労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

『資本論』はなぜヴィルヘルム・ヴォルフに捧げられているか?

2006-11-27 01:57:18 | Weblog
 『資本論』の冒頭には
 
 忘れがたきわが友
 
 勇敢、誠実、高潔なプロレタリアート前衛戦士
 
 ヴィルヘルム・ヴォルフ
 
 にささぐ
 
 というマルクスの献辞が書かれています。
 
 少し前に、マルクス主義同志会のホームページの質問コーナーにこのヴィルヘルム・ヴォルフの質問が寄せられています。マルクス主義同志会に寄せられた質問はマルクス主義同志会が答えるべき性質のものではありますが、それができないところに現在のマルクス主義同志会の置かれている悲劇的な現状があります。
 
 もちろんわれわれ赤星マルクス研究会は彼らの悲劇をどうのこうのいう立場ではありませんが、この質問は非常に重要だと思うのでわれわれの見解を述べたいと思います。
 
 (われわれがこのような書き出しで書いている途中、いろいろな所用でこの続きを書くことを後回しにしなければなりませんでした。しかし、その間にわれわれが恐れている事態が起こった。とうとう、ある人がマルクス主義同志会に「お前達の解答は解答になっていない」と怒りをぶちまけたのである。このようにしてマルクス主義同志会は解体していくのか、という典型のような出来事ですが、マルクス主義同志会自身が自分たちのおかれている悲劇的な情況を認識できないために、事態はますます喜劇の外観を持ち始めています。マルクス主義同志会の諸君がこの喜劇の背後に隠されている自分たちの悲劇に気がつかなければ、ここでマルクス主義同志会は間違いなく最終ピリオドを打たなければならないかもしれないということを、老婆心ながら、警告しておきたいと思います。)
 
 1 マルクスとヴィルヘルム・ヴォルフが知り合ったのは1846年4月でしたが、以来1864年に死ぬまでマルクスと行動をともにした「勇敢、誠実、高潔なプロレタリアート前衛戦士」でしたのでマルクスの献辞はそのまま彼の人生を表しています。
 
 1846年というのは、ブリュッセルでマルクスとエンゲルスが共産主義者同盟の前身である共産主義通信委員会(通称ブリュッセル委員会)を設立した年で、この団体の目的はドイツ、イギリス、フランスの社会主義者の相互交流を目的としていたことから分かるように最初からインターナショナルな性格を持っていました。
 
 このブリュッセル委員会はやがて発展的に解消して1847年に共産主義者同盟というはじめて労働者階級の政治組織になっていきます。
 
 共産主義者同盟は同盟の目的および目標として「ブルジョアジーを打倒し、プロレタリアートの支配をうち立て、階級対立にもとづく従来のブルジョア社会を廃止し、階級のない、私的所有のない新しい社会を建設すること」をあげていますので、労働者の政党とも言ってもいいでしょう。
 
 なお、この時、マルクスとエンゲルスは「万国の労働者団結せよ!」というスローガンを掲げるよう提案し、それは同盟に受け入れられました。共産主義者同盟は最初から労働者の国際的なつながりを基礎においていました。だからわれわれ赤星マルクス研究会もホームページの下にでっかく「万国の労働者団結せよ!」というスローガンを掲げて自分たちが何者であるのかを明確にしています。
 
 この共産主義者同盟の綱領としてマルクスとエンゲルスは『共産党宣言』と『共産主義の原理』を書きました。これが出版されたのが1848年2月で、ヨーロッパを席巻した「1848年の革命」の直前でした。
 
 革命の勃発とともにマルクス夫妻はブリュッセルを追放になりパリに向かいますが、ヴォルフは理由もなくベルギーの官憲に逮捕され暴行を受けます。
 
 やがてマルクスは革命の勃発したドイツに戻り、ケルンを拠点に『新ライン新聞』を発行します。ブォルフも危険をおかしてドイツに帰国し『新ライン新聞』の編集部に入り、ケルン労働者協会の指導も引き受けます。
 
 ドイツ革命の退潮とともにマルクスはイギリスへの亡命を余儀なくされてしまいますが、ヴォルフも1851年にイギリスに亡命します。
 
 そして共産主義者同盟ロンドン支部は1852年に組織の実態がなくなったことを理由にして解散されます。(この提案を行ったのはマルクス自身でした。この共産主義者同盟の分裂と解散についてはマルクス年代記の中で書いていますので省略します。)
 
 ロンドンに亡命したヴォルフは1864年に亡命地マンチェスターでなくなります。
 
 マルクスのそばには絶えずヴォルフがいたし、ヴォルフは「勇敢、誠実、高潔なプロレタリアート前衛戦士」であったことも確かなことです。  
 
 
2 もう一つの見方は、経済的な問題です。エンゲルスがマルクスを経済的に支えていたのは有名な話ですが、ヴォルフも家庭教師をしながらマルクスを経済的に支えています。
 
 もちろん、ヴォルフ自身が貧乏ですので、いつもというわけにはいかないのですが、エンゲルスがマルクスの経済的な支援の要請を断ったとき、マルクスは、私の妻(イエニー・マルクス)がヴォルフに相談したら、ヴォルフは内緒だと言って、50ポンドも送ってくれたんだよ。あのヴォルフがだよ、私はヴォルフに申し訳なくて、涙が出てしょうがなかった、とエンゲルスにいっています。
 
 1864年にヴォルフは亡くなりますが、彼の死の直前に彼の父が亡くなったので、その遺産として彼に渡った800ポンドをヴォルフは遺言でマルクスに残します。
 
 ちょうどこの時期はマルクスが提唱した国際労働者協会の設立期と重なっているため、マルクスはヴォルフの残した遺産の多くを国際労働者協会設立のために使いましたが、1867年に『資本論』の初版の発行にようやくこぎつけたとき、マルクスの胸には800ポンドの遺産を自分に残していってくれたブォルフがよぎったのではないでしょうか。
 
3 これは直接的なものではなくマルクス主義の形成過程にかかわるものですが、われわれは前に、マルクスとルーゲはともにヘーゲル法学派、すなわち、観念的なブルジョア民主主義者であったので、マルクスがルーゲと決別したときがマルクス主義がマルクス主義として自立したときであるといいました。
 
 その決別は1844年7月にやってきます。この年の6月にドイツのシュレージエン地方で織布工の武装蜂起があり、軍隊によって鎮圧されるという事件が起こっていますが、マルクスはルーゲがこのシュレージエン蜂起を侮辱的に論評したことから怒りを爆発させます。
 
 マル・エン全集の第1巻に納められている『批判的論評』というのがそれに当たります。
 
 この中でマルクスはシュレージエン蜂起を
 
 「さしあたり織布工の歌を思い出してみるがいよい。この大胆なスローガンの中では、家庭や仕事場や居住地域のことには全然ふれずに、プロレタリアートがいきなり私的所有の社会に対する彼らの敵対を、あからさまで鋭く、率直で力強い仕方で絶叫している。
 
 シュレージエンの蜂起は、フランスとイギリスの労働者の蜂起が終わったところから、つまりプロレタリアートの本質の自覚から、はじまっている。行動そのものがこのようなすぐれた性格をおびている。
 
 労働者の競争者である機械が打ち壊されただけだけでなく、財産の要求権をしめす会計帳簿までも破り捨てられた。
 
 またその他の運動はすべてはじめは目に見える敵である工場主だけに向けられているのに、この運動は同時に目に見えない敵である銀行家にも向けられている。
 
 最後に、イギリスの労働蜂起には、どれ一つとして、これほど勇敢に、慎重に、ねばり強くおこなわれたものはない。」
 
と賞賛している。
 
 そして、最後に
 
 「『プロイセン人』氏(ルーゲのこと)よ、君は言いかえでも、不合理でも、どちらでも選ぶがいよい!だが、政治的精神をもってする社会革命なるものが言いかえであるか、あるいは不合理であるかにつれて、社会的精神をもってする政治革命はそれだけ合理的になるのである。
 
 いやしくも革命というもの――現在権力の打倒と従来の諸関係の解体――は一つの政治的な行為である。
 
 だが革命なしには、社会主義は実現できない。社会主義は、破壊と解体を必要とするかぎりで、右のような政治的行為を必要とする。
 
 しかし、社会主義の組織活動がはじまり、その自己目的、その精神があらわれるようになると、社会主義は政治的なベールをかなぐりすてる。」
 
 といいます。
 
 少し前の『ヘーゲル法哲学批判』では、マルクスは「人間をいらしめられ、隷属させられ、見すてられ、軽蔑された存在にしておくようないっさいの諸関係を、くつがえせ」といい、その役割をドイツのプロレタリアートに託しましたが、シュレージエンの労働者蜂起はそれを実行しうるにたる存在であることを明らかにしました。
 
 マルクスは後日、自分が共産主義者になったのはこのシュレージエン蜂起がきっかけであったと語っていますが、シュレージエン蜂起はまさにマルクスが予見し、期待をしていたものでもありました。
 
 そしてヴォルフの生まれたタルナウはシュレージエン地方にあり、ヴォルフ自身が隷農出身でありながら苦労して大学に進学して、この地方の活動家になった人でした。そしてその活動ゆえに、逮捕され軍事監獄をたらい回しにされてきたのですが釈放されるとマルクスのもとへやってきて、シュレージエン地方のルポルタージュを書いています。
 
 マルクスがヴォルフを見る目が特別であったのは、まさにマルクスはヴォルフにドイツの、いや世界の労働者階級の姿を見ていたからです。
 
 搾取と抑圧の中で、断固として闘いに立ち上がるヴォルフのような労働者階級の戦士のために『資本論』は捧げられているということです。