思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

主権の存する日本国民の総意に基づく---時代に合わせ変えていくのは、わたしたちの責任。

2016-08-08 | 社会批評

 いうまでもなく、天皇という名で呼ばれる人も、誰ともかわらぬ一人の人間であるわけです。
 一人の人間にあまりに重たい仕事(日本国民全体を統合する象徴!?というのは、まったく不可能なこと)を負わせるのはおかしいと思います。時代名まで、一人の人間の死で変わってしまう。
 近代市民社会の成立とともに、そのありようを改革するのは当然でしょう。
天皇制」のありようを考え変えていくのは、われわれ主権者の意思=自由と責任です。憲法第一条に、象徴という天皇の地位は、【主権の存する日本国民の総意に基づく】とある通りです。
 みなで議論すべきことです。

 武田康弘

 

 

保田 猛 ブログで使用させていただきます。
 
 
鈴木 英男
 
鈴木 英男 まだ、本日のTVを見ていませんが。人を人として扱わないないのは、人の道に逸れていますし、何の権限もない職を持って天皇の職責だけを押し付けるのは、拷問に等しく感じます。
 
 
武田 康弘
 
武田 康弘 人の道に反することをやったり、やらせたり、というのがこのシステムのつくる困った作用。
 
 
鈴木 英男
 
鈴木 英男 美しい日本のシステム。美しい多数決。我が世に従いなさい。小さき者個人なり。
 
 
武田 康弘
 
武田 康弘 無限とも思える心の宇宙、個人なり。ニッポンの伝統??にっぽんのシステム、日本固有の美、ふ~~~ん、日本や世界という概念よりはるかに広い個人の心。
 
 
Toshirou Maruyama
 
Toshirou Maruyama 天皇は基本的人権を剥奪されており、職業選択の自由も、表現の自由もありません。人道に反する天皇制は廃止すべきです。
 
 
武田 康弘
 
武田 康弘 皇室は、日本最大の旧家として文化的存在として存続すべきであり、
公務を行ういまの天皇制は、主権在民の原理とは矛盾していますので、人権を認められない天皇という存在を許してしまいます。

天皇となる人間の個人的幸福をつくらないシステムは、時代錯誤であり、そういう存在を国民統合の象徴とするのは、異様な思想というほかないです。

皇族も皇族外の国民も共に、豊かな人「個人」になれません。
今回、明仁さんは、「個人」としてと明言していますが、それは、「個人がない天皇という存在」への違和感を表しています。

『個人』という人類が到達した最高度の意識=存在を肯定し前提としない極右(安倍首相ら閣僚の所属する「日本会議」)の思想は、人類的レベルでの犯罪であり、独裁国以外では認められていません。ドイツをはじめ民主政国家では、危険なカルトとして取り締まりの対象です。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「なぜ塾の仕事をはじめたの... | トップ | 天皇も明仁さんという「個人... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

社会批評」カテゴリの最新記事