わがままで、自己中心な人。
そういう人は、自分を見つめてばかりいる?
いいえ、まったく反対です。
わがままな人は、他人(親や教師や友人)の目、言葉を気にして、彼らの言うことに囚われています。
こどもを見ていると、やるべき対象に真っ直ぐに向かえず、落ち着きのない子は、いつも教師や友人や親の目や言うことを気にしてビクビクしています。そういう子は自己という中心が弱くはっきりしません。だから、自制し、自分の課題に落ち着いて取り組むことができません。自分で自分を変えることができないので、意固地になり、わがままです。
親や教師や友人の言葉に左右されるのはなく、
自分に従う人、自分の内奥を見つめ、自分の真実に忠実な人でないと、
わがまま=柔軟性に乏しい固い自我から抜け出せません。
社会的な成功者には、わがままを内包したまま成長し、外面だけを紳士とする人が多くいます。心の真実がなく、さらさらと何でもこなしますが、根源的不幸です。それを糊塗するために、忙しく動き回ります。いつまでも精神世界は貧弱なので、肩書がなければ自己を保てません。
親や教師や友人ではなく、自分自身に正直な人にならなければ、人間精神は進歩しません。わがままを超えて広々とした豊かな精神は、自己の内奥を見つめることでしか生まれないのです。それがフィロソフィーの営みです。
武田康弘