9月1日犀角独歩さんの主催する富士門夏季合宿に参加させて頂きました。犀の角のように独り歩め:第2回夏季合宿報告(1)
本当は前日から参加したかったのだけれども二日目からの参加になってしまいました。私自身が吸収できていなかったり異論や疑問もありましたがメモとして残しておきます。
1.資料館を拝観
お寺にある様々な本尊や資料を見る事が出来たのは貴重な体験でした。思いがけない幸運でした。
以下、メモ。
2.「立正安国論を現代に読む」 楠山泰道氏
□日蓮の法華経観は現実主義。
□日蓮の思想や行動は危険人物ではない。K会や創価学会のように問題言動や危険な言動で一般の人々に日蓮が危険と思われる事自体が謗法。排他性や本仏論などの神格化などがこれにあたる。
□末法自体仏説ではなく後世の考え方だが現在を末法として捉えても折伏より摂受(しょうじゅ)が優先。
□日蓮の四箇格言(しかのかくげん)がある。(四箇格言自体、後世の単語。)
念仏無限地獄といった理由の一つに
まず最初に”法然が阿弥陀経以外は捨てなさい”、経文を捨てなさいと”先に”言ったのは日蓮ではなく法然。法然の思想がこの世の中の現実から目を背けて現実否定論だったので、無限地獄と批判した。
□”法然が阿弥陀経以外は捨てなさい”など、鎌倉時代は”これだけ””これだけあれば良い”という風潮があったらしい。日蓮は排他主義を否定している。
□鎌倉時代の世の中が非常に悪い状況であり、世の中を良くしようとしての日蓮の他宗への批判があった。
□日蓮遺文を読む際に誰に対しての遺文なのかを良く見極める事。(切り文などでいわゆる教団都合、創価都合の解釈で悪用されていないのか?)
2.「公明党vs.創価学会」 島田裕巳氏
□創価学会は先祖供養や戒名などに興味がない。
□戦後の新興宗教、新宗教といっても過去の宗教の延長線上にありその教えを含んでいる。全くの新しい宗教ではない。創価学会は日蓮正宗から生まれた。
□日蓮の実像 ←→ 遺文からの想像や解釈や捉え方 に各人の差があり議論や異論が生まれる。
□守護国家論 → 立正安国論 の順に出来ており、守護国家論は安国論のベースか?
守護国家論が出発点であり重要ではないのか?
守護国家論、立正安国論は体系的であり論理的構成。
他宗との差異が大きくアジテーションをするつもりが無かったが結果的にそうなってしまったのでは?
□五時教判(ごじきょうはん)など現代から見ると天台教学には間違いがあったが、日蓮自身は自分自身は間違っていないと考えていた。
日蓮自身、「自分はこんなにも正しいのに伝わらないのか?」(A)と考え、日蓮も宗派も「法難だ、迫害だ」という意識をもってしまうかも?
□一念三千という捉え方、物の見方。法華経にはこの単語はなく、天台の釈。
浄土宗は法華経を否定。曹洞宗は法華経も涅槃経も読む。
しかし先の一念三千は日蓮系(天台)にしか通用しない。他宗は一念三千を知らない(重視しない?)ので(A)の様に理解されなかった。理解されないと余計、日蓮は一念三千に傾倒する結果になったのでは?
□日蓮宗というよりは法華宗というべきでは?
□霊友会は法華経を離れているが立正交成会は原始仏教系に原点回帰。
日蓮正宗は独特な教義、宗派でありさらに牧口氏と正宗との出会いがあり、正宗、日寛教学、創価教学(牧口、戸田、池田)4重、5重の独特な教えになり、日蓮と同様、それが周りに理解されていない。
□教学などを創価も正宗も訂正できない。
□自民と民主の大連立を創価公明はおそれている?
□池田氏の日中国交正常化が潮で賞賛されており、当然、潮には創価から依頼。(創価の自画自賛らしい。他に一般人で賞賛した人はいたのか?)
□創価学会幹部によると「過去や歴史を振り返らない」
3.勉強会 講演メモ
□カルト団体に残っている人、残らない人、でそれぞれに性格などの共通性はない。
但し、某Y会をやめた人の共通項として、女性が疑問を持ちその女性とつき合っている男性や家族、あるいはY会の外につき合っている女性がいるとやめていく男性が多いらしい。
つまりは女性主導が多い、ということ。
□Y会にも「ある物」が日本の全生産量の1%以上になったら何かが起こるのでは?、というユートピア思想があった。
□Y会をやめてその悪口を言えるグループがありその期間が一、二年間あった。が、頭の中はY会の思想、思考があった。
Y会をやめてそのグループにいて悪口や議論(愚痴も?)できた人はカルト思想から脱却できているらしい。
逆にY会をたとえやめたとしてもその悪口や議論出来なかった人、その様な環境がなかった人は何年経ってもカルト思想から脱却出来ていない。人によっては自殺に至るらしい。
□Y会においてもマスコミに問題視されたり事件などを起こして世間で問題視され、組織が揺れるとやめる人が多いらしい。
教義でやめるやめないが決まるのではなく個人的な理由でやめるかが決まる。
また、参加者の皆さんにJSCPRなどを良く活用するように、とのこと。(そううそにとってこの一言は私自身とても嬉しく共感しました。)
楠山氏曰く
創価学会やK会は怨念と復讐心を持っている。
一定の敵がいない(と行動やエネルギーの継続が出来ないので)と次々と敵を見つける。敵が必要な宗教。
H氏曰く
□創価学会やK会に入ると謝罪する事から解放される
□反省しない教団がのびる
?氏曰く(眼鏡かけた青シャツの人?)
□世の中を変える事が出来るのは我々だけという選民思想があり充足感を持つ。
メモは以上。
////////////////////////////////////////////////////
////////////////////////////////////////////////////
そううその感想としては島田氏のお話がとても共感できました。
カルト問題の何処に問題があるのかよくご存じであり、また苦しみも理解して頂いているように感じました。
島田氏にお会いできて少しだけでも話せて良かったと思います。
また、この様な機会を作って下さった、楠山氏、犀角独歩さん、大明寺の皆さん、様々に教えて下さった皆様、とても感謝しています。
有り難うございました。
2007-09-26 18:44:40 アップロード
2007-09-12 00:12:27
本当は前日から参加したかったのだけれども二日目からの参加になってしまいました。私自身が吸収できていなかったり異論や疑問もありましたがメモとして残しておきます。
1.資料館を拝観
お寺にある様々な本尊や資料を見る事が出来たのは貴重な体験でした。思いがけない幸運でした。
以下、メモ。
2.「立正安国論を現代に読む」 楠山泰道氏
□日蓮の法華経観は現実主義。
□日蓮の思想や行動は危険人物ではない。K会や創価学会のように問題言動や危険な言動で一般の人々に日蓮が危険と思われる事自体が謗法。排他性や本仏論などの神格化などがこれにあたる。
□末法自体仏説ではなく後世の考え方だが現在を末法として捉えても折伏より摂受(しょうじゅ)が優先。
□日蓮の四箇格言(しかのかくげん)がある。(四箇格言自体、後世の単語。)
念仏無限地獄といった理由の一つに
まず最初に”法然が阿弥陀経以外は捨てなさい”、経文を捨てなさいと”先に”言ったのは日蓮ではなく法然。法然の思想がこの世の中の現実から目を背けて現実否定論だったので、無限地獄と批判した。
□”法然が阿弥陀経以外は捨てなさい”など、鎌倉時代は”これだけ””これだけあれば良い”という風潮があったらしい。日蓮は排他主義を否定している。
□鎌倉時代の世の中が非常に悪い状況であり、世の中を良くしようとしての日蓮の他宗への批判があった。
□日蓮遺文を読む際に誰に対しての遺文なのかを良く見極める事。(切り文などでいわゆる教団都合、創価都合の解釈で悪用されていないのか?)
2.「公明党vs.創価学会」 島田裕巳氏
□創価学会は先祖供養や戒名などに興味がない。
□戦後の新興宗教、新宗教といっても過去の宗教の延長線上にありその教えを含んでいる。全くの新しい宗教ではない。創価学会は日蓮正宗から生まれた。
□日蓮の実像 ←→ 遺文からの想像や解釈や捉え方 に各人の差があり議論や異論が生まれる。
□守護国家論 → 立正安国論 の順に出来ており、守護国家論は安国論のベースか?
守護国家論が出発点であり重要ではないのか?
守護国家論、立正安国論は体系的であり論理的構成。
他宗との差異が大きくアジテーションをするつもりが無かったが結果的にそうなってしまったのでは?
□五時教判(ごじきょうはん)など現代から見ると天台教学には間違いがあったが、日蓮自身は自分自身は間違っていないと考えていた。
日蓮自身、「自分はこんなにも正しいのに伝わらないのか?」(A)と考え、日蓮も宗派も「法難だ、迫害だ」という意識をもってしまうかも?
□一念三千という捉え方、物の見方。法華経にはこの単語はなく、天台の釈。
浄土宗は法華経を否定。曹洞宗は法華経も涅槃経も読む。
しかし先の一念三千は日蓮系(天台)にしか通用しない。他宗は一念三千を知らない(重視しない?)ので(A)の様に理解されなかった。理解されないと余計、日蓮は一念三千に傾倒する結果になったのでは?
□日蓮宗というよりは法華宗というべきでは?
□霊友会は法華経を離れているが立正交成会は原始仏教系に原点回帰。
日蓮正宗は独特な教義、宗派でありさらに牧口氏と正宗との出会いがあり、正宗、日寛教学、創価教学(牧口、戸田、池田)4重、5重の独特な教えになり、日蓮と同様、それが周りに理解されていない。
□教学などを創価も正宗も訂正できない。
□自民と民主の大連立を創価公明はおそれている?
□池田氏の日中国交正常化が潮で賞賛されており、当然、潮には創価から依頼。(創価の自画自賛らしい。他に一般人で賞賛した人はいたのか?)
□創価学会幹部によると「過去や歴史を振り返らない」
3.勉強会 講演メモ
□カルト団体に残っている人、残らない人、でそれぞれに性格などの共通性はない。
但し、某Y会をやめた人の共通項として、女性が疑問を持ちその女性とつき合っている男性や家族、あるいはY会の外につき合っている女性がいるとやめていく男性が多いらしい。
つまりは女性主導が多い、ということ。
□Y会にも「ある物」が日本の全生産量の1%以上になったら何かが起こるのでは?、というユートピア思想があった。
□Y会をやめてその悪口を言えるグループがありその期間が一、二年間あった。が、頭の中はY会の思想、思考があった。
Y会をやめてそのグループにいて悪口や議論(愚痴も?)できた人はカルト思想から脱却できているらしい。
逆にY会をたとえやめたとしてもその悪口や議論出来なかった人、その様な環境がなかった人は何年経ってもカルト思想から脱却出来ていない。人によっては自殺に至るらしい。
□Y会においてもマスコミに問題視されたり事件などを起こして世間で問題視され、組織が揺れるとやめる人が多いらしい。
教義でやめるやめないが決まるのではなく個人的な理由でやめるかが決まる。
また、参加者の皆さんにJSCPRなどを良く活用するように、とのこと。(そううそにとってこの一言は私自身とても嬉しく共感しました。)
楠山氏曰く
創価学会やK会は怨念と復讐心を持っている。
一定の敵がいない(と行動やエネルギーの継続が出来ないので)と次々と敵を見つける。敵が必要な宗教。
H氏曰く
□創価学会やK会に入ると謝罪する事から解放される
□反省しない教団がのびる
?氏曰く(眼鏡かけた青シャツの人?)
□世の中を変える事が出来るのは我々だけという選民思想があり充足感を持つ。
メモは以上。
////////////////////////////////////////////////////
////////////////////////////////////////////////////
そううその感想としては島田氏のお話がとても共感できました。
カルト問題の何処に問題があるのかよくご存じであり、また苦しみも理解して頂いているように感じました。
島田氏にお会いできて少しだけでも話せて良かったと思います。
また、この様な機会を作って下さった、楠山氏、犀角独歩さん、大明寺の皆さん、様々に教えて下さった皆様、とても感謝しています。
有り難うございました。
2007-09-26 18:44:40 アップロード
2007-09-12 00:12:27
私は以前ある方から脱カルト系セミナー等に参加するよう熱心に連絡を受けたのですが事情があって参加できなかったのです。参加できないことを説明したのにもかかわらず再度再度熱心に連絡を受けたので最後はキレました。(時間的余裕がないのが理由ですがヘンな断り方をしたのがマズかったのだと思いますし、熱心さがカルトをフラッシュバックしたのです)もちろん事情よりセミナー参加が重要であれば参加したと思いますがそこまで無理して行くのは脱カルトなカルトな気がします。(私は事情がなければとっくにセミナーに参加していたと思います)
と、個人的事情を書いてしまいましたが、そううそさんの今回のような紹介記事はありがたいです。私は別のレスで「憎悪」のことを書きましたが私はいまだに大衆宗教を「引きずって」いるのだなぁと思いました。(まあ「引きずって」いても仕方なく、自覚して気をつけなければですね)
こんばんは。Leoさん
>脱カルト系セミナー等に参加するよう熱心に連絡を受けた
>再度再度熱心に連絡を受けた
>熱心さがカルトをフラッシュバックしたのです)
私はJSCPRから熱心に連絡を頂く事はありません。
行けなくて(今月も(^_^;A)ても、次の機会には行きたいですね。
創価学会の会合参加の、お願い、要請、会合参加のための家庭訪問などありますからそれとフラッシュバックしないように気を遣っているかもしれませんね。
メールでどこに住んでいるのか、こそっと教えて下さいまし。
>私はJSCPRから熱心に連絡を頂く事はありません。
念のため説明しておきますと講師や役員の方からでなくある熱心な参加者の方からでした。
参加者の方(の一部)は発展途上ということで大目に見てあげないといけないのですね。
役員と思われる方は(半)強制などなく、ごくたまにメールで案内が来るぐらいでしたよ。(来るものは拒まず去るものは追わずという感じで)
たとえが悪いですがア○ウェイの製品でも何でも売る人が売れば悪徳商法になってしまいますので、いくら製品が良くてもということで。
>メールでどこに住んでいるのか、こそっと教えて下さいまし。
(こそっと)多分そううそさん在住半径100km圏内な気がします。
そういえば、脱線してしまいますが、題目に力があるとよいですね。大衆宗教の方は題目の力で勧誘も集金も票依頼も呪詛も自画自賛もなく幸福になっていただきたいと思う今日この頃です。
>参加者の方(の一部)は発展途上ということで大目に見てあげないといけないのですね。
私は脱カルト自体や問題提起に否定的でないのでもう少しフォローしてみます。
私はN先生の著書や、S先生の著書を読んだことがあります。
S先生はカルト的宗教の体験があったとのことだそうですね。
そういう体験があったことで問題意識がより明確になったのではないでしょうか。
(団体は違っても色々あるわけで確かにカルト的宗教の体験ない方は逆に問題がわかりにくいかもしれないです)
脱カルトの講師の方にもカルト的宗教の体験があった方がおられるのは救われる気がしますね。
私は高い授業料(のようなものを)払って(費やして)カルト的宗教を体験したが決して無駄ではなかったと。
皆様立場や環境は違いますがそれぞれ道を歩いて行きましょう。
こんばんは。
>題目に力があるとよいですね。大衆宗教の方は題目の力で勧誘も集金も票依頼も呪詛も自画自賛もなく幸福になっていただきたいと思う今日この頃です。
そうですね。先の過去記事でLibraさんから教えて頂いた事も大事な点だと思います。祈り方の一つとして私の言葉で書くと、
「具体的に自分や他人にとっての幸不幸はどういう事か?どういう言動(行動)をするべきか?自分はどんな言動をしてきたか?」
という事だと思います。まじない信仰や、組織依存や池田大作依存のカルト信仰ではないでしょう。「あいつは敵!」「あいつは許せない!」というのは仏教者どころか宗教者でもないでしょう。「新聞啓蒙しなければ!」「折伏しなければ」「師弟不二!」というのはカルト信仰でしょうね。
念仏を唱えても題目を唱えても何を唱えても良いでしょう。言動の方が大事かと。本尊もそんな感じです。何でもいい気がします。どれもこれも人が作った物ですからね。過去記事に書いたとおり経文は「内容が役に立って人の幸福に貢献するかどうか?宗教的な原動力になるか?」という事だと思います。本尊も題目も経文と同じくどれも等しい立場にあると思います。
法華経そのものの題目は無内容ではないでしょう。日蓮の唱えた題目も無内容ではないでしょう。
Libraさんの過去のコメントの説明を創価学会の婦人部のおばちゃん達に分かるように翻訳して、どの様に説明したら良いんでしょうかね?(^_^;)
但し、日蓮自身が「私は正しい!」という自画自賛ばかりで反省が少ないので日蓮の遺文だけから仏教を学んだり、”日蓮仏法が全てだ!”と重うと、必ず創価学会員のような、「謝罪しない」「反省しない」「方向転換を考えない」「振り返らない」「威張る」「罵倒する」etcなどなどが出てくるんでしょうね。
私も「いつか願いが叶ってこの苦しみが消える、あるいは解消される」と”間違った形”で考え、祈り、思い、また、信じていましたから今の現状があるのは当然だと思います。
>Libraさんの過去のコメントの説明を創価学会の婦人部のおばちゃん達に分かるように翻訳して、どの様に説明したら良いんでしょうかね?(^_^;)
(以下は思考実験なのでもちろん要批判です)
たとえば、
「SGは仏教から転落したから、このままでは地獄に落ちる」
(本当はこういう表現はしたくないのですがショック療法的に)
というのはどうでしょうか。
> 但し、日蓮自身が「私は正しい!」という自画自賛ばかりで反省が少ないので日蓮の遺文だけから仏教を学んだり、”日蓮仏法が全てだ!”と重うと、必ず創価学会員のような、「謝罪しない」「反省しない」「方向転換を考えない」「振り返らない」「威張る」「罵倒する」etcなどなどが出てくるんでしょうね。
日蓮が幕府の寄進を断って最後に身延に隠棲したのは反省の一種に思えるのですが(あまり戦闘的でないと思います)。
それに日蓮は時々涙もろい面もあったようです。
Libraさんは批判は論点について行い人格批判はするべきでないというのを仰られていたと思いますが、
(そういう意味で日蓮は敵に物理的危害を加えろと主張していないのは妥当と思っています)
それでも日蓮の過激な御書の部分(表現)は気になってました。
考えるに日蓮の癖やパーソナリティまで真似することはないのだと思います。
日蓮のやりたかったことは仏教の復興と思いますが、現代においては現代の知識でやればよいのだと思います。
といいつつメンタルな話しに行ってしまいますが(鎌倉時代の枠組みではありますが)日蓮が日本国や人を本気で救いたいと思った気持ち(だけ?)は尊いとは思います。
現代に目をやって本気に人を救いたい人が勲章や名誉称号や名誉博士号を収集したりしないと思いますがどうでしょうか。
(何かに頼りたい一部の人を救ってはいるのかもしれませんが)
Leoさん
>「SGは仏教から転落したから、このままでは地獄に落ちる」というのはどうでしょうか。
やはり日蓮と比較するのが一番な気がしてきました。。。。。。。。。。。
>考えるに日蓮の癖やパーソナリティまで真似することはないのだと思います。
>日蓮のやりたかったことは仏教の復興と思いますが、現代においては現代の知識でやればよいのだと思います。
おお!これこれ!!!!!!!
私も最近、この様に同じ事を考えていました。
学会員や日蓮系の人は、日蓮の性格までもが最も素晴らしい!と勘違いしている気がします。
日蓮の頭の良さや慈悲や思いやりは見習うべきですが、日蓮も人間。性格的な(悪い?)部分は除外して考えないと行けないと思います。
日蓮の性格を目指す必要はないかと思います。
やはり日蓮本仏論や大御本尊の「絶対!」「絶対正しい!」という思想が原因であり間違っていますね。
>日蓮の性格を目指す必要はないかと思います。
やはりそのようです。
(一例としては)京ことばが嫌いなのは京都にトラウマがあるからなのですね。
「定めてことばつき音なんども京なめりになりたるらん、ねずみがかわほりになりたるやうに鳥にもあらずねずみにもあらず田舎法師にもあらず京法師にもにずせう房がやうになりぬとをぼゆ」
(法門申さるべき様の事)
>やはり日蓮本仏論や大御本尊の「絶対!」「絶対正しい!」という思想が原因であり間違っていますね。
現代では日蓮本仏論は日蓮やその直弟子の思想でなく本門戒壇之大御本尊も偽作ということが明白になってきたのですね。
○ 初期興門教学には「大石寺流宗祖本仏思想」はなかった (Libraさん)
http://fallibilism.web.fc2.com/z008.html
○ 所謂「本門戒壇之大御本尊」の真偽について(犀角独歩さん)
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html
日蓮には意外と可謬主義の面もあるようです。
「なんどの種種の大難出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり」(開目抄)
(ここからナイショ)私は現代で誰か崇拝するんだったらビッグでグレートなロックンローラか某国女優某さまにしときます。
>日蓮のやりたかったことは仏教の復興と思いますが、現代においては現代の知識で
>やればよいのだと思います。
仏教は大昔の思想ですから、復興などしたら文明が逆戻ります。まあ出来ませんが。
日蓮の時代にはまだ仏教は生きていました。現代思想でした。日本でも蒙古でも。
わが国では江戸時代にはもう仏教は役目を終え、儒学と洋学の時代になりました。
さて仏教というのは正しく考え、正しく生活する教えであり、仏が説いたから正しい
のではなく、正しいことを説いたお方が仏です。ですから現代人は現代の哲学と科学
によって考え、生活するのが正しいのであり、それこそが真の仏教徒です。
仏教そのほか人類の過去の思索の歴史を学習することは、古代・中世の人々が
何を誤ったかを理解できますし、また何が現代の文明へと発達させた正しい着想
であったかを振返れます。しかし直接に現代人の生活に役立つことは少ないのです。