辞書引く日々

辞書が好きなのだ。辞書を引くのだ。

構造主義入門できず

2010年08月30日 | 言葉
構造主義なんて古いぜと言いながら、いまだにその概念が随所に使われているように見える。

それで、入門書くらいは読んでみたりしたのだが、いつも途中で挫折する。

まず、入門書の最初のほうには「記号表現」と「記号内容」が違うと書いてある。
そして、この二つの間に意味作用という関係があるという。

少し読み進めると、「記号表現+記号内容」がもうひとつ上のレベルで新たな記号表現の役割を果たすことがあるといい始める。

私の見た本では、「コニャック・ペリエ」という注文は、デノテーションのレベルではその飲み物を指すが、コノテーションのレベルではこの「記号表現+記号内容」があらたな記号表現となって「スノビズムなるものはきらいでね」という記号内容をもたらすというのである。

このへんで、なんか嫌になってくる。

コノテーションのレベルでデノテーションのレベルと同じことが行われるなら、きっとその上のレベルだってあるはずだ。「スノビズムなるものはきらいでね」というようなことを特定の場所で発言することが、さらに何らかの意味を持つ可能性があるのだから。

それよりも、「人間が直接理解できる記号表現」というものを仮定して、意味内容という言葉のかわりにつかえばよい。そうのうえで、「意味作用は記号表現を引数としてあらたな記号表現を返す」でいいのではないかと考えたりする。

そんなことを言ったら、書かれたり、発話されたりして記録できるものと、頭の中だけにあるものの区別がつかずに、客観的な研究ができないじゃないかと言われそうだ。

うーん、まあそれはそうなのだけれども…。ともかくこの分野、用語の定義がどんどん出てきて、いささか閉口してしまうのだ。

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