さて、聞き慣れた曲ってなんかいいよねの第843回は、
タイトル:ア・ルース・ボーイ
著者:佐伯一麦
出版社:新潮社 新潮文庫(初版:'94)
であります。
ドラマにもなった「のだめカンタービレ」のおかげか、有名なクラシックを集めまくった5枚組、6枚組なんてCDが安く手に入ることもあって、ちょいと買ってみた。
クラシックというと印象派がメインなので、モーツァルトなんか滅多に聞かないけど、久々に聞くといいもんだなぁ、とこの記事は「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」なんかBGMにしてたりして(笑)
さて、本書は三島由紀夫賞を受賞した作品で、ひとりの少年の成長物語。
ストーリーは次のとおり。
『ア・ルース・フィッシュ――だらしのないヤツ
それがブラックと言うあだ名の英語教師がぼく……斎木鮮につけた烙印だった。
loose。ずさんとか、だらしがないとかの他に、自由な、そんな意味のある単語。
進学校でもあった高校を中退した自由になったぼくは、中学のときに付き合っていた幹とともに暮らしていた。たった3畳しかない安アパートで、幹がぼくではない誰かの私生児とともに。
家にも帰れない幹と、梢子と名付けた赤ん坊を養うために、ずっと続けてきた新聞配達をやめて職探しをするも、なかなか見つからない。
けれど、ある公園で見た街灯の設備保守をやっている沢田さんに出会い、電気設備の仕事につくことが出来た。
仕事をしながらぼくと幹と梢子とともに暮らす日々。
だが、いつの日か、梢子の病気が原因でちょっと出てくると言う書き置きを残して幹と梢子はアパートからいなくなって、戻らなくなってしまった。
ふたりがいないアパートで、ぼくは仕事を続けながら、ずっとふたりを待ち続けていた。』
三島由紀夫賞……う~む、いままでこれっぽっちも縁がない、と言うか、純文学の賞なんかにまったく興味はなかったけど……。
単純に、物語としておもしろく読めました。
ストーリーは、進学校に入学しながら中退した「ぼく」こと斎木鮮は、母親に愛されないまま成長したり、幼少時代の体験から自虐的な行動を繰り返したり、幹を抱けない意気地のなさを露呈したりと、ネガティブな部分を持ちながらも、仕事や幹、梢子との生活を通じて、「loose」……だらしないではない、自由なひとりの人間として成長する姿を描いたもの。
どうやら私小説の範疇に入るようだが、そういう先入観がなければ、17歳の少年の衒いのない姿を十二分に感じられる良品と言える。
また、作品の雰囲気も十分感じられ、特に作中でよく使われる細かい描写……料理や電気設備の仕事の際の、見方によってはくどく思えるほどに細かい表現が、逆に高校を中退し、3人での「生活」を選んだ生活臭のようなものを醸し出す、効果的な文章になっている。
ラストも、純文学系にありがちなオチなしのほったらかしではなく、納得のいく「ぼく」の姿で締めてくれていて、好印象。
作中に散りばめられた「ぼく」の背景とか、そういうものからあれこれと考える分析型にも向くだろうし、物語としても単純におもしろく読めるので、そういう分析とも無縁のひとにもオススメしやすい。
私小説ということを差っ引いても、これは十分良品に値するだろう。
しかし、純文学系で男性作家……それで良品と思える作品があるとは……。
ホントに、私にしてはかな~り珍しい作品だわ(笑)
タイトル:ア・ルース・ボーイ
著者:佐伯一麦
出版社:新潮社 新潮文庫(初版:'94)
であります。
ドラマにもなった「のだめカンタービレ」のおかげか、有名なクラシックを集めまくった5枚組、6枚組なんてCDが安く手に入ることもあって、ちょいと買ってみた。
クラシックというと印象派がメインなので、モーツァルトなんか滅多に聞かないけど、久々に聞くといいもんだなぁ、とこの記事は「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」なんかBGMにしてたりして(笑)
さて、本書は三島由紀夫賞を受賞した作品で、ひとりの少年の成長物語。
ストーリーは次のとおり。
『ア・ルース・フィッシュ――だらしのないヤツ
それがブラックと言うあだ名の英語教師がぼく……斎木鮮につけた烙印だった。
loose。ずさんとか、だらしがないとかの他に、自由な、そんな意味のある単語。
進学校でもあった高校を中退した自由になったぼくは、中学のときに付き合っていた幹とともに暮らしていた。たった3畳しかない安アパートで、幹がぼくではない誰かの私生児とともに。
家にも帰れない幹と、梢子と名付けた赤ん坊を養うために、ずっと続けてきた新聞配達をやめて職探しをするも、なかなか見つからない。
けれど、ある公園で見た街灯の設備保守をやっている沢田さんに出会い、電気設備の仕事につくことが出来た。
仕事をしながらぼくと幹と梢子とともに暮らす日々。
だが、いつの日か、梢子の病気が原因でちょっと出てくると言う書き置きを残して幹と梢子はアパートからいなくなって、戻らなくなってしまった。
ふたりがいないアパートで、ぼくは仕事を続けながら、ずっとふたりを待ち続けていた。』
三島由紀夫賞……う~む、いままでこれっぽっちも縁がない、と言うか、純文学の賞なんかにまったく興味はなかったけど……。
単純に、物語としておもしろく読めました。
ストーリーは、進学校に入学しながら中退した「ぼく」こと斎木鮮は、母親に愛されないまま成長したり、幼少時代の体験から自虐的な行動を繰り返したり、幹を抱けない意気地のなさを露呈したりと、ネガティブな部分を持ちながらも、仕事や幹、梢子との生活を通じて、「loose」……だらしないではない、自由なひとりの人間として成長する姿を描いたもの。
どうやら私小説の範疇に入るようだが、そういう先入観がなければ、17歳の少年の衒いのない姿を十二分に感じられる良品と言える。
また、作品の雰囲気も十分感じられ、特に作中でよく使われる細かい描写……料理や電気設備の仕事の際の、見方によってはくどく思えるほどに細かい表現が、逆に高校を中退し、3人での「生活」を選んだ生活臭のようなものを醸し出す、効果的な文章になっている。
ラストも、純文学系にありがちなオチなしのほったらかしではなく、納得のいく「ぼく」の姿で締めてくれていて、好印象。
作中に散りばめられた「ぼく」の背景とか、そういうものからあれこれと考える分析型にも向くだろうし、物語としても単純におもしろく読めるので、そういう分析とも無縁のひとにもオススメしやすい。
私小説ということを差っ引いても、これは十分良品に値するだろう。
しかし、純文学系で男性作家……それで良品と思える作品があるとは……。
ホントに、私にしてはかな~り珍しい作品だわ(笑)