つれづれ読書日記

SENとLINN、二人で更新中の書評ブログです。小説、漫画、新書などの感想を独断と偏見でつれづれと書いていきます。

河童でGO!

2006-08-13 22:55:30 | 文学
さて、またやってしまったGOシリーズの第621回は、

タイトル:李陵・山月記 ~弟子・名人伝
著者:中島敦
出版社:角川書店 角川文庫

であります。

中国古典に材を取った6編の短編が収録された短編集。
例の如く、各話ごとに。

「李陵」
漢の武帝の時代、一種の将軍職にあった李陵という歴史上の人物と、史記を編纂した司馬遷のふたりの物語。
李陵についてはもとは班固と言う人物の李陵伝が原典。

内容は、僅か五千の歩兵のみを率い、北伐に向かい、少ない兵で軍功を上げるものの、最終的に匈奴に捕らえられ、帰還を望むも武帝側近の讒言にあい、一族郎党殺されるに至って匈奴の地に死した李陵。
その李陵の讒言にたてついたために、いわゆる宦官とおなじ身体にされた司馬遷が執念で史記をまとめ上げるふたりの人物の悲運を描いたもの。

「弟子」
儒教の祖、孔子の弟子である子路が孔子の弟子となり、孔子とともに旅をし、そしてひとつの国の政治家として活躍しながら悲運の死を遂げるまでの物語。
儒教は嫌いだし、孔子も嫌いだが、ここで描かれる子路と言う人物はとても明快で、愛すべき快男児として描かれていておもしろい。

「名人伝」
天下無双の弓の名人になろうと志す紀昌と言う人物が飛衛と言う人物に学び、さらに甘蠅老師という名人に学ぶ物語。
「不射之射」という極意を得たものの、晩年弓そのものを見て、その用を訊ねるに至った説話だが、これ、聞いたことがあるなぁ。

「山月記」
「人虎伝」という自らの才を驕り、ひとと交わることをしなかったために、虎となりはててしまい、住んでいた山中でかつての友人に出会ってその悲運を語る李徴と言う人物の物語。
この原典も有名。

「悟浄出世」
妖怪でありながらただ「何故」という深遠な問いに心を捕らえられた西遊記でおなじみの沙悟浄が、その答えを求めるために様々な妖怪を訊ね歩き、その果てに菩薩の声を聞き、三蔵法師の弟子になるまでの物語。

「悟浄歎異 -沙門悟浄の手記-」
これも悟浄を主役としたもので、三蔵法師の弟子となり、すでに弟子であった孫悟空、猪八戒とともに旅をする中で、悟浄が三蔵、悟空、八戒について評しているもの。

この悟浄を主人公とした2作は、原典の西遊記を読んだことがないのでわからないが、少しでも西遊記を知っているひとならば、おもしろく読めるかもしれない。

総じて、中国古典に材を取っており、中国哲学に関わることや漢詩が出てきたりするし、この著者、昭和17年に死去している関係もあって、いまの文章に慣れているとやや取っつきにくいところがある。
だが、有名ですでに知っている作品(「名人伝」「山月記」など)はいまいちだったものの、それ以外の作品については難しそうに見えるのだが、どこかはっきりとは説明できないものの、何となく理解できる感じがして、見た目よりは読みやすい。

特に、「弟子」と沙悟浄の2編はとてもおもしろく読めたし、いちおう近代文学の類に入るものであろうが、他の近代の作家よりはいま読んでも楽しめるものではないだろうか。
あまり期待はしてなかったけど、けっこう当たりかも。