Unknown (傍観者)
2005-08-24 12:44:09
>オレ、そんな分かりにくい日本語書いているかなぁ?
日本語の練習より、記憶力の練習した方がいいと思うよ?
言ったそばから自分の主張と食い違うこと、よく平気で言えますよね。しかも恥を惜しまず自分の過去エントリーを引用しながら。そりゃ、はむはむさんにも突っ込まれて当然じゃないの?
誰が見てるかわからないブログなので、あまり全世界に痴態をさらさないほうがいいと思います。
むだづかいにっき♂:ブログパーツ「トラバわんにゃん」コメント欄より抜粋
どこの誰かも分からない、その場限りのハンドルを用いての批判は、黒木氏の匿名のルールの基づいて、相手にしないのが正しい対応かもしれませんが。
一応、傍観者氏と同様のことを考えている閲覧者がいるかもしれないので、その誤解の可能性について記しておきます。
まず素朴に疑問なのですが、「言ったそばから自分の主張と食い違う」 これが何の事を指しているかサッパリ分かりません。
「ブログは記事単位で読まれるもの」だからして、その記事内において発言内容が変わるのであれば、確かにこれはちょっと問題でしょう。しかし過去ログでの発言との食い違いがある可能性はあります。それは否定しません。その時に考えた事と、現在の発言内容に食い違いがあることは、別に恥ずかしい事とは思いませんが。
揚げ足取りを承知で書くと、極端な話、小さいころに「大きくなったらウルトラマンになる!」と宣言した子供が、その通りになっていますか?
考えを改めた事を、否定するのはおかしな話しですよ。
もちろん、昨日言った事が、何の断りも無く覆っているのなら、それは指摘するべきでしょう。しかし考えが変わったという事について、アナウンスがなされているのなら、「主張が食い違っている」と糾弾するのは無意味でしょう。
「ひどいわ、愛しているっていったじゃないっ!」
僕自身、「これは前に言っていた事と、内容に食い違いがある」と把握している物はいくつかあります。
まず、トラックバックに関する考え方。
このブログ開始当初は、どちらかというと「関連する話題にはじゃんじゃん送れ」というスタンスでした。キーワード検索による無差別なリンクなしトラックバックを送ったことは無いつもりですが、相手のブログをよく読んで、その内容に関連性を見出せば、言及なし・リンクなしのトラックバックはいくつか送ったと思います。
この考えは、次第に変わってきています。今では「言及トラックバック」以外は、あまり質の高いものとは思っていないし、自分から言及なしトラックバックを送る事はまず無いです。
詳しくはカテゴリ「トラックバックの話」をお読み下さい。このカテゴリは途中から追加したものですが、「トラックバックの考え方を述べる事がメインの記事」については、全てこちらに移動してあります。
もう一つは、「匿名発言に対する考え方」ですね。根本的に変わったわけではないのですが、以前は「匿名でも真摯な意見は対応すべき」という物が、現在は「匿名発言の全てを悪とするつもりはないけれど、匿名批判に対応する必要は無い」
これは「匿名はやっぱり推奨しないんですよ」他、関連の記事で述べているとおりです。
他所のブログへのコメントする事に対しても、多少変化がありますね。
ヒトサマのブログへのコメントはじゃんじゃんしよう、という考えです。
僕は今でもブログを開設して間もない人が「コメントくださいね」という記事を書いているのを見ると「コメントくれじゃなくて、自分がどっかに書きにいけ」と思っていますが、僕自身は、他所へコメントすることは極端に減りました。世間話目的のコメントはほとんどしていません。書いても書き逃げの事が多いです。どちらかというと、被リンクで見つけたブログに対し、「見ましたよ」という事をわかっていただく為に書き残しています。
これは世間話的なコメントが多くなることによって、馴れ合いが進み、言いたいことが言いにくくなる可能性を考えてのものです。ま、この事とは無関係に、僕はたぶん言っちゃうし、言われる事についてはなんとも思わないですけど。
「仲がいい人だから、こんな事は言えない」という付き合いは、窮屈だし、ネット上での付き合いを続ける意味がないと思います。逆に言うと、ここにコメントをいただける方にも、そういう立場でいて欲しい。意見の食い違いから険悪なムードになっても、新たなことで共通点があれば、それは別の事として対話が成立すればよいと思う。
後は心当たりが無いなぁ。
お気付きの点がありましたら、コメント欄ででも指摘して下さい。
できればURL付きでお願いします。
「以前こんな事を言っていたけど、見つけられなかった」という物については、こちらで記事を削除している可能性があります。
僕はときどき、ログの整理(加筆訂正や削除)をしています。加筆訂正したものについては、元々書いてあったことを削除しているのではなく、改めた方がいいと思う部分について、書き足した事が、訂正日と共に分かるようにしてありますので、ご了承ください。
引用部分ではないのですが、「誤読されるような書き方が悪い」という件については、同意です。誤読された事が都合悪ければ、それを自分の意図した通りに導く必要はあるでしょう。
ただし、「誤読している人」の中には、意図的に誤読している者も存在します。相手を言いくるめる為に、わざと文章の一部を切り取って攻撃の材料にする人です。
こういう人は、意見を述べることが主目的ではなく、攻撃する事が目的と受け取ります。
僕の記事は長文が多いので、こうした事象が多いのかもしれませんが、ワンセンテンスの中の前の部分を切り取り、後ろを無視するようなツッコミは、勘弁願いたい。いや、しても良いのだけど、それは「僕バカでぇす」というに等しい行為なので、スルーします(傍観者氏の書き込みがそうだ、ということではありません、念のため)。
一部、呉智英先生の受け売りです。
後で編集するけど、これ。
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/Rules.html#anonymous
こんなのもある。
技術系サラリーマンの交差点: 匿名のかたへの批判・反論はしません
http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2004/05/post.html
議論する事によって、新たな考え方が導き出され、それが当初の意見よりも優れていると思ったときは、路線変更することが幸福への近道と考えている事と思います。
相手の訂正を認めない「議論」では何も解決しません。生み出されるのは憎しみだけです。
で、いいのかな?
これ、僕だけ?
いえ、少なくとももう一人、ここにいます。
はじめまして。
考え方を変えちゃいけないとなると、人間は成長できなくなってしまいます。
あと、発言が活字になって残っちゃうインターネットの世界で、全てを首尾一貫させようとしたら、何も書けなくなっちゃうんじゃないかと思います。
時とともに、成長していく人間でありたいと思います。
(調べないので用語表記がバラバラなことに後で気付いて大汗(苦笑))
それがたとえ自分以外には知りえない、全く別の場所に全く別のハンドルで書いたものであっても。
自分の考えを固めるために書いている、というのもあるのかもしれませんが、きっかけは分かりません。きっとそれ(不整合)を突っ込まれている場に居合わせたか何かだとは思いますが。
まぁ、どちらがいい悪いのデジタルな問題ではないと思いますが、それぞれに「揺れる部分」と「ぶれない部分」の両方があるはずだし、程度の問題も受け取り方の差も様々なのだから...
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コメント欄違いですが、Recent Entry 復活に1票。
残念たなことに、ブログは時系列で読まれるものとは思っていないので、その成り行きを知らない人にとっては、「突然考えを変えた」という風にみなされる可能性はあるでしょうけど。
ただ、そういうツッコミをする人って、結構ログを監視して「相手にとって都合の悪い部分」だけは覚えているものですけど。
陳居士さんのブログは、最近偶然見つけて、はてブに登録していました。
少し時間をかけてログ漁りしたいと思っております。
勿論、コロコロ変わるのが良いといってる訳じゃないですよ。でも、「あぁそうか」と思えば考えを改めるべきでしょ。
# 今日も自分の誤りを認めて訂正してきたところです
それを元にして、さらに思考するという作業が楽しかったりします。
コメントを下さった方は、そこまで意図していないのかもしれませんが、そういうコメントをもらえるのは素直に嬉しいと思います。
あと人の考えというのは、根底にあるものは簡単には変わらないと思うのですが、枝葉にあたる部分は常に揺れ動いているのかもしれないと思ったりします。
昔から今まで、ずーっと同じ主張をしてきたのであれば昨日今日でいきなりコロッと変えてしまうと「勝手な奴」と思われてもしかたありませんが、そうでもない限りは主張の仕方や考え方が変わってもいいと思います。
それが結果的に自分にとって良い方向に繋がるのであれば。