現在、沖縄の新聞紙発行を独占している二紙である琉球新報と沖縄タイムスは戦前からあったはずで、その内容は現在と同様に朝日新聞等に準じていたはずであると思い、検索してみた。その結果は私の推測以上のものだった。
何よりも、以下のウィキペディアで、私の目的は100%達成されていたのだが…。
1931年6月に「沖縄日日新聞」として創刊。1年後の1932年に「沖縄日報」に題字を変更し、沖縄朝日新聞、琉球新報と並んで、昭和初期の沖縄県を代表する県域新聞として絶大なる支持を集めた。
高山正之は子宮頸がん予防ワクチン接種における朝日新聞の…例に依っての態様の酷さと、彼らのよってきたる本質を見事に解き明かし、本物の学者であり人間である朝日のふざけた圧力にも屈しなかった村中璃子さんに世界の良識がジョンマドックス賞を与え、朝日の捏造報道が世界に明らかになった時、3週間後に、多くの読者が読まないページに、ベタ記事で報道した態様に対して、
どこまでも姑息な新聞会社である、と、手厳しく批判していたが…。
今しがたの検索結果においても、朝日新聞社の姑息の極みである体質が露呈されていたのである。
沖縄朝日新聞、琉球新報と並んで、昭和初期の沖縄県を代表する県域新聞として絶大なる支持を集めた
この沖縄朝日新聞をクリックしても何も出てこないのである。
英文での慰安婦関連記事の削除、訂正記事を、検索できないようにしていたと全く同じ態様…正に、どこまでも姑息な新聞会社なのである。
何故、朝日新聞社が戦前沖縄県を代表する新聞だった沖縄朝日新聞の検索を削除しているのか?
朝日新聞が、大江健三郎のでたらめな反日プロパガンダ作品である「沖縄ノート」などを利用して、沖縄戦において自決した沖縄の人たち(私は婦人が多かったように記憶する)…今や反日プロパガンダの象徴であるといっても過言ではない「ひめゆりの塔」
彼女たちを自決に追い込んだのが、当時の朝日新聞の報道であることを隠蔽するためのものである事は、誰の目にも明らかだろう。
朝日新聞が主導した戦争に向かわせるためのスローガンだった、一億総玉砕、生きて捕囚の辱めを受けず、これ以外に、沖縄の婦人たちを自決に向かわせたものなどありはしないのである。
それを、実は規律の厳しかった日本の軍人たちに、擦り付けた、朝日新聞と大江健三郎の罪は海よりも深いもので、到底、許されるものではないのである。
当時の朝日新聞の社説や紙面を見れば、それは一目瞭然…だから朝日新聞社は検索に出てこないようにしているのである。