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辞書引く日々

辞書が好きなのだ。辞書を引くのだ。

加湿器さまざま

2008年11月29日 | Weblog
加湿器を買いに行く。20種類以上売っていた。加湿器は、その仕組みによって以下のように分類できるそうだ。

1 スチーム式
2 超音波式
3 気化式
4 ハイブリッド式

1 は、水を沸騰させて水蒸気を発生せしめるもので、ヤカンとまったく同じ仕組みである。
2 は、振動を与えてつくった霧を空気中に放出して、室温で水蒸気とせしめるもの。
3 は、水に風を当てて、水蒸気とせしめるもの。室内にタオルを干しておくのと同じ仕組み。
4 は、3 と同じだが、当てる風を温風にして、気化の速度を速からしめるもの。

どうも、最近は超音波式は「ひんやりとする」ということから不人気で、スチーム式か気化・ハイブリッド式が主流になっているようだ。

超音波式は、室内の空気から熱を奪って霧が気化するのであるから、「ひんやりとする」のは当然である。だが、これはじつのところ気化式でも同じことであろう。気化式がひんやりしないとすれば、それは水蒸気の放出がゆるやからだからだ。一方、ひんやりとしないスチーム式は、たんに気化に必要とされる熱を電熱線により供給するというだけである。ハイブリッド式もこの点、似たようなものだ。

結局、水を気化させるのに使われるエネルギーというのは、どの機器を使おうが、変わらぬはずである。それなら、物事は単純なほうがよく、超音波式加湿器で加湿をして、気化のために使われた熱は暖房機で補えばよろしい。(我が家はそうではないのだが、もし電気以外で暖房しているお宅であれば、超音波式を使ったほうが節約になることは間違いないだろう)

……と考えて、超音波式を捜した。が、なかなか見つからない。結局、20種類ほどある加湿器の中で、たった一種類が超音波式であった。一昔前は主流であったのになあ。

結局、その店頭にあった唯一の超音波式を買った。トヨトミという、ご当地名古屋は市瑞穂区にある会社が作っている製品である。(Made in Japan のせいか意外と高かったぜ)

※超音波式だと、水道水中のカルシウム等が、壁や家具に白く付着するということを昔聞いたことがるが、真偽のほどは不明。

真面目たぜNHK

2008年11月27日 | Weblog
コンソールでの作業の合間に簡単に NHK のトップニュースを確認できたらと思い、場当たり的スクリプトを書く。

ぼうっと見ていると、同じニュースが掲載され続けているように見えていたものが、じつは原稿は非常に短い間隔でさしかえられているということに気づいた。微妙な言いまわしの変化にも、どうやらちゃんとした意味があるらしい。判明した事実の変化のみならず、ニュースソースの確認の進み具合などにも影響されるようだ。真面目だぜNHK。

$ cat ~/bin/nhk
#! /bin/sh
url=`wget -q -O - http://www3.nhk.or.jp/news/ |
sed -ne '/REFRESH/{s/.*URL=(.*.html).*/1/;p}'`
wget -q http://www3.nhk.or.jp/news/${url} -O - | nkf -w |
sed -ne '/newsTextBody/{N;s/.*n<p>(.*)</p>/1/;p}'

$ nhk
インド経済の中心都市ムンバイで起きた同時テロ事件で、ムンバイの警察当局によりますと、犠牲者の数は日本人男性1人を含め100人を超えました。武装グループは今も人質を取ってホテルに立てこもり、治安部隊が鎮圧に向けた作戦を続けています。

(数時間後)

$ nhk
インド経済の中心都市ムンバイで起きた同時テロ事件で、犠牲者の数は、日本人男性1人を含め100人を超え、事件発生から半日以上たった今も武装グループが2か所のホテルに立てこもっており、治安部隊が鎮圧に向けた作戦を続けています。

しんにゅうの点

2008年11月26日 | 言葉
文化審議会の漢字小委員会が常用漢字表の改訂をすすめている。
そこで、新たに加える字のしんにゅうの点をひとつにするか二つにするか、論が割れているとか。

文化庁が提示した 2 点という案は、現行の活字に合わせるという趣旨だそうだ。これに対して、一貫性が欠けて教育上も問題があるというのが、1 点派の主張らしい。二点派といっても、手書きをするときは一点でもよろしいという積りだそうである。

実際に本のカバーに現れた「謎」の文字を調べてみる。Amazon.co.jp で、「謎」で和書を検索して、頭から表紙に使われている字体を見てみた。(本文が表紙と統一されているかどうかは、わからないが、簡単に確認できるので、表紙を調べたのである)

<一点のもの>
「謎の彼女X3」(講談社)
「結婚の謎」(アチーブメント出版)
「ハリー・ポッターと謎のプリンス」(静山社)
「新・古代史謎解き紀行継体天皇の謎 信越東海編」(ポプラ社)
「科学の謎」未解決ファイル (PHP)
「鉄道地図の謎から歴史を読む方法」(河出書房新社)
「知らなかった! 驚いた! 日本全国「県境」の謎」(実業之日本社)
「名探偵コナン推理ファイル 日本史の謎〈2〉 (小学館)
「巨大高層建築の謎 古代から現代まで技術の粋を集めた建造物のおもしろさ」(ソフトバンククリエイティブ)
「人工呼吸療法における30の謎」(克誠堂出版)
「えっ?本当?!地図に隠れた日本の謎」(実業之日本社)
「「9.11」の謎 続」(金曜日)
「韓国時代劇66の謎」(TOKIMEKIパブリッシング)
「謎を解く人びと - 数学への旅」(シュプリンガー・ジャパン株式会社)

<二点のもの>
「謎001」(講談社)
「謎手本忠臣蔵」(新潮社)
「謎の会社、世界を変える。―エニグモの挑戦」(ミシマ社)
「ビートルズの謎」 (講談社)
「哲学の謎」 (講談社)
「視覚世界の謎に迫る―脳と視覚の実験心理学」(講談社)
「法隆寺の謎を解く」 (筑摩書房)
「日本文明の謎を解く―21世紀を考えるヒント」(清流出版)
「知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦」(講談社)
「謎の大王継体天皇」(文藝春秋)
「フランス7つの謎」(文藝春秋)
「謎とき日本近現代史」(講談社)
「謎解き 広重「江戸百」」 (集英社)
「童謡の謎―案外、知らずに歌ってた」(祥伝社)
「謎解き フェルメール」(新潮社)

必ずしも、二点ばかりが優勢というわけではないようだ。

面白いのは、講談社で、アフタヌーンKC(コッミク)の「謎の彼女」が一点なのに対し、他は二点である。小学館では、名探偵コナンの関連書籍が一点であるが、別途調べてみると、「逆説の日本史〈4〉中世鳴動編―ケガレ思想と差別の謎」などは二点である。小学館や講談社は、一点と二点を使い分けているのかもしれない。

書籍の場合、写植を使うと二点、DTP を使うと一点になりやすいなどという事情があるかもしれない。

それにしても、どうして漢字の字形・字体の話になるとすぐケンカになるのかなあ。

私の浅い認識によれば、活字の字形・字体というのは、

1 唐の時代までに漢字は手書きしやすいような形に整えられた(易しく)       「曽」がその例
2 活字は伝統的な手書き文字でなく、清の時代の「康煕字典」に範をとった。(難しく)「曾」
3 戦後の活字の簡易化の方向は、手書き文字を範として進められてきた。(易しく)  「曽」
4 最近、活字の簡易化が行き過ぎたと考える人たちが多くなってきた。(再び難しく) 「曾」

という順序で推移していた、これだけ見ると活字デザインの流行にすぎない。
ネクタイの幅が広くなったり狭くなったりするのと同じで、易しくなったり難しくなったりするだけだ。
真剣にケンカをするほどのこともない。

ところが、だんだん活字が権威を持ってきて、これをただのデザインの流行では済ませられぬと考える人が増えてきたのである。

その結果、伝統的手書き文字を範にすべきだという単純文字派と、康煕字典を範にすべきだという複雑文字派が、この権威の取りっくらをはじめた。これに、一般の人も愛着だのノスタルジーだのをかかえて参戦したものだから、もう手がつけられない。徳川家康と西郷隆盛のどちらが偉いかでケンカをはじめたみたいなものだ。

私としては、活字など読めれば良い。そもそも活字の権威なんぞ認めないから、どちらでもいいのである。そのかわり、自分が手書きする文字は勝手にやらせてもらおうと考えている。

S 先生

2008年11月22日 | Weblog
S 先生亡くなりたりと伝え聞く。余、先生に蒙を啓かれたることまことに多くして、また先生の wit/humour/irony を愛せり。

先生には中学校の頃現代国語を習いたりき。中学一年生のときの教科書は内田百間や柴五郎といつた具合にて、授業は、生徒はただそれらを音読するなり。読み違へたるとき、先生は咳払いをす。他の生徒正しき読みを教ふ。

内田百間の「東京焼燼」中に「古日(人名なり)雨中来」といふところありて、余音読す。隣席の生徒小声にて「宇宙」とつぶやけば、古日氏の宇宙服姿思い浮かびて笑いをこらえ得ず、笑い止まらずして授業は途中にて已みたり。

当時先生四十歳を越えた齢なれど、額の後退少なならず。あるとき、老人はかかる事知るべしと先生が言いたるに、余、先生の如きにと言いたれば、先生憤りて授業を中止したりき。

また別のとき、余、段ボール箱を教室の扉上に仕掛けたり。先生入り来るときに箱落下し、額に当たれり。先生そのまま踵を返して職員室に戻りたり。

享年七十一なりと聞く。平均寿命よりもいくらか短かけれども、先生もしこれを惜しむを聞けば、いずくんぞ短かからんや、と笑ふべし。ただ再会のできぬことのみ残念なり。

正直についてコーンウォールさんに聞いてみた

2008年11月20日 | Weblog
「コーンウォールさん、正直な人ってどう思います?」

CORNWALL
コーンウォール公爵曰く
This is some fellow,
かかる者どもあり。
Who, having been praised for bluntness, doth affect
そは粗雑がために褒められたることありて、今装うは
A saucy roughness, and constrains the garb
無礼無骨。しかしてその装うほどは
Quite from his nature. He cannot flatter, he;
その本性をも過ぐ。余は追従する可からず、余は
An honest mind and plain, he must speak truth!
正直なる心を持ち、率直なれば、余は真実を言わざることなし、と。
If they will take it, so; if not, he's plain.
若し汝ら余の言を受け取らば特段、さにあらざるとも、余は正直なり、と。
These kind of knaves I know, which in this plainness
かかる心を余は知る。かかる心は、かかる率直さの中に
Harbour more craft and more corrupter ends
狡猾にして、よりけがれたる目的を抱きたるものなり。
Than twenty silly ducking observants
そのけがれたること、よく頭を下げる愚かなる追従者たちよりも汚れたり。
That stretch their duties nicely.
己の務めを馬鹿馬鹿しく増やしているかの者たちのそれよりも。
(King Lear IIii)

「コーンウォールさんってば、正直ぃ~」


※誤訳してたらゴメン
※observant ハ、コノ時代特有ノ用語ニテ追従者ノコトナリト(SOD)

『和英語林集成』で aho を引くと

2008年11月14日 | 言葉
デジタル『和英語林集成』なるものを明治大学が公開していて、なかなか愉快。
http://www.meijigakuin.ac.jp/mgda/index.html

ためしに aho(阿呆)を引いてみると、最初の語釈に dunce とある。

dunce なんて知らない単語なので、調べてみると、この人のことらしい。



(画像は パブリックドメインだったので、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:JohnDunsScotus.jpg からかっぱらってきました)

13~14世紀の神学者で、16世紀のヒューマニストが、その後継者たちをからかって、dunce をアホの代名詞として使ったそうだ(ちゃんと調べてないけどCODにそう書いてあったよ)。神学のことなど、まるでわからないが、Doctor subtilis (細かい先生) とあだ名されていたというから(http://en.wikipedia.org/wiki/Duns_Scotus) まあ、そういう人だったんでしょう。

そういえば、和英語林集成を書いたヘボンは、米国の宣教師であるから、阿呆の語釈の最初に dunce を書いたのは、何か考えるところがあったのかなあと思ったりする。

ちなみに用例として「あほなこと」というのがある。この辞書の初版は1867年であるから、その頃にも、そんな言い方をしていたんだね。

頑健な写真説明を考えてみる

2008年11月12日 | Weblog
自分の撮ったどうでもいい写真に説明を書いておきたいことがしばしばある。

写真整理用のアプリケーションの機能を使うと、他の環境ではどもならん。
テキストファイルで別に書いておくと、写真をながめながら読むことが困難。
exif のコメント機能は、対応しているアプリケーションがそう多くない。

一番頑健な方法は、写真が jpeg なら、写真説明も jpeg 画像にしておくという極めて原始的な方法であるということに気付いた。
写真説明のテキストに検索をかけることができないが、それはあっさり諦めることにする。
まあ、古い無声映画の字幕みたいなものだと思えばよい。
ついでだから、オリジナル画像のサムネイルを説明画像の背景に使ってみる。



○説明対象写真の exif から画像回転方向の情報を入手する。(exiftool)
○説明対象写真を縮小し(必要なら回転させ)白黒化した jpeg 画像を作成する。(imagemagick の convert コマンド)
○説明対象写真から exif の日付を取り出し (exiftool)、説明写真画面にそれを書き込む (convert)
○アルファベット順に並べたときに、説明対象の写真の一つ前にくるような名前をつけて説明写真を保存。
○説明写真に、コメントを手動で書き込むため、画像編集アプリケーションを起動(gimp)

画像を閲覧しながら、必要を感じたときに上のことを一つのキーで行えればよろしい。

画像ビューアに gthumb を使っているので、そのホットキーにスクリプトを登録しておくことにした。
環境は Ubuntu なり。


orientation=`exiftool -orientation -s -s -s %f | sed "s/[^0-9]*([0-9]*).*/1/"`;if test $orientation; then rotation="-rotate $orientation"; fi; xnew=`echo %f | sed 's/([jJ][pP][gG])$/COMMENT.1/'`; xx=`exiftool -d %Y年%m月%d日(%a) -createdate -s -s -s %f`;convert $rotation -resize 10% -normalize -colorspace gray -fill gray100 -colorize 60% -font /usr/share/fonts/truetype/sazanami/sazanami-gothic.ttf -undercolor black -pointsize 18 -fill white -draw "text 0,18 '$xx'" %f $xnew; gimp-remote $xnew


嫌になるくらい長いが、これを一行に書いておくのだ。自分でもわけわからんから、説明をメモしておこう。
(このたぐいのものは読むより書くほうが楽なのだ)

orientation=`exiftool -orientation -s -s -s %f |
# オリジナル画像の回転情報入手 -s -s -s でタグ名が出力されぬようにする。
sed "s/[^0-9]*([0-9]*).*/1/"`;
# そこから角度だけ取り出す
if test $orientation; then rotation="-rotate $orientation"; fi;
# 回転情報により説明画像を回転
xnew=`echo %f | sed 's/([jJ][pP][gG])$/COMMENT.1/'`;
# xxx.jpg というオリジナル画像名から xxx.COMMENT.jpg というコメント画像名を作成
xx=`exiftool -d %Y年%m月%d日(%a) -createdate -s -s -s %f`;
# オリジナル画像から作成年月日を得る
convert $rotation -resize 10% -normalize -colorspace gray -fill gray100 -colorize 60%
# オリジナル画像を10%に縮小し、平準化・グレイスケール化&白っぽくする。
-font /usr/share/fonts/truetype/sazanami/sazanami-gothic.ttf
# 説明画像に入れる年月日のフォントを指定して
-undercolor black -pointsize 18 -fill white -draw "text 0,18 '$xx'" %f $xnew;
# 文字背景色、文字色・大きさを決め、年月日を説明画像に出力する。
# (シェル変数から年月日文字列への展開はシェルでなく convert がやっている)
gimp-remote $xnew
# 実際にコメントを書き込むために説明画像を gimp で開く


風呂場の蝿とり

2008年11月07日 | Weblog
風呂場を乾燥させるために窓を開けておく。そこから、ショウジョウバエが入ってくる。運悪く卵など産みつけられると、かなり多量に発生する。

壁面にとまっているので、シャワーで流してしまおうと思うが、意外とうまくいかない。どうやら、ハエというやつは、水をよくはじくようにできているらしい。

一計を案じて、風呂洗い用の液体洗剤をかけてみる。効果絶大なり。べつに洗剤の毒性のせいではない(そりゃあ飲まないほうがいいですけど)。界面活性剤のおかげで表面張力を失っている液体が、べっとりと彼らの体の各部にはりついて動きをとれなくしてしまうのだろう。こうなると、水の粘性すら、かかる小さな生き物たちににとっては命にかかわる脅威なのである。

ただ、この方法には難点がある。「工夫」があるだけに、その「工夫」をした自分が、ことさら残酷な人間のように思えてくるというところである。

ひっくり返して考えてみると、殺虫剤だの蝿取り紙(未だに薬局で売っている)だの、そういった世間に流布している方法によるときには、自分の「衛生的なる生活」を守るという点に意識がいっていて、蝿を殺すという点にはあまり意識が向かないから、さほど己れの残酷さを感じないで済むというわけだ。

昆虫をスリッパによってバシンと叩いて殺す年配の婦人などを見ると、子供たちはびっくりしたりするが、なあに、彼女たち(あるいは、その世代)がスリッパでバシンという動作に慣れているというに過ぎない。

そういえば、自分の腕の血を吸っている蚊を、ほとんどの人が躊躇なくたたきつぶす。血を吸われた(あるいは吸われつつある)ということに対する怒りが、哀れみを覆いつくすのであろう。そしてまた、蚊については、平手で叩くというのが我々の慣れ親しんだ方法でもある。

血吸われれば かほども刺さず惻隠の情(字余り)

芋掘り

2008年11月05日 | Weblog
子供を保育園に送っていく。
今日は芋掘りの日だという。
しかし、いかんせん子供は風邪気味である。
そもそも今日は休ませようかと迷っていたくらいだ。

保育士に、今日は室内で遊ばせてくれというと、「エーッ!!?」という顔をする。
子供が、ではない。保育士さんが、である。
(本当に「エーッ」と言ったように思うが、定かでない)
「また”来年”があるから」と子供に言う彼女のセリフも、なんだか当てつけに聞こえてしまうのは、私の品性が卑しいからか。

芋を掘らせてやれぬのは気の毒であるが、「迷ったら原則通り」というのが私のポリシーだから、健康を優先させたつもりであった。

芋が掘れぬくらいの体調なら休ませろという意見もあろう。芋が掘れぬくらいで休ませられぬから、保育園に入れている。

まあ、たしかに、今日無理をさせて、風邪が悪くなり、明日から休まれたらかなわんという肚はあった。
すまん。

それにしても、芋とは人を責めるものよのう。

ソーカル事件

2008年11月04日 | Weblog
物を知らないというのはこのことで、私はソーカル事件のことを、一週間前まで知らなかった。

検索してみれば、内容はすぐに知れるから詳細は書かぬ(私には正確に紹介する能力もないしね)。ようするに、「偽論文を学術誌に送ってみた」という話である。もちろん、見事掲載されなければ、このコメディは成り立たない。

べつに、我が意を得たりと、わめき散らすつもりもない。ただ、独り「にやり」としたのである(私がもっと真面目でもっと能力がある人間であるならば、それでは済まさないかもしれないのだが)。

まあ、とにもかくにもオモシロイものであります。