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辞書引く日々

辞書が好きなのだ。辞書を引くのだ。

備忘

2007年10月28日 | Weblog
GNU sed 4.1.2版
euc 的環境で、

$ echo "シーズンを迎え、" | sed -ne "/迎/p"
$

シカトされた……

GNU ed version 0.2 でもあかん。
vim や Emacs は大丈夫だ。

これは何のバチが当たったのだ??

$ ldd /bin/sed
linux-gate.so.1 => (0xffffe000)
libc.so.6 => /lib/libc.so.6 (0x40023000)
/lib/ld-linux.so.2 (0x40000000)
$ ldd /bin/ed
linux-gate.so.1 => (0xffffe000)
libc.so.6 => /lib/libc.so.6 (0x40023000)
/lib/ld-linux.so.2 (0x40000000)

かあ。
あー、これもしかして libc のモンダイなの?

$ /lib/libc.so.6
GNU C Library stable release version 2.3.4, by Roland McGrath et al.
(以下略)
$ rpm -qi glibc
Name : glibc Relocations: (not relocatable)
Version : 2.3.4 Vendor: Project Vine
Release : 2vl3.1 Build Date: 2007年06月18日 23時04分01秒
(以下略)

あー、面倒なことは考えたくないなあ。



「罫線なんか引いてないで仕事しろ」

2007年10月26日 | Weblog
先日、ある役所から申請書雛型をダウンロードしてMSワードで開いて加工する羽目になった。罫線がやたらと多用されていて、「表」まで入っている。書き込むとどうしてもズレて、新しいページができたり、途中から改ページされたり、さんざんだった。

そもそも、どうしてあんな印刷時の見栄えを重視した形式なのか? 記入もれが起こらないようにということがあるだろう。また、たくさんの申請書類を見るときに、同じ情報が同じ位置に表示(印刷)されるとよいということがあるのだろう。それを実現するためには、だれでも持っていると(誤って)期待されているMSワードを使おう(使わせよう)というわなのだろう。

ものすごく面倒くさいし、時間がかかる。雛型をつくるほうはともかく、それを使うほうの時間まで考えると、日本経済の損失なのではあるまいか。そもそも、MSワードの罫線なんてものをうまく使いこなせる人がどれだけいるのだ(私は使いこなせない)。

本来 DTP ソフトを使ってデザイナーがやるべき見ばえの確保まで、内容の提出者に負わせるのは変な話なのではないか。無駄があるといって間違いないと思う。そういう意味では、pdf でも無駄があるように思う。

どうせテキストと表だけなら、原始的な xml で間に合うじゃん。xml をテキストエディタで編集させるのは酷だから、定型文書専用の簡単な xml エディタのようなものを配布すればよい。申請者記入欄として特定のテキストだけ書き込めるようになっていれば、それで済むわけで、エレメントや属性を追加・編集する機能は必要ないから、xml パーサを積んでいなくてもかまわない。余計なところがいじれないテキストエディタっぽいもので用は足りる。

あとは、受け取った役所のほうで、編集不可部分に改変がないかどうか調べ、自分たちで読みやすいように出力すればよい。テキストエレメントの文字数を制限しておけば、ひとつの申請を1枚に出力するのも難しいこととも思えない。

そういえば、ある人がこんなことを言っていたっけ。
「罫線なんか引いてないで仕事しろ」