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2013年12月23日。1. 【巨人】阿部、本物の巨人愛!代打になっても

2013-12-23 17:22:50 | 日記
2013年12月23日
天皇誕生日傘寿!。
スポーツ、
1. 【巨人】阿部、本物の巨人愛!代打になっても「しがみついていたい」
スポーツ報知 12月23日(月)7時2分配信

【巨人】阿部、本物の巨人愛!代打になっても「しがみついていたい」

大勢のファンとハイタッチをしながら入場した阿部

 巨人の阿部慎之助捕手(34)が22日、後輩に「生涯巨人」のススメを説いた。長野・松本市内のホテルでトークショーを開催。メジャーに挑戦する選手が増える現状について「どれだけやれるか見てみたいけど、日本のプロ野球は大丈夫かと思うこともある。若い選手にはずっと巨人のユニホームを着たいと思ってもらいたい」と熱弁。魅力あるチームであり続けるために「常勝」を宣言した。

 観衆から、この日一番の大きな拍手が送られた。阿部が「巨人愛」を口にした時だった。「1年でも長く現役をやりたい。大道さんみたいに(代打専門に)なっても巨人にしがみついていたい。僕をここまで育ててくれたのは巨人だから」。巨人で燃え尽きることを約束すると「ヨッ、慎之助!」と声が飛んだ。力強い言葉だった。

 阿部の「生涯巨人」宣言は初めてではない。この発言には、後輩へのゲキが込められていた。イベント後、その胸中を明かした。「若い選手には巨人のユニホームをずっと着たいと思ってほしい。いつか(高橋)由伸さんも俺もやめるときが来る。その時にそう思う選手がいなかったら(チームは)弱くなるだろうから」。主将としてチームを思う気持ちを熱弁した。

 背景には、楽天・田中ら若手選手がメジャー挑戦を熱望することだ。海外挑戦について「どれだけやれるのか見てみたい」と理解を示しながらも「日本のプロ野球は大丈夫かって思うこともある」と危機感を募らせた。巨人では長野、坂本、菅野ら、これからFA権を取得する主力選手が多いだけに「生涯巨人」の気持ちを胸に、全力を尽くしてほしいと願っている。

 若い選手にとって、魅力あるチームづくりとは何か。具体策を聞かれると、こう続けた。「勝ち続けることじゃないかな」と明かした。「勝って実績を積めば、自覚も出てくるだろうから」。自身がそうだったように、伝統ある巨人軍の中心選手として活躍し続ければ、自然とチームに対する誇りや責任が生まれると考えている。

 今月上旬、米ニューヨークでヤンキー・スタジアムを見学した際、伝統球団の重みを痛感した。「(ヤンキースの)歴史がすごい。今はジーターというリーダー、いい目標がある」。巨人でも自身が先頭に立って、若手に伝統を伝え、1年でも長くユニホームを着続ける覚悟だ。「来年は何としても日本一を奪回したい」と宣言して、熱血トークショーを締めくくった。

 ◆過去のG阿部の訓示 昨年1月の米グアム自主トレで大田に「今年だめだったら、野球をやめるつもりでやれ」と猛ゲキ。今年のシーズン後には「自分に何が必要か一人で考えてやれ」と突き放した。普段から長野、坂本には「どんなにダメでも絶対に下を向くな」と指摘。今季、8月に投手陣が打ち込まれて3連敗した時、ミーティングで「これからもっと厳しい戦いが待っている。準備とか、やることをしっかりやって試合に臨もう」と訓示した。
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2. 西武が狙う巨人の人的補償メンバーはだれ?
Full-Count 12月22日(日)9時7分配信

内野手が手薄になっている西武

 西武から巨人へとFA移籍した片岡治大内野手に関連して、今度は人的補償リストが巨人から西武に届いた。西武はその中から、どんな選手を選ぶのだろうか。ロッテへ移籍した涌井秀章の抜けた先発投手も考えられるが、目先の補強としてはやはり内野手になるだろう。

 西武を率いる伊原監督は将来の主力候補となる金子侑司内野手(23)をショートのレギュラーに据えようとしている。今季打点王の浅村栄斗(23)を二塁で起用するプランも浮上しているが、高い守備力を誇る永江恭平内野手(20)、鬼崎裕司内野手(30)が二塁を守り、浅村を三塁、おかわり君こと中村剛也(30)を一塁で起用するのが現時点で自然の流れと言えるだろう。

 しかし、永江も鬼崎もいい選手ではあるが、攻撃力に欠ける。一方で、片岡の流出で西武は内野手が手薄になっている。そこで人的補償で巨人から獲得する候補に挙がってくるのが、藤村大介(24)、脇谷亮太(32)、立岡宗一郎(23)といった二塁手のできる選手たちだろう。彼らは来年加入する片岡や井端弘和(38)、ポストシーズンでも活躍した寺内崇幸(30)ら5人以上と巨人でレギュラー争いをしなくてはならない。勝ち抜くのは大変なことだ。

 藤村大介は、一昨年の盗塁王。俊足ではあるのだが、守備がまだ未熟なプレイヤーで、打撃も好不調の波があり、完成しているとは言い難い。ただ、走力に関しては12球団トップレベル。伊原野球に“はまる”可能性は十分にある。打撃に関してもまだまだ伸びしろのある選手で能力も高い。

 脇谷亮太は、一昨年、右肘の手術を受けて、巨人と育成契約を結び、長いリハビリ生活を乗り越えた。今年は開幕戦の広島戦で決勝タイムリーを放ち、お立ち台に上がった。二塁だけでなく、三塁もこなし、なおかつパンチ力もある。外野の間を抜けていく打球は痛烈。プロテクトされている可能性もあるが、外れているのであれば、高い戦力として加わることになる。

 立岡宗一郎は思い切りのいいスイングが売り。走攻守3拍子そろった内野手だが、昨年7月のイースタン・リーグ楽天戦では左肘靭帯を損傷する大怪我を負った。フォロースルーを取れなかったため、不慣れな左打者に挑戦し、生きる道を見出した。左打席を自分のものとし、今年はプロ初安打を放つなど、つぼみが咲いた若手内野手。守備はまだ荒削りだが、内外野を守れるのも強み。使ってみたくなる選手である。

 伊原監督といえば、1987年の巨人と西武の日本シリーズでの伝説の走塁が思い浮かぶ。第6戦の8回裏、西武が2-1と1点リードで迎えた二死一塁の場面で、秋山幸二がセンター前にヒットを放った直後だった。通常は一、二塁もしくは一、三塁になるが、一塁ランナーの辻発彦は一気にホームイン。その際、西武の三塁コーチだった伊原監督は、相手のセンター・クロマティの返球が緩慢であったことや、ショートの名手・川相昌弘の打者走者ばかりを気にする癖を見抜き、辻に突入を指示していた。その洞察力と判断力は見事だった。

 そんな指揮官が率いる西武が上記の3選手を高く評価している可能性はある。伊原監督の緻密な野球を教え込めば、より攻撃のバリエーションが広がるからだ。球団関係者はリストを見て、いい選手がいたことをほのめかした。年明けの決定が注目される。

3. ロッテ・GG佐藤、少年ファンからの“禁断”の質問に絶句
サンケイスポーツ 12月22日(日)16時36分配信

ロッテ・GG佐藤、少年ファンからの“禁断”の質問に絶句

トークショーで話すロッテのG・G・佐藤(左)と古谷=千葉・ららぽーとTOKYO-BAY(撮影・塚澤健太郎)(写真:サンケイスポーツ)

 ロッテのG・G・佐藤外野手(35)が、少年ファンからの“禁断”の質問に絶句した。

【写真で見る】立ち上がり身振りで捕球指導するG・G・佐藤も顔は苦笑いで…

 22日、千葉・船橋の「ららぽーとTOKYO-BAY」で古谷拓哉投手(32)とトークショーを行い、市川出身のG・Gは「ららぽーとは、よくデートスポットに使っていました」とオープニングからノリノリ。ところが野球教室で少年ファンから「どうやったらフライを捕れますか?」と、まさかの質問が飛び出した。

 2008年の北京五輪で、飛球を2度落球したことで有名なG・Gは「トラウマがあるんで…。ヤバイね。勇気を振り絞ってしゃべるか」と苦笑いすると、観客は爆笑。

 「フライは必ず落ちてくるので、自分から捕りにいってはダメ。後ろの打球は半身になって下がって。僕が言うのも何なんですけど、たくさんノックを受けて上手くなって下さい」と丁寧に答えた。
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4. 黒田撃ち“絶倫”右砲ゴメスの怖さ 4番の真価2年後!?
産経新聞 12月22日(日)18時18分配信

黒田撃ち“絶倫”右砲ゴメスの怖さ 4番の真価2年後!?

阪神の“熱血”オマリー打撃コーチ補佐。伊藤隼(左)も、ただ黙って聞くだけ…=高知県安芸市の安芸市営球場(白鳥恵撮影)(写真:産経新聞)

 阪神の来季、新4番打者候補はマウロ・ゴメス内野手(29)=前ナショナルズ=だ。中南米出身の新外国人選手が大暴れしてくれれば、和田豊監督(51)の悲願である9年ぶりの優勝も見えてくる。抑えの切り札、呉昇桓(オ・スンファン)投手(31)=前韓国サムスン=と投打の新戦力が虎をVに導くか。今週はゴメスについて、もう少し書きましょう。

■あの「逆転おまじない」オマリー流の指導…ただ、熱心すぎ

 新4番候補のゴメスはドミニカ共和国生まれです。最近、日本プロ野球では中南米出身の選手の成功例が極めて多いんです。ヤクルト・バレンティンは今季、60本塁打を放ち、日本記録を更新。DeNAのブランコは打点王、中日・ルナも前半戦は大活躍しました。

 阪神球団が筆頭候補だった李大浩(イ・デホ)内野手=前オリックス=の獲得を回避して方向転換。ゴメスに至った理由としても、ポテンシャルを評価するとともに、ハングリー精神が旺盛で、日本の野球に溶け込もうとする姿勢が、中南米の選手たちに見られる点があったからですよ。和田監督も高く評価していましたね。

 「パワーヒッターであることは間違いない。パワーは今年一番足りなかったところ。そういうものがあるかないかで相手に与える印象や恐怖感が違ってくる。核になってくれるような打撃をしてほしい」

 期待は膨らむ一方です。監督自身、昨年末にドミニカのウインターリーグを視察、さらにビデオでもチェックしています。

 「ヤンキースの黒田投手とも対戦している(昨年の)ビデオも3打席見たが、最初の2打席はスライダーで打ち取られていたが、3打席目はそのスライダーをヒットにしていた。変化球にも対応できるスイングで、とにかくフルスイングができる。そういう怖さを兼ね備えている迫力がある」

 黒田撃ち…。和田監督が成功を確信している根拠のひとつですよ。

 今季は12球団ワーストの82本塁打(トップは巨人の145本)でした。広い甲子園球場を本拠地とする阪神ですが、一瞬にして試合の流れを変えることのできる一発が出ない。これはチームの弱点であり、最大の懸案事項でした。それがゴメス加入で流れが変わるとすれば、大きいですよね。

 客観的な視点でも、ゴメスは評価されていました。ある米球界に詳しい野球関係者はこう話しています。

 「ゴメスは本当にいいですよ。パワーがありますし、柔軟性も持っています。かつて阪神はパワーヒッターを狙って、ディアーなどの外れを獲得しましたが、ゴメスは大丈夫ですね」

 ホンマかいな! と思うほどの絶賛。ただし、この人はこう付け加えました。

 「でも、本当に活躍するのは来日2年目からですね。1年目は日本の配球などに慣れないとダメです。なかなか順応できないでしょう。ゴメスが真価を発揮するのは2年後です」

 おいおい! それでは来季はどうするの…?

 当然ながら、球団側もゴメスに対する救済処置を施しています。それがトーマス・オマリー新打撃コーチです。

 オマリーコーチは10月に阪神復帰が決まりました。かつて星野監督時代に特命コーチとして、当時のアリアスなどを指導。2004年にコーチを退任後も駐米スカウトとして2009年まで阪神に在籍していました。4年ぶりの虎復帰ですが、阪神ファンからすれば、「甲子園に駐車場はありまへん」という、テレビコマーシャルでも有名ですよね。

 オマリーコーチは1991年に阪神に入団し、その後、主砲として4シーズン活躍。95年にヤクルトに移籍するや、野村監督の下で大活躍し、チームのリーグ優勝、日本一に貢献しました。

 今回はゴメスの教育係として、球団の期待も大きいんです。ゴメスとの正式契約の際は同席し、サイン直後から4番教育を施しました。

 「いろいろな情報を伝えたいんだ。少しでも早く日本の野球に慣れるように手助けしたい。いいパフォーマンスができるようにしたい。マートンがいることも大きいね。いいお手本になるよ」

 オマリーコーチはやる気満々ですよね。

 しかし、心配もあるんです。星野監督の下で特命コーチを担っていた際、主にアリアスを指導していたんですが、当時の関係者はこう話していました。

 「オマリーは熱心すぎて、アドバイスをしすぎるんだ。だから、アリアスは迷ってしまい、不振に陥ると抜け出すまでに時間がかかるんだ」

 オマリーをコーチから外した岡田監督の理由もそれでした。

 「いらんこと教え過ぎや」

 2004年当時、岡田監督はそう言い切り、逆にオマリーと外国人選手の間に距離を作ろうとしたほどです。

 その後、オマリーコーチは駐米スカウトを勤めていましたが、日本の野球を熟知している割に獲得した選手はダメでした。スペンサー、フォード、メンチ…。名前を聞けば皆さん、「あ~あ」とうなずくでしょう。スカウティング能力に疑問符がついて、2009年に契約を解除されたのです。

 それが、今回は中村GMと和田監督の希望でチームに復帰。外国人選手を中心とする打撃コーチとなったわけです。どうです、皆さん、安心ですか不安ですか?

 阪神は過去にも右打者の大砲獲りを目指しました。甲子園球場はライト側からホーム方向に強烈な浜風が吹きます。時にはライトからレフトへ。だから、左打者の長距離打者は出にくいんですよ。バースに掛布がいるじゃないか? それはそうですが、彼らは右方向に流し打てたから甲子園球場を克服できたんです。球団も甲子園の特徴を熟知しています。だから、右の大砲にこだわった過去があります。

 しかし、成功例は少ないですよ。先に出てきたスペンサー、フォード、メンチに加え、キンケードやディアー、古くはスタントン、デードなんて打者もいましたよね。合格点だったのはブリーデン、フィルダーくらいですか。失敗しているパターも似ています。内角の懐を厳しく攻められ、外角のスライダーに泳がされる。相手の投球術についていけないんです。

 さあ、ゴメスはどうでしょう。前評判はいいですよ。オマリーコーチとのタッグが功を奏するか。楽しみですね。

 次週はサンケイスポーツの企画でインタビューした坂井オーナーの話を中心に書いてみましょう。オーナーはチームの問題点を熟知していました。改革の熱意も相当なものですよね。早く優勝の美酒を浴びてもらいたいものです。

(植村徹也=サンスポ特別記者。火曜紙面でスポーツ界のキーマン直撃インタビュー「鬼筆・植村特別記者 徹也の部屋」を連載中)

植村徹也

平成2(1990)年入社。サンケイスポーツ記者として、阪神タイガース担当一筋。サンスポ運動部長、局次長、編集局長を経て、平成25(2013)年10月1日付でサンスポ初の「特別記者」に。阪神・野村克也監督招聘(しょうへい)や、星野仙一監督招聘を連続スクープした。現在、ラジオ大阪(OBC)の「News Tonight いいおとな」(月曜~金曜の午後9時から)と、「ニュース・ハイブリッド」(土曜の午後6時から)に出演中。また、大阪サンスポ紙面でも、スポーツ界のキーマン直撃インタビュー「鬼筆・植村特別記者 徹也の部屋」(火曜)を連載中。
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5. ノムさん、マー君メジャー挑戦は「正直、五分五分」
デイリースポーツ 12月23日(月)6時59分配信

ノムさん、マー君メジャー挑戦は「正直、五分五分」

マー君の去就を気にかける野村克也氏(右)

 元楽天監督の野村克也氏(78)が22日、メジャー移籍を希望している田中将大投手(25)について、複雑な胸の内を明かした。

 愛弟子の去就は気になっている。この日は千葉市内で、TBS系の年末特番「年またぎスポーツ祭り!KYOKUGEN2013」(31日、後6・00)の番組収録に、田中とともに参加。田中とバッテリーを組んだ。

 報道陣から、田中がメジャーに行くべきかどうかを問われると「正直、五分五分だ」。田中の気持ちを思うと「行かせてやりたい」が、一方で「プロ野球界を考えればとどまらせたい」という。「一流がいなくなると一流の選手が育たなくなる」と持論を展開した。その上で「(田中の)来年が心配。いいことばかり続けばいいけど」と漏らした。

 田中は番組収録で、恩師の構えるミットめがけて1球を投げ「監督に投げるのは非常に緊張しました」。プロテクターを着けた野村氏の姿に「貴重な姿を見られました」と振り返った。
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6. 【MLB】元西武の大砲A.カブレラ、母国でHR新記録を樹立!
ISM 12月23日(月)12時10分配信

【MLB】元西武の大砲A.カブレラ、母国でHR新記録を樹立!

母国ベネズエラで輝きを放つカブレラ。AP/アフロ

 かつて日本プロ野球の西武ライオンズなどでプレーしたアレックス・カブレラ一塁手が、母国ベネズエラのウィンターリーグで1シーズンの最多ホームラン記録を塗り替えた。

 カブレラは22日に行われた試合で、シーズン21本目のホームランを放ち、33年前に元メジャーリーガーのボー・ディアス(シンシナティ・レッズなどでプレー)が樹立した記録を抜き、偉業を達成した。また、ウィンターリーグのレギュラーシーズンはあと1週間ほどで終了するが、カブレラは現在、史上初となる打撃三冠王を狙える位置にいるという。

 今月24日に42歳となるカブレラは、2001年にアリゾナ・ダイヤモンドバックスから西武に移籍。2002年に当時の年間最多ホームランのタイ記録となる55本塁打を放つなど、チームの主軸として活躍した。2012年に一度現役を退いていたが、現在開催中のウィンターリーグで現役に復帰していた。(STATS-AP)

7.
ニュース、

1. <天皇陛下80歳>「天皇という立場、孤独とも思えるもの」
毎日新聞 12月23日(月)5時0分配信

<天皇陛下80歳>「天皇という立場、孤独とも思えるもの」

皇居・宮殿「千草の間」ベランダで撮影された両陛下の近影=2013年11月14日、宮内庁提供

 天皇陛下は23日、80歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち記者会見し、80年で最も記憶に残ることとして戦争を取り上げると共に、自らの務めに関し「天皇という立場にあることは、孤独とも思えるもの」と深い思いを明かし、そばで支える皇后さまへの感謝の念を語りつつ、天皇としての四半世紀について「役割を果たそうと努力できたことは幸せ」などと語った。今後に関しては「年齢による制約を受け入れつつ、できる限り役割を果たしていきたい」と述べた。

【天皇陛下の傘寿(80歳)に合わせて宮内庁が公開した写真の数々】

 会見で宮内記者会は、五輪招致への皇族の関与などで話題となった「皇室と政治との関わり」について質問した。陛下はこれまで具体的政策に関する質問には回答を控えてきたが、今回は個別政策名は挙げないものの「天皇は国政に関する権能を有しない」と定めた憲法第4条を取り上げ、「問題によっては、国政に関与するのかどうか、判断が難しい場合があります」と振り返った。

 その上で「できる限り客観的に、また法律的に、考えられる立場にある宮内庁長官や参与の意見を聞くことにしています」と自らの姿勢を示し、「今後とも憲法を順守する立場に立って、事に当たっていくつもりです」と憲法に従うとの考えを改めて強く示した。【真鍋光之、長谷川豊】

2. 沖縄を語る:稲嶺恵一さん(80)前沖縄県知事
沖縄タイムス 12月22日(日)12時19分配信

沖縄を語る:稲嶺恵一さん(80)前沖縄県知事

「普天間問題の岐路は、政府が沖合案を放棄した時だ」と語る稲嶺恵一前知事=浦添市西洲・りゅうせき本社

 「住民の反対を考えた場合には法的にあり得ても、現実にはあり得ない」
 米軍普天間飛行場の移設へ向けた名護市辺野古埋め立て申請への仲井真弘多知事の判断が迫る中、稲嶺さんは、代替施設建設の実現可能性に強い疑問を持つ。
 「歴史を常に検証しなければいけない。仲井真さんが考えている実現可能性が一番大事だ」
 今から14年前の1999年12月。普天間の代替施設を受け入れた。
 毎晩、泡盛を酔いつぶれるまで飲んだ。「基地問題が頭から離れない。飲んで、忘れるためじゃない。眠れないんだ」
 他県の知事では考えられない、県益と国益の間で決断を迫られる重圧。「誘眠剤とダブルで飲んだ」。2期8年、個人的な付き合いを犠牲にして知事職を全うした。 
 基地への反発が強い県民がぎりぎり許容できる案を模索した。それが軍民共用と15年使用期限の条件だった。2002年7月、辺野古集落から2キロ離れた沖合への建設で政府や県、名護市が合意。「なるべく環境に配慮した案」だったが、それでも阻止行動は収まらなかった。05年9月2日。政府は辺野古沖ボーリング調査のやぐらを撤去した。
 「知事をしていて1番ショックだった。(政府の沖合案放棄で)普天間問題は進まない、これが歴史かなって。あれが岐路だった」
 政府は一方的に辺野古沖合を断念。地位協定上、立ち入りが規制されるキャンプ・シュワブ沿岸が工事を進めやすいと考えたからだ。「一つの机上の空論だ。現実をあまりにも知らなすぎる。よくよく(沖縄の状況を)分かっていない」
 その後、政府は島袋吉和名護市長との間で滑走路を2本建設するV字案に合意し、反対する県は孤立。県内世論はさらに分断された。
 「沖縄は全国で1%の発言力しかないのに、0・5%同士になったら誰も相手にしない」
 05年7月、金武町キャンプ・ハンセンに完成した米軍の都市型戦闘訓練施設を住宅地から遠い安全な場所へ移設させるため県民集会に参加。保守系知事でありながら、初めて赤ハチマキを締め、住民とデモ行進した。「県内世論として1本化したものに対しては、政府は当然考慮を払う」。経験から学んだ。
 知事時代、県民の怒りをよく「マグマ」に例えた。
 「国の安全保障は国民全体で取り組むべき課題だ。怒りの蓄積は、基地と接する県民は肌身で感じているが外からは見えない。マグマがいつ外に飛び出すか分からない状況は、今も同じだ」
(政経部・知念清張)

3.<汚染水>貯蔵タンク囲むせきから漏れる
毎日新聞 12月22日(日)20時39分配信

<汚染水>貯蔵タンク囲むせきから漏れる

漏えい時の様子=東電提供

 東京電力は22日、福島第1原発の汚染水を貯蔵するタンク群を囲むコンクリート製のせきの計4カ所から、放射性物質を含む水が漏れたと発表した。いずれも近くに排水溝はなく、東電は「海への流出はない」としている。

【東電による対策実施後の様子】

 このうち1カ所は21日に見つかった。東電がせきに残る水を調べたところ、放射性ストロンチウム90が、東電の暫定基準の約9倍に当たる1リットル当たり93ベクレル検出された。漏れた量は約1・6トンで、コンクリートの継ぎ目から漏れたとみられる。

 22日午後4時過ぎには21日と同じタンク群と別のタンク群でも新たに計3カ所で漏れが見つかり、放射性物質の濃度や原因を調べている。【河内敏康】

4. 6月に分派批判の演説=以前から張氏粛清計画か―金第1書記
時事通信 12月22日(日)14時30分配信

【ソウル時事】韓国の聯合ニュースは22日、北朝鮮の金正恩第1書記が今年6月19日、労働党、軍、内閣などの高官を集め、「唯一領導体系10大原則」の改定を発表するとともに、分派主義者を批判する演説を行っていたと伝えた。聯合は、今年前半から張成沢氏粛清計画を進め、演説や「10大原則」改定はそれを念頭に置いたものだった可能性を指摘した。
 演説内容と新たな10大原則全文を掲載した朝鮮労働党出版社発行の小冊子を聯合は入手した。それによると、金第1書記は演説で、金日成主席と金正日総書記が「分派主義、事大主義をはじめとしたあらゆる反党的思想潮流」を粉砕してきたことを強調した。
 張氏粛清を決定した8日の党政治局拡大会議で、張氏は「同床異夢、陽奉陰違(面従腹背の意)」と批判されたが、これに先立つ形で「10大原則」は、「同床異夢、陽奉陰違に反対し、闘争しなければならない」と新たに明記していた。
 「10大原則」の改定は1974年以来39年ぶりで、崔竜海軍総政治局長と趙延俊党組織指導部第1副部長が深く関与したとみられる。

5. 東京タワーが開業55周年 「脱・観光地」目指す
THE PAGE 12月22日(日)21時20分配信

東京タワーが開業55周年 「脱・観光地」目指す

[写真]東京タワーの「脱・観光スポット化」を目指すと語る日本電波塔株式会社の取締役常務執行役員の東海林晃氏

 東京タワーが12月23日に開業55周年を迎えた。いわずと知れた人気観光スポットで、今年6月には通算の来場者が1億7000万人を突破。「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」など映画や歌などに登場することも多く、近年は、趣向を凝らしたライトアップの印象も強い。東京スカイツリーがオープンし、電波塔としての役割の多くは譲ったが、東京の中心にあって、いまなお強い輝きを放っている。

【図解】2012年5月に開業 スカイツリーを数字で読み解く

 この55年はどんな時代だったのか、東京スカイツリー開業後の戦略は何か、東京タワーを運営する日本電波塔株式会社の取締役常務執行役員の東海林晃氏に聞いた。
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東京タワーが開業55周年 「脱・観光地」目指す

[写真]高さ333メートルの東京タワー。1958年の開業当時は世界一の高さを誇った

総合電波塔として誕生

 東京タワー(東京都港区)は1958年12月23日に総合電波塔として開業した。建設機関は1年半で、総工費は当時の金額で約28億円。設計は、通天閣(1955年)や名古屋テレビ塔(1954年)と同じ内藤多仲(ないとう・たちゅう)が受け持った。高さは333メートルで、当時は仏エッフェル塔をしのぎ、自立鉄塔としては世界一の高さを誇った。本来の役割は、関東一円にテレビやラジオの電波を届けることで、1959年にテレビ各局の電波発射を開始。しかし半世紀後の2013年5月、NHKと民放5局の電波送信は東京スカイツリーに切り替わった。

 ちなみに、東京タワーの高さ「333メートル」という数字は、関東エリアの半径100キロ圏の電波をカバーするために必要な高さとして設計されたもの。偶然ではあるがオープンした1958年は昭和33年である。
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開業翌年に493万人の来場者

 東海林常務は「この55年で、東京タワーから見える景色もすいぶん変わった」と話す。大展望台は150メートル、特別展望台は250メートルの高さから、東京を一望できる。当時は、東京タワー周辺には霞が関ビルや世界貿易センタービル(浜松町)などしか高いビルがなかった。存在感は相当なものだったはずだ。

 総合電波塔として建設された東京タワーだったが、当時としては規格外の高さと、東京都港区という立地、赤と白で彩られた美しいフォルムで、すぐに観光名所として定着していく。来場者は開業翌年の1959年度に史上最高の493万人を記録。開業当初は「何もしなくてもお客さんが来る状態。イベントをすると逆に混乱が起こる危険があるくらいだった」(東海林常務)で、東京タワーの入場客が「タワーの周りをぐるぐる巻いて、もみじ谷から増上寺の脇を通って浜松町の近くまで並んでいた」という。

 それから昭和年代、来場者は修学旅行や「はとバス」などの団体客が中心で、それなりに安定した集客があったが、昭和50年代には、池袋のサンシャイン60(1978年)や東京ディズニーランド(1983年)などさまざまな観光施設がオープンし、昭和の終わりごろには、年間200万人台にまで落ち込んでいた。
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転機は夜間ライトアップ

 そんな折、転機となったのは、1989年(平成元年)から始まった夜間ライトアップだ。このライトアップは「東京の夜景を変えた」といわれるほどのインパクトで、照明デザイナーの石井幹子(もとこ)さんの監修によるもの。それまでは、塔の頂点から四隅に沿って電球で飾るイルミネーションだった。また営業時間も、夏場でさえ午後8時までだったが、ライトアップ開始に合わせて延長された。

 それによって来場者は400万人台に届くくらいまで伸びた。ライトアップを始めた1989年には、来場者は通算1億人を突破した。しかしまた次第に客足は落ち、開業50周年の2008年には、東京タワーが七色に変化する新しいライトアップ「ダイヤモンドヴェール」をスタートさせた。これは土日祝日の午後8時から10時までの時間限定で登場するもの。来場者は、東日本大震災があった2011年に落ち込んだが、2013年6月には通算来場者が1億7000万人を突破した。
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スカイツリーとは「共存共栄」

 2012年5月22日、高さ634メートルの東京スカイツリー(東京都墨田区)がオープンした。早くも東京の人気観光スポットとなり、開業から1周年での展望台への来場者は638万人に達した。東京タワーの人気に影響はあったのか。来場者数でみると、東京スカイツリーが開業した2012年度は243万人で、前年より2万人だが微増しているという。

 東海林常務は「東京全体が盛り上がって人が増えることはいいこと」だと解説する。下町に最新のタワーがあって、山の手に歴史あるタワーがあるということは、東京全体の観光としていいバランスで、相乗効果が期待できるのだという。東京スカイツリーの存在が、東京タワーにとってマイナスということはないようだ。

 また、東京タワーの展望台から見て、東京スカイツリーがある北東方向は、以前は人気がない方角だった。それが最近は、東京スカイツリーをスマホなどで撮影するお客さんが増加。景色のコンテンツとしても、良い効果が出ているという。
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「脱・観光地」目指す

 昭和年代は団体旅行の隆盛期だったが、平成に入ってくると「団体」から「個人」の時代になった。その意味で、東京タワーにとって、いま「脱・観光地」がキーワードになっている。観光地が悪いというわけではなく、東京タワーにはどうしても「地方出身者が行く観光スポット」「いつでも行ける」という根強いイメージがあるからだ。そういうイメージを払しょくし、いかに首都圏の若い世代にも、東京タワーに来てもらうか、がカギだという。

 例えば、仕事帰りのサラリーマンやカップルらが、ふらっと訪れるイメージで、いわゆる「デートスポット化」だ。東海林常務は「イルミネーションを始めて『夜』、つまり『個人』にシフトしてから、だいぶデートスポット化してきた」と話す。最近では「ドラえもん」特別展のようなイベントや、展望台でライブを開催するなど「ふらっと来てもらう」心地よい空間づくりのためのプラスアルファを模索している。

 そして今後は、案内ガイドの充実を目指すという。東京タワーが「東京の中心に位置すること」の強みを生かして「一望できる東京の街の案内ができるようにしたい」というのが東海林常務の夢だ。「展望台で、そこから見えるビルや建物の歴史や文化的背景を説明し、単に『おお、景色がすごい』で終わらない案内ガイドができたらいい。またタワー周辺のグルメ情報も案内したいし、展望台に来たお客さんに満足してしてほしい」。

 第一弾として、まず12月3日、東京タワー1階に「ウェルカム・ラウンジ」をオープンさせた。そこには、建設中の東京タワーやさまざまなライトアップの写真や映像が紹介されている。東海林常務は「展望台に上がる前に、東京タワーの歴史を知ってもらって、高揚感を高めてもらえれば」と期待。「おもてなし」の精神で心地よい空間の演出を目指す。
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「東京の風景」に

 東京タワーは2013年6月、登録有形文化財に登録された。「戦後日本の復興の象徴として、また高度経済成長の原点として、国民に広く親しまれている」ことが理由だ。

 東京タワーは、いまや東京の風景に欠かせないものになっている。「ALWAYS 三丁目の夕日」や「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」などをはじめとして、小説や映画、歌などで描かれることも多い。また、人々の生活にも浸透している。東海林常務によると、「東京タワーでプロポーズしました」や、近くの病院の入院患者から「病院の窓から見えた東京タワーで元気がもらえました」などの感謝の言葉がしばしば届くという。まさに「人々の人生とともにある」といえる。
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「インフラ」としても

 そして「電波塔としての役割が終わったわけではない」と東海林常務は強調する。地上デジタル放送は東京スカイツリーに移ったが、もしもの場合の「予備塔」としての役割がある。そのために、常に万全の保守管理を行っている。またFMラジオの一部は、いまも東京タワーから電波を送っている。

 総合電波塔としての役割の多くは東京スカイツリーに譲ったが、観光スポットから、ふらっと立ち寄れるプレイスポットへ――。東京タワーは生まれ変わろうとしている。
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6. 駐車直後、走り去る車両 防犯カメラに光 王将社長射殺
朝日新聞デジタル 12月23日(月)7時39分配信

駐車直後、走り去る車両 防犯カメラに光 王将社長射殺

前社長の車と容疑者?の車両の動き

 「餃子(ギョーザ)の王将」を展開する王将フードサービス(京都市山科区)の大東(おおひがし)隆行前社長(72)が19日早朝、本社前の駐車場で射殺された事件で、発生時刻ごろ、現場近くの防犯カメラに西から東へ低速度で走り去る車両のライトが映っていたことが捜査関係者への取材でわかった。大東前社長の到着直後に確認できるのはこの1台のみで、府警は逃走車両の可能性があるとみて重視している。

 捜査関係者によると、防犯カメラは現場南側の倉庫にあり、現場前の道路を行き交う車両のライトをとらえていた。動きを分析したところ、19日午前5時46分ごろ、まず大東前社長の車が駐車場に到着したことが確認された。普段通りに大きく時計回りに旋回し、駐車したとみられる。さらに直後、1台が西から駐車場に近付きゆっくりと走り去った。東に進むと高速の入り口や国道に通じる市道に行き当たる。

 この時間帯、通過車両は数台あったが大東前社長の到着直後は1台のみだった。車かバイクかは特定できていないが、発生時刻に最も近いことから、府警は、実行犯を拾って逃走を手助けした人物が乗っていた▽実行犯が車両で接近し、大東前社長を銃撃した――などを想定し、調べを進めている。

 また同時刻ごろ、駐車場から約60メートル北西に住む男性が自宅で「パーン」という音を3、4回聞いたと証言。銃声の可能性もあり、府警は関連を調べる。
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7. <将棋>里見香奈、三段昇段決める 女性初プロに近づく
毎日新聞 12月23日(月)13時56分配信

<将棋>里見香奈、三段昇段決める 女性初プロに近づく

里見香奈・奨励会二段

 将棋の里見香奈・奨励会二段(21)が23日、大阪市福島区の関西将棋会館で行われた奨励会の対局の1局目で勝ち、直近の成績を12勝3敗とした。規定(12勝4敗)を上回り、三段昇段を決めた。

【17歳、制服姿が初々しい】写真特集 里見香奈が初の女流名人に

 将棋のプロは四段から。女性の最高位はこれまで自身の二段で、更新するとともに、女性初のプロ棋士までまた一歩近付いた。【最上聡】
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8. 武器三原則の例外として提供=政府
時事通信 12月23日(月)15時33分配信

政府は23日、国連南スーダン派遣団(UNMISS)に参加している韓国軍への陸上自衛隊の銃弾提供について「一刻を争う緊急事態であり、緊急の必要性・人道性が極めて高いことに鑑み武器輸出三原則の例外として要請に応じる」と説明した。菅義偉官房長官が同日中に談話を出し、政府のこうした立場を表明する。