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首里城その5(南殿・北殿・淑順門・久慶門など)

2015-03-07 09:45:01 | 100名城

2015年2月10日 沖縄県

首里城その5 (南殿・北殿・淑順門・久慶門など)

▼ 南殿と番所

庭から向かって右側が「番所(ばんどころ)」、左側が「南殿(なんでん)」である。「番所」は、通常は首里城へ登城してきた人々の取次を行った所であり、「南殿」は日本風の儀式が行われた所である。いずれも塗装を施したという記録がなく、また元々日本的な建築であるため着色はしていない。現在はいずれも資料展示スペースとして利用されている。「南殿(なんでん)」は別名「南風御殿(はえのうどぅん)」とも呼ばれていた。創建は1621~27年といわれているが、発掘調査ではそれ以前の基壇(きだん)らしきものも発見されている。建物は二階建で、地形を利用して裏側にある「書院・鎖之間(さすのま)」等に通じていた。なお、番所の展示室中央に飾られている中国風の傘は、琉球では「御涼傘(うりゃんさん)」といい、もとは日傘から発生したものだが、実際は国王や高貴な人が行幸するときの装飾用として使われた。

▲ 黄金の釘隠し

▲ 鈴の使い道は忘れました。連絡用だったけな?

▲ 黄金御殿は撮影禁止

 ▲ 拝所?

 

▼ 北殿

殿はかつては北の御殿(にしのうどぅん)、議政殿(ぎせいでん)とも呼ばれていた。創建は1506~1521年頃とされ、記録によると1709年の首里城の大火で他の建物とともに焼失し、1712年頃再建された。通常は王府の行政施設として機能し、表15人衆(大臣)や筆者、里之子(さとぅぬし)と呼ばれる役人等が働いていた。

▲ 南殿より

▼朝拝御規式模型

首里王府が正月元旦に行った儀式

 

▼冊封儀式模型

中国皇帝が琉球国王を任命する儀式の様子
 

 ▼ 淑順門(しゅくじゅんもん)

「淑順門(しゅくじゅんもん)」は国王やその家族が暮らす御内原(おうちばら)と呼ばれる場所への表門で、琉球語の古称は「みもの御門」「うなか御門」である。建物の創建年は不明とされており、2010年(平成22年)に復元された。

 

▲ 中央のプレートの上が復元石垣 プレートの下は遺構石垣

 

▲ 寒水川樋川(スンガーヒージャー) 首里城の水源

▼ 久慶門(きゅうけいもん)

「久慶門(きゅうけいもん)」は別名「ほこり御門(うじょう)」ともいう。歓会門(かんかいもん)が正門であるのに対し、ここは通用門で主に女性が利用したといわれている。国王が寺院を参詣(さんけい)したり、浦添から以北の地方へ行幸(ぎょこう)するとき等に使用した門であった。創建は1477~1526年【尚真王代(しょうしんおう)】といわれ、1983年(昭和58)に復元された。

▲ ▼ 寒水川樋川で溢れ出た水を排水する石組みの設備

首里城その4 (正殿)

首里城その1(守礼門・歓会門・龍樋)(沖縄県)   

2015-03-07 09:45:01

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