’83年9月。たまたま自転車でホンダディーラーの前を通りがかった私は、そのニューカーの姿に目が釘付けになった。それは、スイカをストライクで叩き割ったような、衝撃だった。
3代目シビック3ドア。いわゆる、ワンダー・シビックである。
その当時のFF2BOXカーでは、いわゆる「赤いファミリアXG」が大人気で、そのスタイルが定番であった。
トヨタが「カローラⅡ」をリリースした時には「ファミリアⅡ」などと揶揄されていたものだし、そして日産も「サニー・ルプリ」で追従した。
だが、ホンダの回答はまったく異なっていた。
ロングルーフにグラスハッチ。それまでの日本車、いや、外国車にも無い、極めて斬新なスタイルだった。
あの時代。「ニューモデルマガジンX」も、もちろんインターネットも無かった。「月刊自家用車」や「ドライバー」はあったけど・・・
とにかく、何の事前情報も無く、いきなり実車で「ワンダー・シビック3ドア」を目の当たりにした高校生の私は、そのカタチに感動した。そして、慌てふためいてカタログをいただいたのである。
なにかビーグル犬を彷彿とさせる、活気に満ちたサイド・ビュー。
グリルレスで、ボンネットの中央が低くなっている、ホンダ独自のフロント・ビュー。
スパッ!と切り落とされたテールゲート。「クリスタルゲート」と呼ばれたグラスハッチに、横一線に並んだテールランプ。実に斬新かつアートな処理で、今でも美しく見える。
FFながらも低いボンネットで、空力特性も良好。
「テールゲートアッパーガーニッシュ」は風をリヤウインドウに誘導し、常に良好な視界を確保するという。
冬の北海道では、ココに雪が詰まるのではないかという懸念も拭いきれないが・・・
4連メーター&ステアリングの意匠が、極めてスポーティ。CR-Xとの強い血縁を感じさせる。
そして、ロングルーフの恩恵をうけた、広いインテリア。
この、ワインレッドの色調はいかがなものかと思うが、この当時のホンダはこういう色使いを好んでいたようだ。
リアシートはスライド&リクライニング機構を備え、居住空間と荷室の優先度合をフレキシブルに変更できる。
そして、軽快なフットワークと目を見張る直進性を両立したという「スポルテック・サス」。
その美しいリヤエンドと引き換えに、定員乗車時のラゲッジスペースは、やや心もとなかった模様ではある。開口部も高いため、使い勝手はあまり良くなさそうだ。だが、美しいデザインに免じて、私は、許す。
「ワイドフローベンチレーション」で、車内全体に爽快なエア・シャワーを導入。エアコンが現代ほど普及していなかった時代の、創意工夫である。
何よりも素晴らしいのが、窓面積が広く視界良好だったことだ。光あふれた居住スペースは、クリスタルな輝きに満ちているとのこと。
余談だが、田中康夫氏の「なんとなく、クリスタル」がベストセラーとなったのは、このクルマが登場する3年ほど前のことである。
廉価版の角型ヘッドライト仕様車には、「雪を逃がすスノードレイン」を装備。
大型のフロントドアには、開閉性向上のための「エアアウトレット」を装備。
・・・いろいろなところに、穴が開いていたのだ。
バリエーションはシンプルながらも、インテリアのカラーはブラック・レッド・ブルー・グレーの4種がカタログで確認できた。現代のクルマはインテリアカラーが選べないものが多いので、大いに見習ってほしい点である。
全長3810mm×全幅1630mm×全高1340mm。まさに、コンパクトカーである。
ちなみに現行フィットのそれは、3900mm×1695mm×1525mm。昔のクルマが小さかったのか、現代のクルマが大きくなり過ぎたのか・・・それは、謎である。
そして、5ドアの「シャトル」も見逃せない存在。
「サンルームのあるセダン」。実に意欲的なコンセプトの5ドア車だった。
チェック柄のシートトリム。余談だが、チェッカーズのデビューはこの年の9月21日。ワンダーシビックの登場はその翌日の9月22日であった。
リヤシートのバックレストと座面の間に大きな隙間が空いているが・・・掛け心地に影響はなかったのだろうか?謎である。
シートアレンジは多彩で、5ドア車らしいユーティリティに溢れている。まさしく、それは「自遊空間」。
最上級グレードの「55G」には「リアシェルフ」と「パワードアロック」を装備。
中間グレードの「55J」「55i」には、「リアシート・リクライニング」と「リアシートピロー」を装備。
いまや軽自動車でも常識のパワードアロックだが、この時代は最上級車だけの装備だったのだ。約30年の、時代の流れを感じる部分だ。
3ドア同様、低いノーズで、空力特性も良好だった模様。
「テールゲートアッパーガーニッシュ」も3ドア同様に装備。「リアウインドウへの泥のはね上げを空気の流れで防ぐ新設計」と、カタログでは謳われている。実際の効果は、どうだったのだろうか・・・また、寒冷地においては、雪や氷が詰まる懸念も、やはり拭いきれない。
広い窓面積で、室内は明るさに満ちていた。
「電動スモークドガラスサンルーフ」が、光のシャワーを車内に注ぎ込む。
室内との一体感を求めた、新設計フルラップラウンド・インパネ。
3ドアのそれとは、まったく形状が異なるのだ。
送風口を格納できる「ポップアップベンチレーション」は、世界初の装備だという。
ATは2種。1.5Lの気化器仕様には、ホンダお得意のセミ・オートマチックの「ホンダマチック」。
1.5Lのインジェクション(PGM-FI)仕様には、「ホンダマチック3速フルオート」がそれぞれ載せられていた。
まあ、どちらにしても、それほど効率の良いトランスミッションでは無かったと思料される。ちなみに、MT仕様との10モード燃費差は、「ホンダマチック」で2.6~5.0km/L、「ホンダマチック3速フルオート」で2.6km/L、それぞれ劣っている。
現代ではATの方がむしろ燃費がいいくらいなのだから、ここ30年での技術革新は、主にトランスミッションにあったと言っても、過言ではないかもしれない。
1気筒当り3バルブを持つSOHCエンジンは、パワーと低燃費を両立。
ちなみに、上の写真の数値は、5MT車のそれである。
「ポケッテリア」も、極めて充実!一家に一台のファミリーカーとしての使い勝手は、極めて良さそうである。
3ドア以上に充実したバリエーション。1.5Lモデルが中心なのは、シャトルの方が60~80kgほど重いからであろう。
全長3990mm×全幅1645mm×全高1480mm。3ドアよりも180mm長く、15mm広く、140mmも高い!ホイールベースも、70mm延長されている。
おそらくは、その背の高さが、秀逸なスペースユーティリティを生み出していた大きな要因なのだろう。
・・・ちなみに、現行フィットのそれは、3900mm×1695mm×1525mmで、実はフィットの方がさらに45mmも全高が高いのだ。見た目では、シビックシャトルの方が背が高そうに見えるのだが・・・デザインの、妙である。
ついでに書き記しておくと、フィットシャトルのスリーサイズは4410mm×1695mm×1540mmで、このシビックシャトルよりも、完全にワンサイズ大きいクルマなのだ。覚えておこう。
それにしても、現代の売れ筋コンパクト・カーはすべからく5ドアである。
いわば30年前に、ホンダはそのコンセプトを具現していたのだ。
現代のフィットのルーツは、この、シビックシャトルなのだろう。
そして、ワンダーシビックといえば、忘れられないのがDOHCエンジンを積んだ「Si」の存在である。
これは、’84年10月に追加されたスポーツグレードだ。
ボディ同色のカラードバンパーが採用され、リヤ・ガーニッシュがブラックからレッドに変更されている。
F1第2期活動期のホンダは、ウイリアムズにエンジンを供給。その年の7月8日に、ケケ・ロズベルグ(※ニコ・ロズベルグの父親)の駆るそのマシンが優勝し、ホンダエンジンに17年ぶりの勝利をもたらしたのだった。
このタイミングでの「Si」グレードの追加は、まさにグッド・タイミングだったといえよう。
「スポルティック・サス」は135psのハイパワーDOHCエンジンに対応するため、「等長ドライブシャフト」を採用。
そして、もともと空力特性に優れていた3ドアボディ。
ブラック基調のインストルメントパネル。そして、「新開発サイドサポートアジャスター付」のスポーティー・フロントシートの表皮のカラーが、実にシックでいいセンスだ。
「4-WAYスモークドガラス・サンルーフ」は装着車を設定。
スポーティでありながらも全体的に大人っぽいイメージで、この当時のホンダ車は、国産車の中では光り輝いていた。
まさに「スポーティ・コンパクト」といえるスリーサイズ。
実は友人のジンさんが、かつてこのクルマを所有していた。今思えば、私も、一度運転させていただくべきであった。
現在、この「シビックSi」の立ち位置にあるのが、おそらくはスズキの「スイフト・スポーツ」であろう。
ホンダが、日本国内においてシビックというブランドを捨ててしまったことは、個人的には大いに悲しいことである。欧州仕様のシビック、日本でも売ればいいのに・・・
CR-Xを含めると、4種のボディ・3種のホイールベースを持っていた「ワンダー・シビック」。
まさにホンダイズム満載の、魅力的なスモール・カーだった。私が歴代のホンダ車の中で最も好きなクルマが、「ワンダー・シビック 3ドア」だ。そのスタイルは、今も色褪せていない。本当に、グッド・デザインだと思う。
私はよく獅子丸さんのシティを運転してたのにね。
私のは F1エディションで、自分でもかなり気に入ってましたね。
毛無山でスピンし壊れたのも、忘れもしない、日本GPをテレビで見た数時間後でした。
あのシビックSiは、美しく、なおかつカッコ良かったですよね!
内装のカラーのセンスも良く、実に魅惑的なクルマでした。
20年前は、今と違って、ほぼ初心者の私は、自分のクルマ以外のクルマを運転するのが、怖かったのです。
勇気を振り絞って、運転させていただくべきでした・・・
ワンダーシビックはそう、赤いファミリアの刺客だったのです。で、ホンダはターゲットに刺客を送り込むのがうまい会社だと思いました。
ホンダN360はスバル360の刺客でしたし、初代オデッセイはエスティマの刺客でした。
当時人気だったファミリア3ドアと全く異なるアプローチの、ワンダーシビック3ドアのあのスタイル!
当時高校生だった私には、実に衝撃的な登場でした。
あの時代のホンダが、私には最も輝いて見えます。
で、そしてあれから15年後、インテグラに続いてシビックにもタイプRが現れました。
日産のサニーはこのシビックの人気を見てトラッドサニーに305というハッチバックを出しました。また、1年後にパルサーのフルモデルチェンジでも車格をサニーと同じにしました。
また、トヨタもカローラのハッチバックにFXという名前を付けました。で、これはカローラⅡの兄貴でした。
私自身は、トラッドサニーハッチバックは「ファミリアの影響を強く受けて登場した車」と記憶しております。
私はブルーの25Rのあとにレアな4ドアーSiを購入して乗っておりました。
ハンドルはナルディーに変更、ステレオはアルパイン、当時は車をいじるのが普通でしたよね。
4ドアSiはちょっとみ、普通のセダンですので、よく箱根で彼女連れの車に道を譲って、その後ガンガンあおって、私が抜いた後当然その車が追っかけてきたいましたが、はるか後ろに・・・暗い過去です。いまでは安全第一、同じHONDAでモビリオでのんびり走っております。
ワンダーシビックは、そのアートなデザインと3・4・5ドアの棲み分けが素晴らしく、私が最も愛するホンダ車です。
4ドアのハイデッキな感じも、カッコ良かったですよね!
ワンダーシビックシリーズは、私の考えるホンダらしさが、凝縮されたクルマなのです(^-^)
ワンダーシビックについて検索していてここにたどり着きました。
カタロク記事、興味深く読ませてもらいましたが懐かしくて感慨深いです。
何故なら免許を取得して初めての車がワンダーシビックそのものだったからです。
86年11月に3ドア25iを新車で購入、とにかくデザインが気に入ってました。
一年目で25000km、とにかく走り回ってましたね、仲間のハチロクや韋駄天ターボ、KP61やランタボと夜な夜な峠に繰り出してました。
気がつけば約13年でオド読み182531kmを走破してました。
まだまだ乗るつもりでしたが残念ながらオイルポンプ破砕でブロック側にダメージが入り修理断念(中古エンジン探しましたが程度の良い物出てこず)で廃車に…
この車でFFの乗り方や車の挙動変化を学び、基本メンテナンスからチューンを学び、事故を起こした時の対処(W)まで全てをシビックが教えてくれたようなものです。
何故かワンダーシビック以降ホンダ車に縁がありません、乗りたいと思う車が無いもので。
でもホンダ好きなんです、バイクはずっとホンダを乗り継いでいるものでして。
長文乱文失礼しました。
ワンダーシビックのデザインは、本当に素晴らしく、アートだったと、今でも思います。
あの車が発売された当時、私は高校生でしたが、まさに「スイカをストライクで叩き割った」かのような衝撃を受けたことを、今も鮮明に憶えています。
13年で18万キロ超とは、よく走られましたね~。
あの頃のホンダは、F1第2期の参戦をし、本当に若々しく元気に溢れていました。
私も、当時は、ホンダが一番好きなメーカーだったのですが・・・
ようやく勝てるようになり始めた第4期のF1を、撤退してしまうというのは、実に残念なニュースでした。
いわゆる「ホンダイズム」が戻ってくるのを、私は期待して待っております。