思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

火星は、明日でなくとも当分大きさは変わりません。ぜひ、望遠鏡で見てみてください。

2018-07-30 | 教育

火星が明日、最接近。

今年は2003年以来の大接近の年ですが、1週間くらいでは大きさの違いは分かりません視直径が約24秒ですが、コンマ以下の変化)。当分の間、観望の好機です。

テレビの報道は、「明日に大接近」というだけの伝え方なので、誤解をうみます。

8月下旬でもまだ視直径は21秒程度ですので、夏休み中はずっと観望の好機が続きます。実際に望遠鏡で見るのと写真は全く異なる世界です。光を反射鏡(ないしレンズ)で集めて直接そのエネルギーを感じる=見るのはとても貴重な体験です。ぜひ、ご覧ください。

自動代替テキストはありません。

写真は、2年2か月前の中接近の時に
白樺教育館の口径21㎝反射望遠鏡で撮影。


武田康弘

 

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小澤征爾さんへ。「新潮文庫」の改定は、オリジナルに戻してください。若き小沢の心意気が死んでしまいます。

2018-07-20 | 学芸

「ぼくの音楽武者修行」=音楽の友社刊のオリジナルを、新潮文庫にするとき、本文では、ここだけ変えたのは、ほんとうに残念というか、小澤征爾の名を汚してしまいます。

ぜひ、オリジナル版に戻してほしいと思います。若き小沢の心意気が死んでしまいます。

「カラヤン、なにくそ」


 

以前、詳しく書きましたので、再録します。2015年1月15日のblogです。

音楽の友社版では、以下のように書かれています。

≪カラヤンの弟子になる の小見出しの 151ページから152ページ≫

「 レッスンになると、カラヤンは指揮台の真下の椅子に腰かけて、ぼくらが指揮しているのを、じろっと睨むように見ている。ぼくは睨まれると、カラヤンの音楽そのものを強要されるような気がした。そこで考えた。こんなことをしているとカラヤンの亜流になってしまう。カラヤンなにくそと思って、ぼく流の音楽を作らなければいけないと固く心に誓った。
  しかし一方、カラヤンは教えることに非常に才能があった。・・・・・・」

  新潮社による文庫本は、本文は全体としては同じなのですが(音楽の友社版そのままの文庫化)、驚くことに上記の茶色字の部分(本では3行分)が削除されているのです(165ページから166ページ)。
 若き血潮ほとばしる小澤のこの決意の言葉=が抜け落ちた文章を通読すると、当時、楽団の帝王として大きな政治力をもっていたカラヤンへの賛美だけとなり、平板で面白味がないだけでなく、小澤の見方と決意=【魂】が消されて、全体はまるで別物の印象となります。

 

  さらに、ここで使われている写真の説明文も変更され、
カラヤンの指揮でベルリン音楽祭の幕は切っておとされた」という音楽の友社版の事実説明は、
新潮文庫版では、「カラヤンの人気はヨーロッパ全体でもすばらしい。」と賛美の文章に変えられています。

 

武田康弘

 

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こどもたちを預かる学校の対応の遅さ・鈍さには呆れます。まるで役人のごとし。命が奪われる現状に深い哀しみと強い憤りを覚えます。

2018-07-19 | 教育

こんなに暑い日に、運動場〇〇周とか、体育館にみなを集めて集会やら運動やら。

日本の学校の意味不明の行為には、評する言葉もありません。

こどもたちへの対応は、何よりも臨機応変とか当意即妙の言動が求められるのに、

現実はもそのアベコベ.動きが鈍くて、こどもたちが重症になったり死んだりしないとそ何も変えない。

まるで、役人・官僚たちのよう。

子どもたちのを預かる者として、遅さ;鈍さという役人の特性は、最もダメなもの。

教師には、しなやかさ、柔軟性、ダイナミックさ、自由さ・・誰よりも人間らしいが必要なのに、ミニ官僚でしかない教師では、こどもを預かる資格がない。こどもを預かる者は、机上の空論ー情報マシーンー言葉と数字の辻褄合わせではダメ。人間として生きよ!

式根島キャンプでの一コマ。
元気で、すばらしい笑顔のこどもたちと、レストラン・サンバレーの梅田さん


武田康弘

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「五日市憲法草案は、民権意識を記録した世界でも珍しい文化遺産」-誰の発言でしょうか?クイズです。

2018-07-19 | 学芸

 5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。

 明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。

 当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。


 上記は、2014年の皇后の美智子さんの発言です。夫の明仁さん(現・天皇)と二人で、五日市の郷土館を訪れて、伊藤博文の明治憲法=大日本帝国憲法(天皇が臣民に与える欽定憲法)に先立ってつくられた「五日市憲法素案」のオリジナルを見ての感動を文章にして、発表したものです(改行と太字・下線は武田による。発表は宮内庁)。

 自民党の政治思想=憲法観とは著しく相違する民主的な思想と言えます。


※五日市憲法草案の発見者で、
著名な歴史家である色川大吉さん

武田康弘

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熱中症ーー炎天下で長時間遊ばせても、42年間ゼロです。秘訣は?(拡散希望)

2018-07-18 | 教育
 
 
 

 わたしは、真夏の式根島でちびっこキャンプ&ダイビングを42年間続けてきました。4泊5日です。
 また、太陽が照りつける中、一日中サイクリングで遊び回るなど行事もいろいろしてきました。でも、一人も熱中症にはなりません。他の病気になる子もいません。

 先天的に身体の弱い子、生まれつき心臓に欠陥のある子もハードな真夏のキャンプに参加してきましたが、体調がよくなる子はいても、悪くなる子は一人もいませんでした。
...
 なぜでしょうか?

 まず一番は、管理主義ではないことです。自由でのびのび楽しい状況をつくるからです。おとなたち(親や教師)のあーだ、こーだ、こうしろ、ああしろという言葉=精神=雰囲気を、タケセンパワーでみんな消去するからです。こどもたちは、力が抜けて心からリラックス。心配事や嫌な事は忘れます。そうすると、不思議なほど元気になります。

 次に無理はけっしてさせないことです。こどもの様子・体調をだまって見ています。こどもを管理する対象ではなく、愛すべき存在として見ていますから、細かな変化ー表情の曇りなどが自然と感じ知れます。

「やすむときは日影でね~」「ずっと日に当たっていると後でタイヘンだよ~」 とアドバイスをしたり、おいしく水分補給におやつも。
心にも身体にも負担がかからないように、楽しく気分よくなる状況をつくります。また、帽子と頭をびしょびしょに濡らすーときどき水道をみつけてまた濡らす(濡らしたタオルを帽子の下にすると長持ち)は、必要です。



 いまの管理社会ではこどももおとなも楽しくありません。意味充実のよろこびとは逆に、いちいち全部決めて、うるさい、うるさい。ほんとに心の底から生き生き嬉しくの世界がありません。管理ではなく自由こそが安全をつくるのですー
それをわたしは40年以上の時間をかけて証明してきました。

 わたしの考えのもとでは、みなが目を丸くするほどガンガン好き放題暴れても(笑)、ぞうだからこそ、病人がでません。それどころか、土や泥を触ると手がひどく腫れてしまうアレルギーの子(手袋をして遊んでいた)も、奥多摩の沢に入り、素手で土遊びをしても全然平気でしたし(その時から病が治ってしまいました!)、毎日薬がかかせないひどい喘息病の子もキャンプで5日間も薬を飲むのを忘れてもなんともありませんでしたし、ハードな運動を禁止されていた心臓病の子もキャンプで毎日みなと遊びましたが、顔色もよくなり元気になりました、まあ挙げたらキリがないですが、熱中症もその他の病気も42年間、ただの一人も出ていません。

 こどもの病気は、大人の意識がもたらす人災です。

 なんといううるさい社会なのでしょうか、こどもではなく、大のおとなもみな病気になります。精神疾患者であふれますし、体調不良者であふれます。みんな「おバカ」ですね。

 いまの世の中は、無前提で愛することー心身全体での愛がとても少なく、その代わりに管理があります。『底なしの低能文化』といえます。わたしの正しさは、42年間のオリジナルな実践が証明しています。豊かな愛のない人、いかめしい顔、硬直した顔、つまらない顔、無表情の人が、子育てや教育ができるはずがありません。よい人生とは無縁です。

 そういう意味でも「病は気から」といえます。笑い声・はしゃぎ声。たのしくうれしい気持ちが心身の健康をつくるのです。他者攻撃や陰口ではなく、自他への無条件の愛こそすべてです。
 
 
武田康弘
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おしゃれで強い、外連味がなく爽快なポール・ルイスのピアノ演奏会=11月、銀座王子ホールで。

2018-07-08 | 芸術

エネルギーに溢れ、強靭で、かつオシャレ。
外連味(けれんみ)がなく爽快で気持ちがよいポール・ルイスのピアノは、最高です。
鬱屈とした精神とは無縁、歪みのない健康で堂々とした精神の力により生みだされる繊細さ。
ポール・ルイスの弾くピアノを聴くのは、嬉しく心躍る時間。粋です。

みなさまもぜひお出かけ下さい。

11月20日(火)と22日(木)で、プログラムは異なりますが、両日ともハイドン、ベートーヴェン、ブラームス=HBBコンサートです。
とても贅沢な315席の王子ホール(銀座四丁目・三越となり)で、全席指定席・6500円です。残席僅少です、お急ぎ下さい

電話は、03-3567-9999(月~金、10時~18時) ネットでもok


昨年11月の演奏会後のサイン会で。王子ホール

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「いいね!」の件数が、すべて「0」になってしまった理由。

2018-07-07 | その他


2018年2月17日に、過去のblogのすべてが「0」となってしまいましたので、編集部に復元をお願いしましたが、「どうしても復元はできない」とのことでした。

1万件以上の「いいね!」を頂いたblogが数多くあり、読者のみなさまの強い意思は、書き手のわたしには大いなる励みでもありましたが、すべて「0」となりました。
わざわざ「いいね!」を押して支援して頂いたみなさまの心=行為がすべて水泡と帰してしまったことには、強い憤りを感じました。
亡くなった泥さん(元ミサイル防衛部隊)が生まれてはじめて行った街頭演説=「集団的自衛権反対!」には、35万件を超える「いいね!」がありましたが、これも「0」となりましたので、いま表示されている「いいね!」の数は、2018年2月17日以降のものです。

以下が、編集部よりのメールです。

「いいね!」の件数の復元につきましては、 常時SSL化に伴うURLの変更(「http」→「https」)によるもので、 Facebookが提供する「いいね!」ボタンの仕様上、 どうしても復元させることができない状況でございます。 何卒ご理解賜りますようお願いいたします
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生きている人間を「神」とするー明治政府の「天皇現人神」の思想と麻原オウム教。

2018-07-07 | 恋知(哲学)

超越神をもたない日本人は、ある家族を神の系譜とし、ある人間を神とすることに違和感がないのでしょうか。

「日本会議」という右翼団体に首相以下大多数の閣僚が所属し、いまだに天皇神格化や皇族崇拝の思想が幅を利かす国が近代国家とは、あまりに愚かで呆れるほかありません。

自分の内にある善美の座標軸に従って生きられない人がそれほど多いということでしょう。麻原のオウム=生きた神!に人が集まったのも頷けます。

現人神(あらひとがみ)というおどろおどろしい思想や、超越神への信仰という一神教によらず、よき自分の生をつくるのは、フィロソフィー=「恋知」の実践以外にはないはずです。

一人ひとり異なる人間の内にある善美への憧れ心に従って生きること、超越や絶対を外に置かず、自分の存在の内にのみ座標軸があることの明晰な自覚をもつこと。

ブッタとソクラテスという同時代の思想は、紀元前200年代の仏教と古代ギリシャ王たちの深い交流にも見られるように、自分の内なる思考力=真実の探求心以外には、従うものを持ちません。

このよき伝統を自覚し、互いの対等性と自由を認め合う徹底して民主的な生き方を始めようではないですか。民主性・民主制・民主政の社会をつくるのは、自己の内なる善美への憧れをもつ人です。

 

以下は、3年以上前に出したblogです。

「オウム・20年目の真実」 と 「戦前の天皇教」と。

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「個人はチームに先立つ」ーいまだに分からないのは日本だけのようです。とても愚かです。

2018-07-05 | 恋知(哲学)

私という個人が感じ・想い・考えるのであり、チームが・学校が・会社が・国が、考えたり、話したりはしません(笑)

私が、「私」のことも、「チーム」のことも、所属する「団体や組織」のことも考えるのです。あくまでも『私』が、感じ、想い、考えるのです。

こういう当たり前のことが踏まえられず、すべては私の意識から始まることを自覚して行為することがとても少ないのが、日本の現状です。

「私」が感じ・想い・考えるのです。それを明晰に意識しないと、何をやってもおかしなことになり、「人間を幸福にしないシステム」が変えられません。

現代でもなお、個人意識=私の想いや考えから出発して普遍性や本質を志向するのではなく、立場上の上位者や官僚政府の側にいる人の言うことに流され、従う人が多いのには呆れ返ります。ほんとうに愚かです。

各自が考えたことをどんどん言い合うこと・聞き合うことではじめて一人ひとりの意識が明瞭になり強くなりますが、これこそが一番大切な営みなのです。

一人ひとりがよくなることが、全体にとっても、結果としてプラスの価値を生むのです。

精神的自立=個人の自由と責任を育て、守り、鍛えなければ、個人にも社会にも幸福・充実・発展は生まれません。

個人を豊かにする以外の方針=「戦前思想」=滅私奉公をつくりだした【天皇教=靖国思想=国家神道】ほど愚かで非人間的な思想はありません。

こういう原理・原則次元の思想を深く明瞭に了解することが、何より必要なのです。

「公」=官僚政府中心の国家主義=人間を団子にする愛国主義は、すべてを破壊する全体主義であり、歴史により敗北した思想です。

シチズンシップ(市民精神)に基づく「公共」世界を開き育むことは、精神的に自立した個人なくしては、不可能なのです。

実存は本質に先立つ、 個人は組織に先立つ、それが分からない国では、お先真っ暗で、戦前に逆戻りです。



武田康弘



 

 

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パトリシア・コパチンスカヤを知るために必聴のCDが 『ラプソディア』 です。

2018-07-03 | 芸術

パトリシア・コパチンスカヤを知るために必聴のCDが『コパチンスカヤ ラプソディア』です。

これを聴くと、コパチンスカヤの音楽の意味がよく分かります。
西ヨーロッパ文化に偏しているわれわれ日本人の偏りに気付きます。
聴いたことのないレベルの音楽が次々に展開して、唖然となります。
THE MUSIC 音楽、ただ音楽です。たまらない。

とりわけ来年2月に、わたしが「古代アテネからの使者」と呼ぶクルレンツィス+ムジカエテルナと共に来日し、チャイコフスキーのヴャイオリン協奏曲を弾く彼女を真に理解し、その天才性を味わうには必聴です。

CDに付属する解説書に記載されている、パトリシア自身が語る家族のこと・自身のことはとても面白く、国宝級の民族楽器の奏者で、「自分のルールにしか従わない」お父さんの抱腹絶倒のエピソードなど貴重な情報が満載です(日本語)。

プロフィール・コパチンスカヤ=YouTube
 

武田康弘

 

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後半、胸のすくシュート2本、そこから本気になったベルギーの恐ろしさ(笑)面白いサッカー!

2018-07-03 | 社会批評

fbにサッカーのとても短い感想を書きました。

 

「勝ち負け」というのは、競技を成立させるために必要な基本条件です。

だから、勝つことを目がけるのです。

しかし、勝ち負けの前に、より上位の価値として、エロース楽しむ・面白がる・よろこぶ・燃えるという心身全体の躍動=生命の躍動感があるのです。

そこが分からないと、無粋になります。下卑た勝ち負け主義になります。

スポーツには、高貴さが必要なのです。誇り高き精神がなければ、勝つ、には何の意味もありません。

日本の部活動には、この高貴さがまるでないのです。善美がありません。

いまだに、長州下級武士たちが中心となった明治維新のイビツナ精神「勝てば官軍」というような、恐ろしく低レベルな言葉=思想に支配されています。

生き方=考え方を変えましょう。エロース豊かなもの=心身の善美に憧れる生へ。自己の内なる良心ではなく、権力や権威へ頭を下げるのは最低です。


武田康弘

 

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学校にも会社運営にも政治にも、これから一番求められるのは、『民主的』ということです。

2018-07-01 | 恋知(哲学)

 人と人との関係で何よりも一番大切なのは、民主的であることでしょう。

 これからの社会に一番求められるのは、自分に正直な心、ほんとうの自由対話、それによる決定、です。忖度する・空気に従う、というのではなく、ふつうに正直に、自然に無理なく、自由にのびのびと考え、話すこと、その練習です。その営みが褒められる環境づくりです。

 いま流行りの「他者承認」(ヘーゲル哲学の用語)を気にして生きるというのは、一番ダメな生き方です。批判、特に上位者や大きな組織に対しては、ものを言わずにダンマリを決め込む、また、批判する者を「クレーマー」というような差別用語で非難する。それでは自分自身の魅力は減じ、組織あるいは社会問題の解決はさせず、沈滞を招くだけです。

 経済も、大企業が中小企業をイジメる、企業運営が上位下達である、というのでは、会社は伸びません。一人ひとりの人間が生き生きとし、楽しく充実して、意味深く生きることなくして、優れた仕事ができるわけがないのです。善美を想うことのない人間=エゲツナイ利害損得しか考えない人の集まりは、必ず敗北しますーーー30年前にこのわたしの基本思想を大激論の末に受け入れ、実行した佐野力さんは、「日本オラクル」(株)を成長どころか、爆発させることに成功したのでした。

 自由対話、無礼講でなんでも言える状況をつくり出すことが「はじめの一歩」なのです。

 それは、子育て、子どもとの関係からはじまり、すべての人間活動の土台です。いまの安倍政府(「戦前思想」=その象徴が「教育勅語」礼賛)の思想では、個々人も社会もダメにしてしまいます。個人の自由と責任=精神的自立を強めるではなく、組織や国家という全体を優先する思想は、人間存在のありようの自然性とは相容れず、原理上、間違いなのです。

 人間は、必ず「私」です。組織や国家の一員である前に「私」であり、その「私」から出発するというのは、覆しようのない事実であり真実です。「私」が尊重される。「私」こそが、一切の基準=座標軸であることがしっかり了解できてはじめて、普遍性のある考え、みなに共通する利益を考え出すことも可能になるのです。

 未来を拓く条件は、民主的であること。どこまで民主性・民主制・民主政を広げられるか、発展させられるか、それが勝負=根源的な勝負を決めるキーです。

 「民主的」を支えるわたしの『恋知』の思想は、公平・公正で普遍性豊かな人間と社会を生みます。教育はもちろん政治でも会社運営でも、わたしの思想は、すでに豊かな成果をあげてきましたし、役人(官僚)にも強い影響を与えてきました。繰り返しますが、未来を拓く鍵は、「民主的」の拡張と深化にあります。これは間違いありません(笑・ホントウ)

 あっ、とても大事なことを書き忘れていたので、追加。

 民主政(制)社会とは、互いの自由を認め合うことが柱となっていますが、この「自由」を、「法律に反すること以外なら自由だ」という消極的自由とすると、「民主的」が空気を読むという受け身の忖度文化に落ち込んでしまいます。積極的な自由への意思=能動性の精神を持たないと(育てないと)、自由の名の下に、結局は、国家主義あるいはまた管理社会を容認ないし正当化する論理→感情を培養してしまう愚に陥ります。要注意です。


  (写真はトルコのアソス=今年4月に染谷裕太君撮影)


武田康弘

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