思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「人間が神だなんて、日本って、狂ってたよね。」 小学5年生の男の子

2018-08-30 | 教育


小学5年生の男の子が、戦前の日本の歴史を知り、

「人間が神だなんて、日本って、狂ってたよね」

といいました。

ほんとうにその通りですが、

そういう狂った思想を教えていた戦前の先生、それを強要していた官僚と政治家たち安倍首相が最も敬愛するという祖父の岸信介はその中心者)。

 彼らは、その天皇主義の狂った思想(国家神道=靖国思想=国体思想)を反省したのでしょうか。もう大多数が死去していますが、死ぬ前に、悔い改めたのでしょうか? まだ生きている人は、どう考えているのでしょうか?

また、そういう「狂っている」思想の戦前の権力者の子や孫がたくさん政治家になっていますが、彼らは、小学生の言う真実を受け止め、健全な思想に変わったのでしょうか。どうも全然そうではなく、「戦前思想」を反省するどころか、「狂っている」思想に郷愁を抱いているようです。首相以下、閣僚はほぼ全員、狂っている思想の「日本会議」(ウヨク団体)のメンバーです。

 

日本という国は、どこまでおかしい国なのでしょう。いつになったら精神の病気は治るのでしょう。小学生の理性は健全ですが、権力者の思想の不健全には言葉もない。

 

※上の昭和天皇の裕仁の顔を見てください。この表情に「神」を感じる人がいるとはとても思えませんし、人間的な豊かさ・大きさ・優しさも感じないでしょう。無表情で、つくられた顔でしかなく、人間的なよさ・美しさも神をイメージさせる神々しさもまるでありませんね。焦点の定まらない目は死んでします。

武田康弘

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以下は、友人の深谷 志寿さんのコメント(「私はキリスト教は嫌いです」に対して)です。

「日本は一神教ではないのに明治以降は戦争をやりまくっておりました。しかも、日清戦争も、日露戦争も、太平洋戦争も、どれも宣戦布告無しの卑怯な奇襲攻撃で戦争を始めています ( ̄▽ ̄;)。つまり、戦争を始めるのに一神教も、多神教も、アニミズムも、無神論も、全く関係ないということですよ。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 深谷さんのコメントは、明らかな間違いですので、以下にご説明します。


 明治維新政府は、日本が戦争が出来る体制をつくるために、仏教を排して、国家神道=靖国思想(天皇を絶対=神とする疑似一神教)をつくりました。

 伊藤博文の慧眼(困)です。富国強兵は、国民全体をひとつにしないと出来ない、そのためには、欧米の強さの秘密=絶対神の信仰が必要で、仏教という神のない平和主義ではそれは不可能なので、皇室を利用して天皇を現人神とするという強烈な国家宗教をつくる必要がある(吉田松陰先生から学んだ水戸学+後期国学による)と考えたのでした。

 その伊藤の思惑撮り、天皇から恩寵として臣民に与える憲法=欽定憲法を四人で極秘裏につくり、天皇という名を利用して超国家主義の政治をすすめ、日清日露戦争を行い、韓国を植民地とすることに成功したのでした。

 個々人の内面世界=実存としての生を徹底的に抑圧(教育で天皇を崇める滅私奉公を叩きこむ)することができたのは、天皇教という強烈な一神教(しかも「禁じ手」の人間を神とする=オウム教がこれを真似た)によります。

 これ以上戦争を続けるならば、「日本全土を壊滅させる」「その準備は整えた」とする世界の歴史に例のない強烈な『ポツダム宣言』が出されたのは、どれほど負けても負けを認めない「天皇という絶対神を信奉する神国・.日本」に業を煮やしたからでした。受諾しなさい=「遅延は一切認めない」と書かれていたにも関わらず、首相の鈴木貫太郎も外務省も皇軍もみなこれを無視したために、広島に原爆が落とされ、ついで長崎(全部で13発が用意され順次各都市に)にとなったのです。

 もはや誰の目にも日本全土は原爆で壊滅となった時点で、ようやく負けを認めたのです(これを天皇のご聖断というのですから世界の笑いものです)。

 人間を神とするとんでもない一神教なくしては、日本の超がつく連続戦争政策(日清、日露、第一次世界大戦、シベリア出兵=ロシアへの干渉で日本は最後までしつこくやり続けた、満州事変=昭和天皇が関東軍に栄誉を与えたことで拡大し、対米戦争まで14年間の戦争)を続けることは不可能でした。

「上官の命令は天皇の命令と思え!」


武田康弘

 

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あなたは、靖国神社の非人間的で恐ろしい考えを知っていますか? 知らなかった、では、また戦前の狂気思想に戻ります。拡散を!

2018-08-28 | 社会批評

 靖国神社の売店(遊就館)の最前列で平積みで売られていた宣伝パンフレットは、靖国の中心者・理論的重鎮の小堀佳一郎東京大学名誉教授・明星大学教授・当時)の話で、靖国思想の核心が述べられています。

 「微々たる庶民的な存在にすぎない自分が命を捨てて国の為に戦ったということだけで、天皇陛下までお参りに来て下さる、つまり非常な励みになったわけです。」と、とくとくと小堀が語っています。

 さすがに、明治政府がつくった「天皇教=靖国思想=国体思想=国家神道」の思想に忠実な小堀さんらしい発言=思想です。あなたは、賛成されますか?


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アインシュタインの脳!「東大生は頭がよい」という日本の基準では、彼は、落ちこぼれの脳に過ぎません。

2018-08-25 | 教育

 

 先日、NHKのテレビで、アインシュタインの脳という番組をやっていました。なんと、脳を切って、世界のあちこちの研究者(所)が持っているのだそうです。

 なんとも気持ちが悪くなる番組でしたが、

 アルバート・アインシュタインは、【受験成績がよく、そのトップになる人は頭が優れている】、というわが国の物差しで言えば、ただの落ちこぼれに過ぎません。

 いまある既存の勉学システムに乗った脳、いまる既存問題の正解への到達時間が早い脳、いまある既存の関心事や目的に敵った脳、要するに既成の勉強や学問の枠内で優れた従順脳】がよい、というのが、東大病ー東大教の人たち(日本人の大多数!)の判断です。

 アインシュタインは、規則だらけの小学校が大嫌いで、スポーツも大嫌い。妹のマヤやその友達と遊んでいました。ギムナジウムに入っても自分のすきな数学や物理学などの他は勉強はせず、成績は中の下。ノイローゼの診断書を書いてもらい休学届を出し、結局は中退しています。翌年に別のギムナジウムに入学し、大学はチューリッヒ工業大学に進学しましたが、講義をさぼって図書館にこもることが多く、教授たちからは、怠け者と見られていました。大学卒業後は就職に困り、家庭教師をしましたが、子どもを自由にさせ過ぎるというので、すぐにクビになりました。

 伝手を頼って特許局に入ろうとし、紹介状を書いてもらいますが、採用試験の成績が悪くて落ちました。翌年、再度挑戦して、ようやく特許局審議官のいすにすわることができましたが、役所の仕事は大嫌いで「役所なんて俗物の修道院だ」というのが口癖でした。ここでの仕事の合間に数学や物理学の家庭教師をし、教え子の大学生と共に人間の価値、生きる意味を考え、宇宙の謎を考え続けたのでした。役所に入って5年目の26歳のとき(1905年)、光速度は超えられず、光速度に近い運動では、質量不変の法則は成立しないという結論に達し、特殊相対性理論を発表したのでした。

 こういうわけで、こどもの頃から優しい両親やおじさんに囲まれ、知的好奇心を刺激され、母のピアノに癒されて、自分が納得するまで考えるこどもだったアインシュタインですが、学生時代に彼のことを天才だと思った友人も先生も一人もいませんでした。

 受験塾で、自分の興味や関心とは無縁の受験勉強をし(させられ)、東大に入る【従順脳】と、天才アシンシュタインの脳は、元から異なるのです。もちろん、ユーモアに溢れたその人間性も、です。

 東大病ー東大教の超がつくおバカ国家の日本も、そろそろ目を覚ますべきです。

 

武田康弘

 

 

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不思議なほど強くなる競争しない運動法ーー生れながらに弱かったわたしの逆転はいかにして。

2018-08-22 | 私の信条

 いや~~~、なんともスサマジイほどの暑さ、熱い!
 きょうは、水曜日でおやすみなので、だるさを吹き飛ばすために(笑)、
手賀沼遊歩道から高野山(こうのやま)の桃山公園で、強烈な太陽パワー!を浴びました、アーシングしながら柔軟&筋トレです。


 頭は帽子ごとビショビショにして、12時から1時40分まで。途中で再度、水を浴びしながら。地面も乾き切っているので、アーシング(自由電子を身体に流す)にはなりませんので、水場にあったバケツで地面を濡らして、です。

 

 わたしは、今(66歳)では、無敵のタケセン!とか、押し相撲無敗神話(笑)で、高校生や大学生は、運動部のキャプテンでもわたしにかないませんが、幼少時は、虚弱でした。

 2才でヘルニアの手術をし、幼稚園児のときは肝臓病で40日間寝たきり状態になりました。足も弱く、少し余分に歩くといつも足が痛くて眠れなくなり、父にずっとさすってもらっていました。小学5年生、6年生の時は、胃潰瘍で苦しみましたし、よくなったかな、と思ったら、中学1年生から十二指腸潰瘍になり20歳まで治りませんでした。言葉にならない苦しさで、長時間の勉強も運動もできませんでしたので、チョコチョコ自分のペースでやりました。

 鴎外図書館で、偶然出あった「導引術入門」という本と、競争せずに自分のペースで少しづつ鍛えたおかげで、20歳の時に長かった虎ノ門病院通いに終止符がうたれたのでした。その後もわたしは、誰とも競わずに、自分にフィットするやり方で、自分流の運動を続けてきました。勝ち負けとは関係なく、競技などには目もくれず、が、わたしの運動人生ですので、とても充実で楽しい~!

 50歳くらいの時に、妻の従弟で大学4年の時に合気道日本一となり自衛隊に入った若者と相撲をして、2度ともわたしが勝ちましたので、勝負とは無縁のわたしの運動方法は、なかなかに優れているようです(笑)

 競技ではなく、自分のペースで、自分が楽しく気分がよくなるように運動するのが何よりです。博打じゃあるまいし、勝った!負けた!で変な頑張りを続けると、身体はボロボロになります。そういう人が続出しています。なんとも愚かです。


写真は、いま、です。


武田康弘

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恋知の土台は、「私」です。「私」を超える原理はありません。これは究極で行き止まり。

2018-08-18 | 恋知(哲学)


ソクラテス教室のマスコット(ソクラテス爺)とミレトスの円形劇場(5月に染谷裕太君が撮影)

 

たとえ、どれほど熱心な唯一神(キリスト教やイスラム教など)の信仰者でも、
あるいは、皇国ニッポン=天皇教の熱烈な信者でも、
それを信じているのは、その人の「私」です。

誰であれ「私」であることを超えることはできません。
何を見ても聞いても、何をどのように感じても、思っても、それは「私」が感じ、思っていることです。

この当然のことをいつもしっかり自覚していることが、すべての始まりで、はじめの一歩ですが、この恋知のはじまりは、当然すぎて忘れられることがあります。そうすると人間の思考は狂い出し、意味不明の混沌や閉じた信念を生んで、自他を不幸に沈めます。

釈迦の思想の原理である「天上天下唯我独尊」(われ独り尊い)、普遍性を求める自分への帰依=「自帰依・法帰依」とは、上記のように、「私」こそが、これ以上はない原理であり、究極の行き止まりであることの優れた表現でしょう。

ソクラテスの言う「善美に憧れ、真実を求める」のは、「私」です。私は、私の世界を豊かにし普遍性のある考え方を探りますが、それは、どこまでいっても「私」の想念です。私は、私の確信を超えられない、この原理中の原理の明晰な自覚こそが、すべての始まりです。


武田康弘

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「天皇はのうのうと生き延びた!」 元兵士たちの憤りの声ーある証言

2018-08-16 | 社会批評

 

 1923年12月生れの関根竹治さんは、埼玉県蓮田市に生まれ育った関根家の長男でしたが、2010年8月に亡くなりました。

 農家の総本家の長男で、頭はしっかりし心も強かったですが、先祖代々の農家の後継ぎでしたから政治思想などは特になく、ふつうに保守的な人でした。政治の話、まして天皇の話などは、誰にも話したことはありませんでした。

 わたしの妻の百代は、関根竹治さんと悦さんの長女として生まれましたが(上に兄がいる)、お父さんの竹治さんから政治の話など聞いたことはないそうです。

 その関根竹治さんは、亡くなる数年前のことでしたが、お盆の時、親戚一同の前で驚くべき発言をしました。

 みなで、テレビで、終戦記念の番組を見ていたとき、わたしは、「東京裁判で東条英機ひとりが罪をかぶり絞首刑になったが、ほんとうは、戦前は主権者であり生きた神とされていた昭和天皇には一番大きな責任があるはず」と発言しましたが、親戚一同は何も言わずに黙っていました。

 その時、竹治さんは、大きな声で断固とした調子で「そうなんだ!」「わしら兵隊はみな、天皇(裕仁)は、自害するものと思っていた」「しかし、天皇は、のうのうと生き延びた!!」と言い、赤紙一枚で、無意味な戦争に行かされ、農民は、どれだけ大変な思いをしたか、を話しました。

 誰もが口を聞けませんでした。心からの声、明晰な声、揺るぎない言葉にみな黙るほかありませんでした。始めて聞く竹治さんが話す兵隊たちの思いに唖然となりました。

 自害どころか退位さえしないで、最高責任者がそのまま天皇の名で、「のうのうと生き延びた!」ことに、強い憤りをもつ竹治さんの声は、誰の耳にも真実を伝えたのでした。

 こういう事実と真実は、テレビも新聞も伝えません。わたしは、善美に憧れ、真実をもとめる恋知者(フィロソファー)として、ありのままを記します。

(写真は、在りし日の竹治さんと葬儀の日)


武田康弘

 

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日本人も人間として生きましょう。昆虫・爬虫類・犬の属性を示す存在ではなく。

2018-08-14 | 恋知(哲学)

ほんとうのことを言うと、

わが日本人には、人間としての人間(愛に溢れ、善美に憧れ、真実を求める存在=恋知の人)が少なくて、

ハチやありなどの昆虫の属性を示す存在(天皇を頂く集団同調主義者たち)と

爬虫類の属性を示す存在(攻撃脳のウヨクと競争絶対主義者たち)と

犬の属性を示す存在(上位下達の封建道徳主義者たち)の三つのどれか、か、その組み合わせがとても多いのです。

 

人間として生きたいですね。

人間になりましょう。そうでないとどう転んでも不幸です。

恋知の生を。


武田康弘(恋知者)

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沖縄基地問題は実は簡単なこと。普天間の無条件返還をアメリカに要望すればそれで解決するのです。拡散を!

2018-08-09 | 社会批評

 

沖縄にいるアメリカ海兵隊は、沖縄にいなくても日本には何ら影響がありません。

アメリカ軍の利便性という都合で居座っているだけのことです。

受け入れを表明しているテニアンでもグアムでもどこへでも移転すればいい、ただそれだけのことです。

フィリピンは、かつて相当に乱暴な言い方で、アメリカ軍に「ノー」を言いましたが、それでアメリカ軍は引き上げました。

主権国家とは、そういうもので、とても強いのです。同盟国であろとも、引き上げてほしいと言えば、アメリカはそうするほかないのです。

日本の安全保障にとり、普天間基地にいるアメリカ軍がひきあげても別段、どうということはありません。

みなが(マスコミを含めて)迷信のような話を信じこんでいるだけですから、正論を貫ける政府関係者がいれば、ただちに解決する事案です。

日本人が、アメリカが「神」だ!(笑)と洗脳されたり、自己暗示にかかっているだけのことです。

中国と仲良くする外交は、戦前思想に囚われないほんとうに民主的な政治家なら、簡単にできることです。

民主党政権誕生時に、小沢一郎さんは多数の国会議員を含む数百名で中国を訪れ、交流をもちましたが、それを続ければいいのです。それだけのことです。

もう少し賢くなりましょうよ。政治家さん官僚さん、マスコミさん、何より国民のみなさん。



武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員)

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公共悪の安倍晋三人は残り、人間味豊かな優れた「公共的良識人」は逝く。翁長知事が浄土へと旅立ちました。

2018-08-09 | 社会批評

 そこに住む人ではなく、日本のためでもなく、アメリカ軍の都合にのみ従い、人権も環境も無視し、ただブルドーザーで破壊し、コンクリートで埋め立てて、巨大な軍事施設をつくる。それは平和とは無縁の行為で、戦争へと至る愚かで危険な行為です。

 沖縄に中国が攻めてくる!?という冗談にもならない馬鹿話を流布する自民党員までいるのには、言葉もない。ほんとうに困った病気です。

 いまの官僚政府を支持する国民なら、自業自得で、再び戦前思想による非人間的な国家へ舞い戻るほかありません。もういい加減に愚かな思想と行為はやめにしましょうよ。わが日本人は、ここで目覚めないとおバカ国のままです。戦前の「天皇は神」という国体国家を、「アメリカは神」という国体国家に変えても、幸せは永久にやってきません。生きている一人の男性を神として崇めたり、一つの国家を絶対視して従ったりというのは、精神の酷い病です。

個人の自由と責任ー精神的自立を育てつつ生きないと、人間の生、価値ある人生にはなりません。水の国=日本の新生は、民主的な人間関係と社会をつくる一人ひとりの日々の生き方にこそあるはずです。上位下達と忖度とは無縁の手強い個人が優れた社会をつくるのです。これは原理です。

武田康弘

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国旗に敬礼したり、神聖視する人が今もなおいるのには驚きます。戦前思想=フェティシズムの呪縛の強さ。

2018-08-07 | 社会思想

 国旗に敬礼したり、神聖視する人が今もなおいるのには驚きます。 
 もちろん、他国との区別が必要な場面においては、国旗は必要で意味がありますが、
国旗それ自体を神聖視したり、それに敬礼するのは、物神崇拝(フェティシズム=下着類などを愛するという倒錯)という精神の病です。

 そういう行為をこどもたちと全国民に強要していたのが、戦前の日本で、明治から昭和にかけて天皇の肖像画(写真をもとにして描かせたもの)に敬礼をさせ、敬礼の程度が低いという理由でしばしば先生は辞職させられ、生徒はひどい体罰を受けました。学習院の近くの公立小学校の1年生は、当時の皇太子(明仁さん)の顔を見ようと顔を少し上げたらば、後から思い切り頭を殴られました。

 国旗という名の旗に敬礼し、御真影という写真画に敬礼することは、【戦前思想の象徴】といえます。わが国は、ほんとうに驚くほどの【洗脳国家】であったわけですが、その事実を明晰に自覚することは、近現代史を考察する上で何よりも必要な営みです。さまざまな具体的な問題の前に、この物神崇拝の天皇教(=天皇は生き神)という狂気と恐怖の国体思想にいつての反省と批判がなければ、何事もはじまりようがありません。

 水戸学に心酔した明治維新政府の異様な思想、その狂気性を自覚しなければ、民主性・民主制・民主政とは御題目に過ぎず、永遠にはじまらないのです。自分の体験を元にして自分の頭で考える自問自答と、ほんとうに対等で自由な対話により物事を決めるという自治は、日本では永遠に不可能なのでしょうか。

 21世紀の現代でもなお天皇教のタブー(それを嫌っているのが明仁さんと美智子さん)に支配され、上位者の気持ちを忖度してしか生きられない国を愛するのなら、それは極限的な愚かさでしかなく、おぞましい行為としかいいようがありません。なぜ、今もって、わが日本人は、哀れな奴隷根性のまま生きるのでしょうか。政治家も官僚も教師も生徒も会社員もみな「人間管理」されてTHEニッポンというシステムの一部品として生きる!?
あまりにも哀れです。

 いい加減に目覚めたらよいでしょう。愚かも度が過ぎます。国家主義という恥ずかしい低次元の思想からの脱却なしには、よいことは何も生まれません。これは原理です。

 

武田康弘

 

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金泰昌と武田康弘の「哲学往復書簡34回」発売 (東大出版会から出たものより面白いオリジナル版)

2018-08-06 | 恋知(哲学)

   金泰昌・武田康弘の恋知の哲学往復書簡34回に至る経緯      武田康弘

 

 2005年の春に、友人の山脇直司さん(東京大学教授)は、国際的な政治哲学者で東大出版会のシリーズ『公共哲学』(最終的に20巻となり別冊も多数)の最高責任者である金泰昌(キム・テチャン)さんに、わたしの書いた「実存として生きるー市民大学『白樺フィロソフィー』と民知の理念」(白樺文学館パンフレット所載・発行5万部)を送りましたが、それを読まれた金さんは、「深い感動と、熱い共感をもちました」とのことで、丁寧なお手紙を頂きました。

 金さんはわたしには全く未知の方でしたが、その年(2005年)の6月に拙宅および白樺教育館(文学館ではない)を訪ねられ、長時間の対話を交わすことになりました。突っ込んだ話となり激論にもなりましたが、それが縁で、金泰昌さんと私は親しい間柄になっていきました。

 それからは、京都フォーラム及び大阪のご自宅から頻繁に電話を頂き、毎回長話になりました。また、金さんの来訪も4回となり、いづれも半日をかけての中身の濃い対話をしました。白樺同人たちとの熱く厳しい対話や、官民共働を巡って旧友の福嶋浩彦我孫子市長を交えての三者会談などです。

 

 最初の来訪から2年経った2007年5月の連休時、金さんは電話で、「武田さんと私とで哲学の往復書簡をしたいと思うのですが、どうでしょうか」と言われました。わたしは、その方法について話し合った上で承諾しました。

  その往復書簡が十数回ほどになった時、金さんは、自身が所長を務める「公共哲学共働研究所」編集による『京都フォーラム』発行の月刊新聞『公共的良識人』紙に公開したいとの申し出があり、わたしも賛同したのでした。それが2007年7月号『公共的良識人』紙の1面から5面までを使った「 『楽学』と『恋知』の哲学対話=武田康弘と金泰昌の往復書簡その1」で、11回分の対話が載りました。翌月の8月号では、4面から7面を使い12回から21回(このオリジナル版では23回)まで、これで前半が終了。

  22回(オリジナル版では24回)以降は、言語至上主義への批判と想像力次元への着目を強調したわたしの主張、さらには、公共の解釈=公と公共を分けるべきという『公共哲学』の主張へのわたしの批判をめぐって刺激的な往復書簡となりましたが、ここで「事件」が起きました。

  金さんから電話で、「22回(オリジナル版24回)以降を載せることはできなくなりました。『公共哲学』の根幹に関わる部分での対立を載せるのは無理、というのが編集部全員の見解で、申し訳ないがどうしようもないのです。」

 わたしは、「分かりました。わたしには何の権限も権利もありませんから」、と言い、「けれど、残念ですね。金さんは、異論や反論こそ必要なのに日本ではそれがない、その状況を変えたい、といつも言われていましたものね。金さんと私の意見対立を載せるのは、せっかくのよいチャンスでしたのに」と話しました。

 それを聞いて金さんは、「ああ、武田さん、そうでした。もう一度、編集会議にかけて説得してみます」と言いました。その結果、12月号に22回(オリジナル版24回)から30回(オリジナル版32回)までが載ることになったのです。めでたしめでたし。

 

 その往復書簡が、3年近く経った2010年8月に、東大出版会刊『ともに公共哲学する』のメインとして収録されることになったのですが、しかし、またしても「事件」が待ち受けていました。

 2010年の春に、「わたしは、東京大学出版会の竹中英俊という者ですが、武田さんと金さんの哲学往復書簡を出版したいのです。承諾して頂けませんでしょうか」という電話があり、いろいろ説明を聞き、まあ、困ることもないので「ご自由にどうぞ」と返事をしました。

 しかし、竹中英俊編集長の意気込みは、東大教授会の反対にあい、いったんは頓挫してしまいます。「はっきりとした理由はない」という変な話でしたが、当然かもしれません。目次には、わたしの書いた通りに【(5)学校序列宗教=東大病の下では、自我の内的成長は不可能】という文字が踊りますし、全体は、単なる客観学を超えて主観性の知になっていますので、根源的ですから、「事実学」の累積ばかりで、人間や社会問題の本質を穿つ「意味論」の世界に乏しい東京大学の出版物としては、まさに異例です。しかし、竹中編集長は、粘り強く、再度教授会にかけて説得し、ようやく出版のはこびとなりました。

  後に、この本を読んだ私の師で哲学者の故・竹内芳郎さん(サルトルやメルロ・ポンティの邦訳者で解説者でもある)は、東大の法学部入学で文学部(倫理学科)卒なのですが、「あの東大が、東大病への厳しい批判を載せた本をよくぞ出したな~!」と、とても驚いていました。

  というわけで、この往復書簡が世に出たのは、相当に「奇跡」的なことなのです。二度も頓挫して、そのつど甦り、ようやく日の目を見たのでした。まあ、それだけ刺激的で内容が面白い!という証拠です(笑)。

 ※ なお、この私製本に載せるのは、まったく修正されていないオリジナルバージョンです。

 新聞や本になるときに、金泰昌さんの原稿は、かなり修正・加筆されましたが、往復書簡におけるビビットなやりとりは、手を付けずにそのままが一番面白いはずです。新聞でも本でも、わたしの部分は手直し程度の変更しかしていません。
 また、わたしの金さんへの返信は、ほとんどが、当日か翌々日くらいまでに書き上げたものですが、その方が生き生きとした対話になると思ったからです。

☆ 往復書簡のナンバーの違いについて。

 『公共的良識人』紙(京都フォーラム発行)および『ともに公共哲学する』(東京大学出版会刊)所載の往復書簡のナンバーには、15と16が抜けています。14までは全く同じですが、新聞と本では15となっている書簡の前に、ほんらいは二つの書簡があります。内輪の話で載せなくてもよいとの公共的良識人編集部の判断で割愛されたのでした。

そのために、15番からは2つづつ番号が異なります。このオリジナル版で17となっているのは、新聞と本では15です。それ以降みな2つづれています。

★ 33回と34回について(新聞・本では未掲載)

 最後の2回(33回と34回)は、新聞・本には載せられていませんが、極めて重要な書簡と思います。対話の行きついた先がどこであったか、が分かります。まるで、往復書簡という形式による対話それ自体がもたらした結語のように思えます。      (2018年7月16日・海の日に)

 武田康弘 2018年5月18日(66才・白樺教育館で)

※ なお。この往復書簡オリジナル版の版権は、白樺教育館にあります。金泰昌さんからのご要望で、書簡は、リアルタイムで白樺教育館ホームページに掲載されてきました。制作は、白樺教育館副館長の古林治。



(カラー・本文74ページ・定価は1000円です。送料はサービス。shirakaba2002@k.email.ne.jp にメールしてください。)

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43年目の式根島キャンプ&ダイビング~~素敵な写真をアップ。今年は中国シュタイナー学校のこどもたち。

2018-08-01 | 教育

まったく全てが異例ずくめの43年目の式根島キャンプ&ダイビングは、三倍の密度で、とっても充実でした。

今年は、文化・教育事業にも精力的に取り組むエリアカザン(株)社長の瀬部さんの熱い思いを受けて、中国シュタイナー学校の生徒たち22名+引率者や指導者10名、総勢32名が、式根島の海を堪能しました。

写真をfbにアップしましたので、ぜひ、ご覧ください。撮影は、わたしと染谷裕太君(エーゲ海・アテネから帰国して翌日に式根島へ)


写真は、全部で100枚近くあります。6項目に分けました。クリックですべて見られます。



最初のアップ (クリックしてください)  



風景編(クリックしてください)

 

子供たち編ー1 (クリックしてください)

 子供たち編ー2 (クリックしてください)



恒例のおすもうゴッコ(笑)(クリックしてください)




お礼ー感謝です。(クリックしてください)

 武田康弘

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