辞書引く日々

辞書が好きなのだ。辞書を引くのだ。

フランケンシュタイン曰く

2011年09月02日 | 言葉
小説「フランケンシュタイン」には、こんなくだりがある。

In other studies you go as far as others have gone before you,
and there is nothing more to know; but in a scientific pursuit
there is continual food for discovery and wonder.

(他の研究なら、先人たちが到達したところまで自分も到達したならば、
それ以上知るべきことはない。しかし、科学的な追究においては、
発見や驚きの糧が、ずっとあるのだ。)

これは、フランケンシュタインが、科学の楽しみについて語った一部である。
フランケンシュタインといっても、彼の作った怪物ではなく、彼自身のことだ。

科学について究め尽くすことができないということは、現在の我々の考えでも
成程と思うところである。興味深いのは、他の学問・研究については、先人の到達
したところまで行けば仕舞いという発言である。

他の study というのが何を指すのかというと、なにしろ 19世紀前半のことだ。
社会科学はまだ念頭にないだろうし、工学も科学とはっきりと区別されていたか
どうか疑わしい。

おそらく、この発言に最も激しく異議を申し立てるべき人は、いわゆる人文分野の
研究者だろう。やってないことは山のようにあるし、それは次々に生まれてくると。
そして、先人の研究の上に、成果を積み重ねてきているのだと。

たしかにその通りではある。だが、ぎゃくに、「先人の知りたるところまで到達」
というのが、個人の知識・能力のことであるとすると、それができているのか、
という疑問が湧いてくる。

逆に言うと、メアリ・シェリーの考えでは、「先人の到達レベルを維持する」
というのが、じゅうぶん study に値することだったのだと、この一文を読んで
考えた次第である。
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(べんきょうメモ)「that other good fellow」

2011年02月23日 | 言葉
随分とブログを更新しなくなってしまった。しかし、どうもそれでは詰まらないので、さほど起伏もなき毎日に、ああそうかと気付いたことをメモしておこうと思う。

先日来、ブラム・ストーカーのドラキュラを読んでいる。折角だから英語で読んでいるわけだが、英語力がなくて、しじゅう引っ掛かる。今日引っかかったのは……

少し前から説明すると、モリスというアメリカ人が、ルーシーというイギリス娘に結婚を申し込む。ルーシーは好きな人が別にいる(たぶん両想いだが、まだ彼は告白してくれない)ので、そう告げて断る。モリスは、それならせめて一度だけキスしてくれと言う。その後で、彼が続けたセリフ(直接話法で)が次の一文。that other good fellow というのは、ルーシーの意中の人。

You can, you know, if you like, for that other good fellow, or you could not love him, hasn't spoken yet.

しばらく考え込んでしまった。

You can (kiss me), you know, if you like (to kiss),
 for (=because)
  that other good fellow,
   or (=If he was not a "good fellow") you could not love him,
  hasn't spoken (=proposed) yet.

ということらしい(間違えてたら教えて)。

今日は、ドラキュラ伯爵と関係ないゆるい部分からの引用でした。
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真面目という言葉

2010年12月28日 | 言葉
もし、キュウリとメロンを区別しないで、ともにキューロンと表現されていたとしたらどうだろう。「おれ、長くてトゲトゲのキューロンは嫌いなんだよ」とか「甘くて丸いキューロンは好きなんだけどな」なんて言わなくちゃならない。これは不便である。しかし、キュウリとメロンという概念を、言う人聞く人の双方が持っていれば、まあ何とかなる。

ところが、キュウリとメロンの概念が区別されないで曖昧なままだったらどうなるか。キュウリを買おうとすると、メロンが混ざっていたりして、大変都合が悪い。こういう例だと馬鹿馬鹿しく思えるが、こうしたことは、抽象的な概念では、しばしば起こる。

「真面目」という言葉には、ちょっとこうした傾向があるように思う。

serious, earnest, diligent, industorious
なんてのが、真面目と訳されているのを見かける。さらに、
condescending, obedient, tame
なんてのは、マジメと訳してもよい状況があるかもしれない。
誠実なという言葉はあるが、口語ではあまり使われないので、やぱり日常的には「真面目」で済ましてしまう傾向もある。

真面目という言葉の解釈は、あまりに状況に依存しているように思える。「真面目」ほど真面目に使われない言葉はない、と言ったら言い過ぎであろうか。
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Kindle 3 で電子石碑を作ってみた

2010年10月23日 | Weblog
Kindle では自然と英語を読むことが多くなる。
英語を読むと疲れるので、目を休めるために見るものがほしくなる。

そこで、拓本の画像を入れて、電子石碑?を作成してみた。
拓本を見るのに、Kindle はなかなか良い端末だと思う。



1. 拓本の原データを http://www.yingbishufa.com/ldbt/index.htm から拝借
一つの石碑がたくさんの jpeg 画像に分かれている

2. for N in `seq -w 1 48`; do convert ${N}.jpg ${N}.pdf
などとしてそれぞれをいったん pdf に

3. pdftk *pdf cat output.pdf
などとして、一つの pdf にまとめる

4. calibre を起動して、mobi 形式に変換
このときメタ情報を編集

5. Kindole 3 をマウントして、 documents フォルダに投げ込む

jpeg を入れたフォルダを zip -r out.zip ./mydir
などとしても、Kindle はこれを読んでくれるが、
一つの pdf にまとめておいたほうがきれいに表示される。
さらに、作者名などのメタ情報を入れるために、ここでは mobi にしてみた。
mobi だと画像の拡大も容易である。


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構造主義入門できず

2010年08月30日 | 言葉
構造主義なんて古いぜと言いながら、いまだにその概念が随所に使われているように見える。

それで、入門書くらいは読んでみたりしたのだが、いつも途中で挫折する。

まず、入門書の最初のほうには「記号表現」と「記号内容」が違うと書いてある。
そして、この二つの間に意味作用という関係があるという。

少し読み進めると、「記号表現+記号内容」がもうひとつ上のレベルで新たな記号表現の役割を果たすことがあるといい始める。

私の見た本では、「コニャック・ペリエ」という注文は、デノテーションのレベルではその飲み物を指すが、コノテーションのレベルではこの「記号表現+記号内容」があらたな記号表現となって「スノビズムなるものはきらいでね」という記号内容をもたらすというのである。

このへんで、なんか嫌になってくる。

コノテーションのレベルでデノテーションのレベルと同じことが行われるなら、きっとその上のレベルだってあるはずだ。「スノビズムなるものはきらいでね」というようなことを特定の場所で発言することが、さらに何らかの意味を持つ可能性があるのだから。

それよりも、「人間が直接理解できる記号表現」というものを仮定して、意味内容という言葉のかわりにつかえばよい。そうのうえで、「意味作用は記号表現を引数としてあらたな記号表現を返す」でいいのではないかと考えたりする。

そんなことを言ったら、書かれたり、発話されたりして記録できるものと、頭の中だけにあるものの区別がつかずに、客観的な研究ができないじゃないかと言われそうだ。

うーん、まあそれはそうなのだけれども…。ともかくこの分野、用語の定義がどんどん出てきて、いささか閉口してしまうのだ。
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四文字語

2010年08月27日 | 言葉
四文字語というものがある。f*ck とかね。アメリカ産の映画など見ていると、これが多発される。

日本語でいうと「クソッ」という程度のものなのだろうが、わが国ではそれほどクソは行われない。少なくとも、「このクソ暑いのにクソ仕事がクソ忙しくてクソ休みがクソとれない」なんて頻度では使わない。

思えば、f*ck にしろ sh*t にしろ、すべて一音節語である。だから会話にはさみやすいのではないか。これに対して「クソ」は二音節だから、そう多発できない。

「このド暑いのにド仕事がド忙しくてド休みがドとれない」

これならいくらか短くて言いやすい。「ド」は一音節である。しかし、「ド」にはそうお下品な意味がないから、やはり f*ck にかないそうもない。

日本語は「ん」を除くと必ず子音のあとに母音が入るが、その結果四文字レベルの悪態がつきにくくなっているような気がするのである。
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やる気の出ない日

2010年08月26日 | Weblog
中学・高校の頃、どうも勉強に対してやる気が出ないということを悩んだものだ。大人になっても、やっぱりやる気というものが出ない日もある。というか、そういう日のほうが普通だったりする。

そういえば、むかしよく「やっているうちにやる気が出る」などと言われたものだ。それは本当なのかな、と今思う。

どうも「着手するからやる気が出る」というより、「着手してみないと、やる気があるかどうかわからない」という面があるようである。

つまり、やる気になっている時間をいかに有効に使うかという工夫が必要だと思うのだ。そのために、着手してやる気を調べる。これが自分にとってはしっくりいく考え方である。
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折りたたみ傘

2010年08月25日 | 言葉
何ができたときに大人になったと感じたかという質問をされたら、こう答える。折りたたみ傘がきれいにたためるようになったとき、と。

折りたたみ傘というのは、あまりいい加減にたたむとバンドが留まらない。傘を回すようにして、小間(布の部分)を同じ方向に折っていかなくてはだめである。もっとも、ここまでは長い傘でも同じこと。

折りたたみの場合は、それだけでは不十分だ。小間が袋状にたたまれるので、そのままぐるぐると巻きつけるようにまとめても、バンドは辛うじて留まるだけで、あまり美しく仕上がらない。きれいにやっつけるためには、袋状に折られた小間の中に指を入れて、引き出してそろえるような動作が必要となる。

これは、たいがいの大人が実行するもので、傘のつくりというものを見れば自然と想像ができる作業である。

だが、私は子供の頃、それがどうてもできなかった。小間を同じ方向にそろえるというところまではわかったのだが、袋状になったところに指を入れて引き出すという技がどうしてもわからなかったのである。

思えば、傘を畳む、と言う。畳むためには、伸ばす必要がある。シャツでもパンツでもみなそうである。ところが、傘の場合、畳むの反対は「さす」である。このへんに陥穽があったのではないかと推測する。

「さす」←→「畳む」という軸で抽象的に考える限り、袋状になった小間の間に指をはさんで「伸ばす」という発想が出てこない。

目の前にある具体的な傘を本当に観察できるようになるのは、まさに大人ならではのことだと思うのである。
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セロテープ

2010年08月24日 | 言葉
どうも子供というのはセロテープが好きなものらしい。

子供にとって、セロテープというのは神々しいほうどの力を持っている。彼らの頭の中では、セロテープで補修した箇所は壊れる前と同じ強度を保っているし、経年劣化などありえない。

それというのも、物の状態はこわれているかこわれていないかのどちらかにはっきりと属しているからにちがいない。そして「セロテープは、こわれたものを直す」というごく単純な働きをするわけだ。

だから彼らは、大事な紙が破れる前に予防的にセロテープを貼っておくことさえする。この作戦が失敗だと気づくのは、数年してからだ。引き出しの奥から、黄色くなったテープがはりついた変色した紙が出てくる。

経年による漸々たる変化、補修しても元には戻らないという無常、予防的行為が逆の結果をもたらすという皮肉。セロテープがその万能の力を失うときに、子供たちは大人になるのである。
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めも)twitterのAPIの残りカウントを調べるという簡単なお仕事

2010年07月13日 | 言葉
API のレートリミットというのがあって、ふつう API 制限といふ。

http://apiwiki.twitter.com/Rate-limiting
を見ると、時間あたり150とあるが、いま調べたら350ある。
増えたのだな。

この残りカウントを調べるだけなら簡単。
なお、この調査は残りカウントを減少させない(はず)。

#!/usr/bin/env python

import tweepy

CONSUMER_KEY = 'xxxxxxxxxxxx'
CONSUMER_SECRET = 'xxxxxxxxxxxx'
ACCESS_KEY = 'xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx'
ACCESS_SECRET = 'xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx'

auth = tweepy.OAuthHandler(CONSUMER_KEY, CONSUMER_SECRET)
auth.set_access_token(ACCESS_KEY, ACCESS_SECRET)
api = tweepy.API(auth)

print "API LIMIT : "
print api.rate_limit_status()
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