思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

今日と明日の音楽は、ベートーヴェンの「ディアベッリの主題による変奏曲」(ピアノ=ポール・ルイス)

2019-04-30 | 芸術

 

 いま、ディアベッリの主題による変奏曲を聞いています。

 ベートーヴェンのみならずあらゆるピアノ曲で一番好きなのがディアベリ。今までに数百回は聴きました。2000年からは、ポリーニの静的な演奏で、数年前からはポール・ルイスの動的な演奏で。CDはたくさん持っていますが。

 偉大な共和主義者のベートーヴェンが、アントン・ディアベッリ(ウィーンの出版商)の平凡なテーマを音楽史上最大の曲にしたのが「ディアベッリの主題による変奏曲」です。33の変奏で演奏時間は50分を超えます。人間味に溢れ、大胆なまでに自由で多色多彩、人間のさまざまな感情を恐ろしいまでに露わにした名曲で、晩年のベートーヴェンが到達した空前絶後の高みに聴くたびに圧倒され癒されます。

 

 

 それに、とても嬉しい出来事が!
以下は、昨日書いたfbの日記から。



 なんと、ディアベッリ!(超嬉)
 昨年、王子ホール(銀座)での演奏会後に、メールでポール・ルイスにリクエストしておいたのが現実に!!
 わたしが最も好きな作曲家ベートーヴェンの最も好きなディアベッリ変奏曲を最も好きなポール・ルイスのピアノで聴ける。なんという幸せ~~!! しかも演奏日の10月1日は、わたしの父の命日なのです。
 一般発売は5月25日(土)10時からですが、王子ホールは超贅沢で315席ですので、すぐ売り切れます。当日お早めに。
 CDの演奏でも最高のディアベッリ変奏曲ですが、10年前の録音ですので、当日の演奏はどうなることか!ドキドキ。超名演が聴けるでしょう~~。 昨年一緒に撮った写真にサインも貰うぞ!(笑)
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 明日5月1日は超豪傑だった母の命日で、メーデー(世界の働く人の祭典)ですので、ピタリ。明日も聴きます。日本も共和制にするのがよいのです。それに演奏者のルイスのお父さんは港湾労働者でした。

 

 ☆ 皇族も含めてみなが幸せになるために、 「私と共和制+人類文明の三分類と恋知」(武田著)をぜひお読みください。

 

 

武田康弘

 

 

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今日までは平成時代!明日からは令和時代? すごい! 世界で唯一、時代名を変えてしまうことができるのがわがニッポン国!(笑)

2019-04-29 | 社会批評

改元だ!

新しい時代だ!

平成の世から令和の世に~~~

 

なんという暴力だろう。有無は言えない。

わたしの気持ちもわたしの感覚もわたしの考えも関係ない。

今日までは平成時代で、明日からは令和時代なのだ!

 

時代名が変えられて、

マスコミが毎日毎日、平成の時代、平成のまとめ、平成最後と連呼し、
令和の時代が始まる、令和おめでとう、新しい令和という時代と連呼する。

国家カルトの国だな~~、凄い、恐ろしい、通し番号ではなく時間に名が付けられて時代名が変わってしまう世界で唯一の国に住んでいると、頭がおかしくなりそう。

 

 とても困りますが人々は唯々諾々とそれに従う。脳が特定の色に染められ=染脳、特定の観念に占領=占脳されていることを、嫌だな、と思うこともない。いま一番必要なのは、脳を洗いキレイにすること=洗脳でしょう。 時間の流れは、切断することはできませんし、実体化することもできません。人間は時間的存在ですから、国家が時間=時代を管理すると、個人の自由は知らずに消去されます。元号というブツギレの時間=時代名は、「遠くを見、開けゆく未来を展望する」ことを阻害して、近視眼的な思考→思想に意識を固めます。元号という時間=時代管理は、個人としての人間のスケールを抑え、小粒にしてしまいます。

 

 君は、令和の時代を生きる人だ! ニッポン令和時代の獅子だ! 誇り高き令和の日本戦士だ! 令和時代、世界のどこにも通用しない元号万歳!(笑) ニッポン人の自覚を持て! それが元号の力。元号という占脳の威力だ、元号色に染脳されて、みな歌え、踊れ、喜べ。

 

 世界に唯一残った元号の国、中国から輸入した「元号」制度を守り抜く国、それがわがニッポン。う~~ん、さてと、わたしは、西暦(実際上の世界暦)を使う国に日本を変える運動をはじめよう~~(とっくの昔にはじめていますが、これを機に更にね)

 

 

 回覧板に「学校便り」が入っていましたが、やっぱり平成から令和へ、新時代!とのこと(我孫子第一小学校の校長先生が、「いままでは中国古典からでしたが、令和は日本の万葉集から」と安倍首相と同じ説明を書いています・笑)。 なんとも~~~。そんな時代、世界のどこにもない、失礼、日本にだけあります。

 今日まで平成時代で明日から令和時代。ニッポンエゴイズムの極北ではないでしょうか。天皇陛下万歳!なのですか?(笑)。平成31年と令和1年が同じ年。いえいえ、今年は1月1日から12月31日までずっと2019年です。わたしの生まれは1952年です。




武田康弘

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英訳完成=Three Schools Of Thought That Have Impacted Humans Up To The Present +”Love of Thinking”

2019-04-28 | 学芸

 三枝恭子さん(米国コロライド州在住の言語学者)による「人類文明の三分類と恋知」の英訳が完成しましたので、白樺教育館のホームページで公開しました(アップは古林治さん)。


 人類文明を一神教(強い宗教)を土台とする《狭さ》から解き放つことは、21世紀の最大の課題と思いますので、ドイツ語、フランス語、中国語、ヒンディー語などにもしたいのですが、訳して下さる方、ぜひご連絡をお願いします(無料ボランティアですが)。

  絶対性や超越性ではなく、普遍性のある考え方を探る営みを「恋知」と呼びます。外なる権威ではなく、一人ひとりの内なる善美の座標軸を育て、それを基準とする生き方です。

 

武田康弘

 

 

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ゴーンの保釈中の逮捕など、あり得ないことの連続=世界の民主国からは、日本の検察庁は「反民主主義」であり、検察官は「反人権思想」の持ち主と見られています。

2019-04-28 | 社会批評

 「ニューヨークタイムズ」が先月、社説で書いた通り、ゴーン氏の裁判は、(世界の民主国から)日本の司法制度が裁かれるものでもあるのです。

 裁判前に何カ月も拘留して毎日長時間の取り調べをする国は、軍事独裁国家を除き日本以外にはありません。そういう基本すら知らずに、ゴーン氏は有罪か無罪かを論じるのは、論外で、話になりません。テレビに出てしゃべる人のレベルの低さには呆れ返るだけです。検察庁のしていること自体が日本国憲法に反し、人権思想に反する行為で、まさに、罰せられるべきものなのです。

 民主主義の中身は人権思想であり、人権を守ることを目的とするのが民主主義の政治であり国家制度なのですが、そういう基本を踏まえないのが検察特捜部で、話になりません。いままでの検察官の行為の多くは憲法38条に反していますが裁判官も同罪です。じっくり読み直してください。

 こういうデタラメな検察庁の言動を支えるのが、安倍首相の中心ブレーンである麗澤大学教授の八木秀次(政府の各種諮問機関の委員)の思想です。「反人権宣言」(ちくま新書)を出し、北欧の人権先進国であるスウェーデンを「終わっている国」と断定し、悪口の書き放題です。民主主義の内容が人権思想であることも弁えず、「反人権を謳う社会思想家を政権のブレーンとする国は、もちろん世界中に日本だけです。

 日本が民主政治の原理原則がない国であることは、元「ニューヨークタイムズ」東京支局長の言う通りです。

 検察庁という行政機関を監督するのは、三権分立の原則に則り、国会(国権の最高機関=憲法41条)からの行政監視なのですが、それすら知らない国会議員も多く、参議院に設けられている行政監視委員会は、まったくというほど機能していません。10年前に山下栄一委員長(公明党)は、獅子奮迅の努力で、検察や警察にも視察を行いましたが、いまは再び沈滞です。現行の制度では行政監視委員会に行政機関の憲法違反を疑われる行為をやめさせる権限がなく、非力なのですが、それでも頻繁に視察すれば大きな力となります。ぜひ、国会議員のみなさんには超党派で頑張ってほしいと思います。

 それにしても、法務省の役人の課長級以上が全員検察官というのでは、「独裁国家丸出し」と言われても抗弁のしようがない酷い話です。


4月18日(金泰昌さん来館時)


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員。「日本国憲法の哲学的土台」を講義)

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 以下は、fbのコメントです。

澤田一眞さんは、ドイツ在住で専攻は哲学です。

澤田 一眞 日本の刑事司法の問題はもうずっと以前から国際社会で問題視されてきました。国連の「拷問禁止委員会」で日本の「人質司法」が問題視され、何度も是正勧告を受けても日本政府、法務省は無視を続けています。無視どころか、委員会で日本の制度を「中世」と批判されると日本の上田「人権人道大使」はShut upを二度繰り返して国際社会の場で大顰蹙を買いました。この事件は象徴的だと思います。日本の政府、法務省、検察庁の姿勢は今もって国際社会にたいしてShut upなんです。何と恥ずべき政府を我々は持っているのでしょうか。言葉もありません。

 

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わが我孫子市の惨状 ー 高濃度放射能汚染の泥で遊ぶこどもたち と 呆れた元号狂い

2019-04-24 | 社会批評

 保守市政に変わり12年が過ぎた我孫子市では、あらゆる面で「イイカゲン」がまかり通っています。その中でもひどく危険で愚かな問題を二つ。責任ある市民の立場で至急の改善を勧告します。誰一人なにも言いませんので。更に、キナ臭い話は山ほどありますが、明白な証拠がありませんので書きません。

 わたしは、昨年から手賀沼の放射能汚染の問題で市役所に電話をし、また直接「水の館」の中にある手賀沼課に出向いて話を聞き、放射能汚染に関する資料のコピーももらってきました(今まで放射能汚染について聞きにきた人は誰もいないようでした・驚)。手賀沼の泥からはたいへん高濃度の放射線が出てます。多くの場所で1000ベクレルを超えていました(最新のものは東京新聞の調査で2018年12月測定) 。手賀大橋で、1350ベクレル~1400ベクレル/kg です(川底0㎝~20㎝)

 しかし、広報や学校でこどもたちに泥に入らないように注意すべきとのわたしの提案は聞き入れられず、高濃度に汚染された泥でこどもは遊んでいます(注意を促す看板一つ立っていません)。この事実を知れば世界中が驚愕するでしょう。しかし、1月に行われた市長選挙では、現職の星野市長(公約をやぶり4選目)は放射能汚染への対策については問題とせず、直接こどもの人体への影響が懸念される問題なのに、保守政権への対立候補も、こどもたちの安全と命の問題として正面から戦う姿勢が見られず、積極性を欠いていました。4月の県議選でも各候補ともみな消極的でした。
                
   写真は、手賀沼向かいの桃山公園の水場で泥遊びをする子どもたちで4月20日(土)です。近くにいたお母さんたちには、「手賀沼周辺の空間線量は国際基準に収まっているので大丈夫でしょうが、泥は高濃度に汚染されていますので入るのはまずいです。よく洗ってあげてください。手や足の爪の間もきれいにしてください」と話しておきました。この桃山公園の水場は、手賀沼のすぐ傍なので同様の汚染度のはずです。我孫子市では「この場所の放射能測定はしていない」とのことでした(昨年夏に「手賀沼課」から「公園課」に電話してもらい確認しました)。また、泥の取り換え=除染も一度もしていないとのことです。

 
2019年4月20日(土)午後3時37分  我孫子市 高野山 桃山公園の水場


 次は拙宅向かいの村川別荘で行われる行事の話題です。開催日は、平成31年4月27日~~10月25日となっています。日本におけるギリシャ史のパイオニアの村川堅固とその息子で世界的に知られるギリシャ史を中心とする歴史家の堅太郎(一番多く採用されていた教科書「高校世界史」山川出版ーの編集責任者)の旧別荘で行われる催しまで元号表記、しかも間違っている表記(笑)。西洋史だろうが関係なく元号表記なのには呆れます。我孫子市の場合は、星野市長になってからはなんでも元号優先になりましたので、オリンピックも令和2年開催とか言いそうです(笑・呆)。




我孫子市に限らず、自民党系の人が多い地域では、放射能の話題はなく、元号騒ぎだけがある、というのは、特徴的なことです。安倍首相の言葉「コントロールされている」に従い、無いことにするのでしょう。忖度。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員)

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「君子の最上の儀礼も、道の教えにはかなわない」 (老子)

2019-04-22 | 学芸

 老子 「道徳教 」62章より

 人間は、各々がそれぞれの道にしたがって生きているのであり、善とか不善とは、人為的な区別にすぎない。

 天子が即位して、最高の祝福の儀式がある。しかし、そんな最上の礼でさえも、
座ったままで道の教え
(人為を超えた普遍的で自然な生の道)を献上することにはかなわない。


※老子(道と徳の思想=道徳経)は、いま、欧米で最も読まれている書物です。

武田康弘

 

 

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科学番組まで元号表記!すさまじいニッポン天皇教、いまNHkで小惑星イトカワの放映年を平成23年と表記(呆)

2019-04-21 | 社会批評

 世界でただ一つ残った「元号」制度。不合理極まりないシステムなので、全世界でやめたのに。

 NHKでは科学番組まで元号表記、フー、もう言語に絶する日本教=天皇教で、口あんぐり。今、小惑星イトカワの番組で。

 天皇と呼ばれる存在がいたのは、通算でも500年あまり。天武天皇から村上天皇まで。平安前期からは京都のローカル王となった為に、○○院となり、天皇と呼ばれる存在はなかったことすら知らない人ばかり。復活したのは、江戸後期の光格天皇から。皆が知らないのは、学校で嘘の日本史(明治政府がつくった天皇教に基づく日本史)をいまだに教えているからです。

 こうなると、オリンピックも令和2年開催の、とか言いそう(笑笑)

 政府=国家権力は、テレビ局と共に、実際上、元号表記とするように誘導し、強要。こんな凄いことをする政府は、世界のどこにもない。世界一の思想統制国(「電通」などが自然にみなの合意だと思わせる戦略を記号学を用いてつくる)ですが、みな自由だと思い込む。さすが日本で、占脳=染脳技術は見事、天晴れ~~~~! 

 結論としては、日本人であれ、理性=総合的判断力をもつ人間となるように生きたい、ということです。


武田康弘

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なにが元号ですか、神話がまかり通る日本では、再びカルト国家に堕ちてしまいます。

2019-04-20 | 社会思想

 元号を世界の国がみなやめたのは、あまりにも不合理だからです。

過去も未来も分からない。何年前かもわからない。ある家族(皇室と呼んでいる)の一人の人間の死や都合で、時間が切られ、時代が変わる、

これほど人を馬鹿にしたシステムはないので、世界中でやめたのです。最期に残るのはニッポンのみ。

 

 もういい加減に「国家宗教」の国をめやないといけません。神話を現実と言い張るのは、あまりにも愚かです。神武天皇の墓!?そこに遺骨があると言うなら、見せてみなさい。万が一遺骨が出てきたら、DNA鑑定をしなさい。血のつながりなど大嘘であることが証明されるでしょう。

 

 その証明もやらずに(できるはずはありませんー真っ赤な嘘であり神話でしかないのですから)、万世一系という酷い嘘を流布する人たちは、とんでもない嘘つきで、天罰が下るでしょう。

 

 嘘と偽りで固めた国など、まともな国家とはよべません。仰々しい皇室儀式で嘘をホントウだとし、デタラメを押し通そうとする心根は元から治さないと、健康で優れた人間には永遠になれません。

 


 今までは平成時代でこれから(5月1日)は令和時代、これほど人を馬鹿にした話はありません。元号の時代があるとは恐れ入ります。病気の進行が止まりまん。わが日本人に理性はあるのでしょうか。愚かにもほどがあります。ひどい迷惑です。


※なお、皇族を含めてみなが幸せになるにはどうすればよいか? ぜひ、わたしの論説をお読みください。 「私と共和制」(+人類文明の三分類と恋知)


武田康弘

 

 

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人間は、その社会の道徳や規則に反することもするものです。それは必要なことです。

2019-04-19 | 社会思想

人間は、その社会の道徳や規則に反することもするものです。

遵法主義者ー道徳主義者とは、ギリシャ神話(プラトンによるソクラテスの対話編「饗宴」)に出てくる厳禁の神のアナンケのような存在ですが、このアナンケを打ち負かし、自由と柔らかさと平和をもたらしたのが恋愛の神、エロースでした。規則や道徳に縛られ過ぎないことは、よく=楽しく豊かな人間性をもって生きるためには大切です。

 

問題は、その質と程度です。特段に他者への迷惑とならないことであれば、一人ひとりが自由に思い通りに行為することは、よいことであり必要です。固い、うるさい、細かい、というのは、ほんとうの道徳ではなく、規則のほんらいの意味でもありません。

 

テキトウ、ほどほど、まあまあ、うるさいことを言わない、というのは、最大のよいなのです。この人間の生の真理を分からない愚かな者が「正論」を吐くのを見ると、吐き気がします。

 

アナンケのような厳禁の精神をもつ人間は、皆を不幸にする最悪の存在です。お話になりません。それがいまの日本で、世界1位の管理社会と認定されています。



武田康弘

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13年ぶりの来訪!金泰昌さん(「未来共創新聞」の山本さんと)白樺教育館

2019-04-18 | 恋知(哲学)

長い一日がおわった~~、懐かしく楽しい時間でした。

金さんと私は、34回に及ぶ哲学往復書簡で丁々発止の議論を交わし(『ともに公共哲学する』のメインとして東京大学出版会から2010年に刊行)、

参議院調査室(内閣委員会、総務委員会、行政監視委員会の合同)での討論会でも激論を交わした仲ですが、

金さんが先月韓国から来日に、今日、13年ぶりに白樺教育館を訪れ(5回目!)、友情を温めました。金さんはいま、老いの哲学に取り組んでいます。

愛こそが哲学の中心という主張で、わたしたちの思想(恋知)とピタリと重なりました。

 

 

 



 

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ウイリアム・モリスの美しい本たち 明星大学ギャラリーで展示公開(無料)+ 白樺教育館のモリスと柳宗悦とブレイクなど。

2019-04-12 | 学芸



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以下は、白樺教育館にあるモリスと柳宗悦の書とブレイクなど。

  敷布は、モリスのデザイン。 恋知の書は、本村典子さんからの寄贈。






本棚にある柳宗悦全集とウイリアム・ブレイクの書


 柳宗悦と兼子の手作り本 「工芸」

 



ブレイクの版画、詩を賛美する詩 につけた絵(版画)です。  ↑
ブレイクの彩色の版画は、国立西洋美術館にもありません。   ↓


 

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元号を使わない市民になることが、民主制国をつくるはじめの一歩です。

2019-04-12 | 学芸

 元号を使わない市民になることが、民主制国をつくるはじめの一歩です。元号使用をやめることは、この瞬間から誰でも始められることですが、それは、明治政府がつくった国体思想=近代天皇制の詐術を元から断つ偉大な一歩となります

 

 

武田康弘
皇室の人を含めて皆が納得できる日本のあるべき姿を描きました。ぜひ、お読みください。 「私と共和制」+「人類文明の三分類と恋知」

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白樺教育館の3枚の掲示=「元号ではなく西暦を」 「他と比較・競争せず深い納得を」 「厳禁の神を退治したのがエロースの神」 写真でどうぞ。

2019-04-11 | 学芸

白樺教育館の3枚の掲示=「元号ではなく西暦を」 「他と比較・競争せず深い納得を」 「厳禁の神を退治したのがエロースの神」


 

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「非反省的コギトーは、絶対に通訳不可能だ。」 竹内芳郎氏の授業で

2019-04-08 | 学芸

 (32年前の懐かしいノートより)

「どんなに経験的内容が共同主観的なものであっても、それがまさに展開される地平そのものとしての非反省的コギトーは、絶対に通訳不可能だ、という存在論的事実」

 

 これは、わたしの師であった竹内芳郎の言葉ですが(「言語論」の授業中)、まさにこの人間存在の存在論的事実を明晰に意識しなければ、あらゆる人間の営みは虚妄となり、根源的不幸を招来します。

 

 


竹内芳郎氏(63才)  1987年 竹内氏自宅で           武田康弘(35才)

★今年5月、わたしは67才になる。この時の竹内先生の年齢をとっくに追い越している(笑)



武田康弘


FBのコメントで、哲学用語ではなく、という指摘がありましたので、書きます。

すみません。32年前の思い出のノートが出てきましたので、そのまま出しました。
よく話し合い、合意が得られても、一人ひとりの人間の心=ありのままの思いは、決して一つにはならない、ということです。
当たり前の話のようですが、それを忘れると、ひどいことになります。他者(親子でも恋人や夫婦でも)への侵害が起きます。


それから、竹内氏の授業「言語論」に出ていた綿貫君(彼の誘いでわたしも出ることになったのです)からも、このままではマズイとの指摘があり、
「非反省的コギトー」についての説明を、とのことでしたので、コメント欄に書きました。以下です。

 「反省的意識」とは、ふつう私たちが使っている「意識」のことですが、 「非反省的意識」とは、或ることをしたり考えたりしている意識を支えている無自覚的な意識をさします。ただし、無自覚とはいえ、うすうすは意識していますので「前意識」という言う方がよいと思います。 (サルトルの言葉=概念)
コギトーとは、我=自我のことですので、 「非反省的コギトー」とは、はっきりと意識化されていない自分の意識のことです。
綿貫君、もっと分かりやすく言えるかな?タケセンは、そこそこお歳なのでよろしく。
FBの方でも哲学用語では困るから、わかりやすく説明してほしい、と言われて、超かみくだいて書きましたが、「思い出」だけ書いてもダメですね!(笑)。ありがとう~~~。

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元号のもつ恐ろしさ

2019-04-06 | 社会思想

  満州事変による中国侵略から対米戦争まで続く14年間の戦争の時代。それは天皇を神とし日本国の主権者とした時代でした。この人類史上最大の戦争で、日本は「ポツダム宣言」を受諾し、無条件降伏しました。 敗戦後は、主権者を国民とする新憲法へと大転換を遂げ、天皇は「人間宣言」をし、天皇現人神の思想を否定しました。国の形が根本的に変わりました。戦後の荒廃から朝鮮戦争による特需をきっかけに高度成長への道を走り復興し、最後はバブルに浮かれて大騒ぎとなりました。

 

 恐ろしいまでに異なる時代でしたが、なんとこれを「昭和時代」と一まとめとしてしまうのが元号のもつ恐ろしさで、味噌も糞も一緒です。これほどデタラメな話はないでしょう。裕仁の【退位すらしない】という驚くべき行為(恐るべき戦略)により、敗戦前も敗戦後も同じ「昭和時代」とされたのです。

 
明治時代、大正時代、昭和時代、平成時代、で、2019年5月1日からは令和時代、なんのことか。

このような極めて人為的な区分(天皇教という国家宗教に基づく)をし、時間の流れを切断し「実体化」してしまい、それを怪しまない。なんとも愚かで恐ろしい詐術であり、深い洗脳です。

 

 わたしたち日本人はいつになったら目が覚めるのでしょうか。世界暦(西暦)で表記すべきなのは、理の当然です。

 

 

 

武田康弘

 

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