげて、その結果、朝日新聞の植村隆記者が「女子挺身隊の名で戦場に連行された」(朝日1991年8月11日)と報道した。 
一連の流れから裵順姫氏~宋斗会氏~青柳敦子氏という在日の運動の人脈が見えてくる。
しかも宋氏は慰安婦問題のみならず、サハリン残留韓国人帰還問題の活動にも携わっていた。
つまり、慰安婦問題の原点はサハリン問題と通底しているということだ。
朝日新聞の「たった一人の謝罪」と題された謝罪碑建立の記事には、「サハリン残留韓国人の遺家族を前に土下座する吉田清治さん」(83年12月23日)とある。
この稿続く。


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