労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

 危機意識だけが空回りしている

2008-12-31 21:51:24 | Weblog
 最近の日本の最も良識あるブルジョア諸氏は、さかんに「資本主義の代案は資本主義しかない」(朝日新聞、本社主幹氏)、「資本主義に代役はない」(日本経済新聞氏)と語りはじめている。

 もっとも、この“日本経済新聞”氏の大見出しは、新日鉄会長の三村明夫氏のインタビューのなかで語られたものであり、三村氏の発言は「優勝劣敗をベースとする資本主義に欠点はあっても、資源を効率的に配分し、企業や個人の意欲を引き出す点で非常によくできている。私たちはこれ以上の経済システムを持ちえていない」という比較的おだやかなものであるが、これを拡大解釈して「資本主義に代役はない」という大見出しをつけたのは、もちろん日本経済新聞の編集部である。

 しかし、「資源の効率的配分」という見地からして、現在の鉄鋼業はどうなのか?

 つい先日まで、世界の鉄鋼業は資本主義的繁栄に酔い、無政府的に生産設備を増強してきた。そこで現在の世界の鉄鋼生産能力は6億トン程度に拡大してきたが、バブルがはじけた現在では鉄鋼の需要はせいぜい3億トンから4億トン程度まで低下しているであろう。つまり、世界の鉄鋼業の生産設備のかなりの部分はすでに“過剰生産力化”しているのであり、これが顕在化すれば、(この顕在化はすでに必然的なものになっている)やがて自動車産業以上の深刻な事態におちいるのは目に見えている。

 賢明な日本経済新聞の記者氏は、もちろん、そういうことをよくご存じだ。それで「厳しい情勢の中でも『希望のシナリオ』を提示するのが経営者の使命のひとつ」なのだから、三村氏の楽観論の裏側には、鉄鋼業が抱えている苦境があると、すずしい顔をしていう。(ハッ、ハッ、ハッ)これではなんのために、日本のブルジョアの“親方”を登場させて、「資本主義に代役はない」と言わせたのか、意味がないではないか。

 もっとおもしろいのは「朝日新聞」氏である。

 「朝日新聞主幹」氏は12月30月の朝刊一面で、いう。

 「『公』の再建は、資本主義をよみがえらせるうえでも必要である。資本主義の代案は資本主義しかない。市場の欠陥を補うのは、市場に『公正』のルールを課し、国民の働く場を維持し、社会を安定させることである。それにはたくましい『公』が不可欠である。
・・・
 朝日新聞はその機能(公共政策をめぐる機能の弱まりをただすという機能)を十分に果たしているだろうか。来年はこの面でももっと果敢にとり組んでいきたい。」と。

 社会民主主義や“スターリン主義”の実質的な内容である国家資本主義、すなわち国家(公)と資本主義の癒着、融合によって資本主義がよみがえるのかどうか、ということはわれわれの知ったことではないが、少なくとも、資本主義の再生にかける「朝日新聞」の意気込みだけは伝わってくる文章である。

 ところが、翌日、すなわち、12月31日の社説では、「公益法人改革―『民の力』が育つように」という。ここでは「ますます重要性が高まっていく民間の公益活動を育てていくには、寄付金控除を受けられる要件の緩和など、制度の見直しは急務だ」といっている。

 つまり、小泉時代の「官(公)より民へ」というスローガンをそのまま受け入れて、公益活動を「民」が行う重要性はますます重要になっているのだから、「公」は民間の公益事業をもっと応援すべきであるというのである。

 しかし、「日本野球機構、NHK交響楽団、アムネスティ・インターナショナル日本、駐車場整備推進機構」といった「朝日新聞」が例示した団体の“公益性”なり“公共性”なりには、はなはだ疑問があるし、税制上の優遇措置を受けなければならない理由もわからない。

 それとも現在、テレビでやっているような派遣労働者を支援している“市民”のボランティア活動のような活動をいうのだろうか?しかしだ、こういう活動は本来ならば、「公」(国家)つまり自民党政権が自らの責任で行うべきであろう、「公」すなわち、国家の怠慢を人々の善意が補完しているからといって、そういうボランティア団体に公的な地位を与え、税法上の優遇措置を与えることで問題は解決するのか。違うだろう!

 そして、こういうことを言うのであれば、この間、無理矢理、「官(公)より民へ」移行させられた公益法人や独立行政法人、国立病院や国立大学や郵便事業の惨状をいうのが先であろう。(これらの多くが赤字に転落して深刻な経営危機にある)

 人々の生活に必要な公的なサービスを民間に移行させて、当然発生するであろう赤字を放置し、必ずしもパブリックなものとは言いがたいものに公的支援を行えというのでは、それこそ「朝日新聞はその機能(公共政策をめぐる機能の弱まりをただすという機能)を十分に果たしているだろうか」ということにならないか?そもそもが民間、すなわち、資本主義的な営利団体が公的機能を代行できるというのであれば、「公」は存在する意味がないし、われわれが税金を払わなければならない理由もないであろう。(小泉時代には、職業安定所を廃止して、民間業者に委託しようということさえ、公然と大まじめに議論されていた。もしこういうことが実施されていれば、今ごろ、日本では、何百人という単位で、餓死者や凍死者が出たであろう)

 たしかに、12月31日は来年ではないのだから、こういう混乱も許容されるのだろうが、それでは「『公』の再建は、資本主義をよみがえらせるうえでも必要である。資本主義の代案は資本主義しかない」という諸君たちの決意はどうなるのか?

 われわれ赤星マルクス研究会は、来年は「資本主義の代案は、資本主義ではなく、資本主義以上のものである」ことを労働者に理解してもらうために、「資本主義の代案は資本主義しかない」という“日本の英知”諸君に果敢に挑戦しようと考えているが、現在の情況は議論以前の問題でしかない。


古典古代時代のギャグです

2008-12-31 10:02:13 | Weblog
 ヤング労働者に、はるか昔のギャグの説明をするのは少し困難ですが、元ネタはテレビの(蚊取り線香の?)コマーシャルで「ト(飛)ンデレラ、シ(死)ンデレラ」というのではないでしょうか?

 要するに、成田空港が開港して、飛行機が飛ぶようになったから、社労党は死んでしまう(開港に協力した政治勢力は、抹殺する)というような意味でしょう。

 誤解をまねくかもしれませんので、もう少し、説明しますが、われわれは成田空港の開港に賛成したことはありません。

 われわれは、農民の土地を護るための闘争は社会主義をめざす労働者政党が他のことをさしおいてとり組むべき課題ではない(つまり、当面のわれわれの闘いとしてはとり組まない)という、ある意味で当たり前のことを言っていただけであり、これがどうしてわれわれが成田闘争に敵対していることになるのか、理解に苦しみます。

 自分たちの闘いや主張に賛同しない者のは、敵であり、許しがたいのだという政治的偏狭さが、「新左翼」と呼ばれる諸君たちのあいだに満ちあふれており、こういう子供じみた態度を直さないかぎり、彼らができることは何もないと思います。

 

 

 

 

労働義務制」とは?

2008-12-30 01:12:18 | Weblog
 マルクス主義同志会が、社会主義というのは「労働義務制」の社会であるといっている。

 もちろん、これは資本主義最後の擁護者として、労働者に、社会主義というのは、床屋が他人の髪を切るかわりに自分の首を切られるような世界(なぜなら彼は堕落した不生産的労働者だから)であるということによって、社会主義から労働者を引き離そうというのである。

 そもそも、マルクス主義同志会は権利と義務は表裏一体のものであるといいながら、なぜ社会の成員に労働の権利を認めるというだけでは不十分であり、義務をいう必要があるというのだろうか?(すくなくとも、社会主義において、すべての労働者に労働の権利を認めると言うことは、社会が成員に労働の場を確保することを約束するものであると同時に、労働が生活の糧であるをも認めるものである。)

 それにたいするマルクス主義同志会の答えは以下のようなものである。

 「こうしたすべての連中――つまり生産的労働に何のかかわりももたない、寄生的な連中――を一掃するなら、社会全体の負担と、労働者の肩にのしかかってきている労苦は、どれほど軽減されることであろうか!」(『海つばめ』、1085号)

「何千万の労働者の搾取を根底とする生産様式の上に、個人主義や、金銭主義や、無責任主義や、一部の賃労働者たちの過重な負担や犠牲の上に築かれた、ブルジョア的な福祉の諸制度、つまり介護や医療や保険・年金などの諸制度が行き詰まり、崩壊して行くのは一つの必然である。『義務労働制』なき『国民総福祉』といったものの矛盾や限界を見ぬくことはそれほど難しいことではない、というのは、それが膨大な寄生的階級、無為徒食の連中にまで、それをおよぼさなくてはならないことを意味するからである。」(『海つばめ』、1085号)

 つまり、マルクス主義同志会は、少し前に、われわれが「労働者階級の背には、資本による搾取のみならず、各種の税負担や『社会的空費』の肩代わりという重荷まで背負わされているのである。歩き続けるために、おろさなければならない荷物があるとすれば、それが何であるかは自明であろう。」とこのブログで書いたことにたいして、「おろさなければならない荷物」は『社会的空費』(マルクス主義同志会が言うところの「ブルジョア的な福祉の諸制度、つまり介護や医療や保険・年金などの諸制度」)であると答えているのである。

 しかしこれは、マルクス主義同志会のいう「義務労働制」が、自分たちが言った「(マルクスは)『労働不能者等のための元本、つまり今日のいわゆる公共の貧民救済費にあたる元本』(『ゴータ綱領批判』)が控除されると主張するのである。彼(マルクス)はブルジョアたちが言いはやしている『福祉』とかいったものが、実際には『今日のいわゆる公共の貧民救済費』と同じものであることを、完全に認識しているのである。」(『海つばめ』、第1084号)といったこととはまったく矛盾しているをあらわしている。(もっとも、この部分をマルクス主義同志会はマルクスは正しくないといっているのだと解釈するなら正しいのかもしれない)

 しかし、マルクスが社会主義社会において、“労働不能者等のための元本”を控除する必要があるというのは、社会主義社会においても、労働することができない人、労働しなくてもいい人(たとえば幼い子どもや高齢者)が存在するであろうことを認めて、彼らの生活を社会の手で支える必要がある(そのために総生産物から“元本”を控除する必要がある)ということを認めているからであろう。

 そして社会がその成員すべてに労働の権利を認めながら、同時に、この権利を行使できない人、行使する必要のない人の存在を認めるのであれば、「労働義務制度」という言葉ぐらい不適当な言葉もないであろう。

ただ一人バールを持って誰と闘うのか?

2008-12-27 23:06:54 | Weblog
 正直に言って、われわれは日本共産党とは関係がある党ではないし、共産党の内部がどうなっているのかということについてもあまり関心はない。

 われわれが、『さざなみ通信』に掲載されている原仙作氏の緒論について無視することができないのは、彼がボリシェヴィキ第10大会(ボリシェヴィキは1918年にロシア共産党と名前を変えたが、われわれはレーニンの党とスターリンの党を区別するために、あえて、レーニンの党をボリシェヴィキと呼び、スターリンの党をロシア共産党と呼ぶことにしている)でレーニンが、あたかも、政治的見解が異なる者にたいしては、「銃を持って戦え」と絶叫したかのような悪意あるデマを執拗にふりまいているからである。

 このような原仙作氏のためにする議論は、レーニンのみならず、当時の内戦で疲弊したロシアの労働者・農民の苦難をも愚弄するものである以上に、現在の日本の左翼集団のあいだの“競い合い”(党派闘争、分派闘争)にテロリズムをもちこもうとしているという点で許しがたいものがある。

 レーニンは第10回大会において、原仙作氏が言うように、党の一部を他の部分にけしかけるようなことは断じていってはいない。逆だ!レーニンはまったく逆のことをいっている。レーニンの本当の言葉を紹介しよう。

 「この席で『けしかけ』というような表現をつかう人々がいたが、彼らは、統一についての決議案の第5項(※)を忘れているのである。この第5項には、『労働者反対派』の功績をみとめると述べてある。そこには、このことがならべて書かれているではないか?一方では『偏向をおかしている』。だが、他方では、第5項を読んでみたまえ。『大会は、それと同時につぎのことを声明する。すなわち、たとえば、いわゆる「労働者反対派」の特別の注意を引いた諸問題、すなわち、非プロレタリア的な、信頼のおけない分子を党から粛清することとか、官僚主義との闘争とか、民主主義や労働者の自主活動を発展させること、等々の問題についての実務的な提案は、どんなものでも、もっと注意ぶかく研究』・・・『しなければならない』と。これがはたしてけしかけであろうか?これは功績の承認である。一方では、諸君は討論にあたって、政治的な偏向をあらわした、そして同志メドヴェーデフの決議案さえ、別の言葉でこのことを認めている。だが、その先のほうではこう言っている。官僚主義との闘争については、まだできるかぎりのことをやっていないことに、われわれは同意する、と。これは功績の承認であって、けしかけではない!

 中央委員会に『労働者反対派』に属する人を入れるということは、同志的信頼の表明である。そうである以上、だれかが分派闘争にあおられていない集会にいくとすれば、その集会はいうであろう。ここにはけしかけはなく、あるのは同志的信頼の表明である、と。

 非常措置そのものについて言えば、これは未来のことであって、われわれはいまそれを適用しようとはしておらず、いまも同志的な信頼を表明している。

 もし、われわれが理論的にまちがっていると諸君が考えるなら、わが国には、小冊子を何十冊も発行する可能性がある。また、もし、たとえばサマラ組織の同志のように、この問題についてなにか新しいことを言いたい若い同志がいるなら、どうぞそうしてくれたまえ。サマラの同志諸君!われわれは諸君の論文のいくつかを印刷しよう。大会でいわれていることと、大会の外で言い合っていることの区別がわからないものは、ひとりもいないではないか。

 もし諸君が決議案の正確なテキストを照合してみるなら、理論上の原則的な指摘がなされているのであって、侮辱的なものはなにもなく、また、それとならんで、官僚主義との闘争における功績の承認と、援助を受けたいという願い(レーニンは社会主義を建設する上で『労働者反対派』の“援助”を切に願っていた)の表明とがあることが、おわかりになろう。そのうえ、このグループの代表者を中央委員会に入れているのであるが、これは、党内でそれ以上のものはありえない最高の信頼の表明である。同志諸君、以上の理由で、私は、この二つの決議案を採択するように、しかも無記名投票によって採択し、そのあとで、これを議長団に付託して、文案を練らせ、定式の表現をやわらげさせるように、提案する。そして、議長団には同志シリャプニコフ(『労働者反対派』の代表者!)がはいっているので、たぶん、彼が『偏向』という言葉のかわりに、もっと適切な表現を見つけてくれるであろう。

 また辞任表明について言えば、私はつぎの決議を採択するよう提案する。『大会は、解散された「労働者反対派」の全員に、党規律に服従するように呼びかけるとともに、委任された部署にとどまる義務を彼らに負わせ、同志シリャプニコフの辞任をも、その他いかなる辞任をも受理しない』と。」(レーニン全集、第32巻、「ロシア共産党(ボ)第10大会」、P272~274)

 ※ 資料 「党の統一についてのロシア共産党第10回大会の決議原案、第5項」   
 5 大会は、サンディカリズムと無政府主義とへの偏向――それの検討には特別の決議があてられている――を原則的に排撃しながらも、またあらゆる分派活動を完全に一掃するよう中央委員会に委任しながらも、それと同時につぎのことを声明する。すなわち、たとえば、いわゆる『労働者反対派』の特別の注意を引いた問題、すなわち、非プロレタリア的な、信頼のおけない分子を党から粛清することとか、官僚主義との闘争とか、民主主義や労働者の自主活動を発展させること、等々の問題についての実務的な提案はどんなものでも、もっと注意ぶかく研究し、実践活動でそれをためさなければならない。これらの問題については、党は、幾多のさまざまな障害に面しているためわれわれが必要な方策のすべてをすべて実現してはいないこと、また、非実務的な、分派的な自称批判を容赦なく排撃しながらも、党は、新しいやり方をためしながら、引きつづき官僚主義に反対し、民主主義と自主活動を拡大するため、また、党にとりいった分子その他を摘発し暴露し追放するために、あらゆる手段をもちいて、たゆまず闘うことを知らなければならない。

充電中

2008-12-23 20:29:25 | Weblog
 しばらく、中断していた、初期マルクスの研究を行っています。

 今回のテーマは、「森林窃盗」についての記事です。

 少し、早いですが、みなさんには、よいお正月を!

靴下の中味

2008-12-21 01:40:45 | Weblog
 アメリカのエコノミストはFRB(アメリカ連邦準備理事会)のゼロ金利政策と量的緩和政策の導入を「小雪舞うウォール街に一足先にクリスマスプレゼントを届けた」と歓迎したが、市場(株式市場、商品市場、外為市場)はどうもそうではないらしい。

 むしろ、逆のこと、すなわち諸価格(商品、株式)の再度の下落が心配されるような事態になってきた。これは依然として金融市場の機能不全の状態が解消されていないからである。金融機関の損失の拡大がまだ止まっていないから、FRBがいくら資金を融通しても、それは損失の補填という底なし沼に引き込まれていってしまう。だから、貸し渋りが収まらず、それが実体経済の足を引っ張り、実体経済の悪化が市場(株式市場、商品市場、外為市場)の足を引っ張り、それが金融機関の損失をさらに拡大させるという状態が続いている。

 このような状態はマルクスの次の言葉を想起させる。

 「再生産過程の全関連が信用に立脚しているような生産制度においては、信用が突然停止し、現金払いしか通用しなくなれば、明らかに恐慌が、支払手段にたいする猛烈な殺到が、起こらざるをえない。それゆえ、一見したところでは、全恐慌が信用恐慌および貨幣恐慌としてのみ現れる。しかし、実際に問題となるのは、手形の貨幣への転換可能性だけではない(※)。これらの手形の大部分は現実の売買を表しており、社会的必要をはるかに越えたそれの膨張が結局は全恐慌の基礎になっているのである。しかしそれとならんで、これらの手形のきわめて大量のものが単なるいかさま取引を表し、それの取引がいまや明るみに出てだめになる。さらに、これらの手形は、他人の資本で行われた失敗した投機をあらわしており、また最後に、価値減少したり全然売れなくなっている商品資本、または、もうはいってくるはずのない環流を表している。再生産過程を強行的に拡張しようとするこの人為的制度は、いま、ある銀行、たとえばイングランド銀行が、その紙券をもってあらゆるいかさま師に不足な資本を提供し、価値減少した全商品をもとの名目価値で買い取るというようなことによっては、もちろん治癒(ちゆ)されるものではない。」(『資本論』、第3巻、新日本出版社文庫版11分冊、P848)

 ※ エンゲルス版では「手形の貨幣への転換可能性だけである」となっており、マルクスの草稿では「手形の貨幣への転換可能性だけではない」となっているが、文意からして「だけではない」の方が適切だと思われるので草稿の文章を採用した。

 マルクスの時代には商業手形が信用制度の基礎になっていたので、マルクスは手形の交換可能性で説明しているが、現在ではもっと多種多様な信用制度が開発されている。彼はこの人為的制度(信用制度)の社会的な必要性をはるかに超えた膨張が恐慌の基礎になっているといっている。

 恐慌が「不均衡の是正の過程」であるといったマルクス主義同志会は、ある意味では正しい。恐慌の時に問題になっているのはこの過大に蓄積された資本の是正なのだが、それは資本の破壊によっておこなわれざるをえない。

 だから別のところでは、

 「主要な破壊、しかももっとも急性的な性格のそれは、価値属性を持つかぎりでの資本、資本価値に関して、生じるであろう。資本価値のうち、単に剰余価値・利潤の将来の分け前にたいする指図証券という形態――実際には生産を引き当てにしたさまざまな形態の単なる債務証書という形態――で存在するにすぎない部分は、この価値部分の計算の基礎になっている諸収得の減少とともに、価値減価をこうむる。金銀の現金の一部分は遊休し、資本として機能しない。市場に存在する諸商品の一部分は、その価値のひどい収縮によってのみ、したがってそれが表している資本の価値減少よってのみ、その流通過程および再生産過程を終えることができる。同様に、固定資本の諸要素も多かれ少なかれ価値減少をこうむる。そのうえ、一定の前提された価格諸関係は再生産過程の条件となっており、それゆえ再生産過程は一般的な価格下落によって停滞と混乱におちいる、ということが加わる。この攪乱と停滞とは、資本の発展と同時に生じ、前記の前提された価格諸関係に基礎をおく、支払手段としての貨幣の機能をマヒさせ、一定の支払義務の連鎖をいたるところで中断し、それによって生じる支払義務の連鎖をいたるところで中断し、資本と同時に発展する信用制度の、それによって生じる崩壊によって、さらに激化させ、こうして激烈な急性的恐慌、突然の暴力的な価値減少、および再生産過程の現実の停滞と攪乱、それとともに再生産の減少に導くのである。」(『資本論』、第3巻、新日本出版社文庫版第9分冊、P434)と述べている。

 管理通貨制度のもとでの公信用の拡大は、たしかに「激烈な急性的恐慌」という形態での不均衡の是正は防止しうるが、この過大に蓄積された資本(その多くが貨幣資本という形態で存在している)の不均衡の是正という過程まではなくすことができないのであり、非常に緩慢なかたちをとって進行しているように思われる。

 だから、われわれはまだ、本当の恐慌の底には到達していないのかもしれない。

原仙作氏の“クロンシュタットの反乱論”

2008-12-20 01:42:11 | Weblog
 われわれは原仙作氏という人物のことを知らない。ただ『さざなみ通信』で彼の書いたものを読んだ程度である。

 氏は、どういうわけか「分派容認」論者であるが、レーニンの「分派否定論」の容認論者でもある。どうもよく分からないのだが、要するに、レーニンの場合は、“一時的”なもので“恒常的”なものではないから許容されるというのである。

 しかし、“党が危機の時”には分派は許されないという立場は、分派は一般的に許されないということと同じであろう。なぜなら、党が危機にあるからこそ分派が発生する、または、分派が発生するからこそ党が危機に陥るということは一般的に言えるのであるから、通常の時は、分派は存在してもいいが、党が危機の時にはダメだというのは「分派容認論」ではなく、「分派否定論」であろう。

 それとも、原仙作氏は“分派”という言葉で、自民党や民主党の“派閥”のようなものと考えているのだろうか?不断は、人事や利権をめぐって醜悪な派閥闘争を繰り広げながら、危機の時には一致団結するという派閥の連合体としての党を想定しているのだろうか?だとするなら氏のいう“民主主義”という言葉も“お里が知れる”というものである。

 しかも、ここにはレーニンにたいする大いなる誤解しか存在しない。

 革命後のレーニンは、ボリシェヴィキが政権政党として存在し続けることだけが、社会主義の勝利、つまり労働者階級の解放を約束するのだと確信していたので、そのためには悪魔に魂を売りわたすことすら、いとわなかった。

 ところが、彼の不肖(ふしょう=愚かで未熟なこと)の弟子たち(スターリン、ブハーリン、カーメネフ、ジノヴィエフ、そして部分的にはトロツキーも)は、社会主義というのは悪魔に魂を売りわたすことだと曲解した。ここに20世紀の“社会主義”の悲劇があったが、21世紀になっても多くの自称マルクス主義者たちはこの20世紀の悪夢から抜け出してはいない。

 原仙作氏もそんな一人なのだろうか、氏が依拠するのはあのデマゴーグ・ブハーリンである。

 デマゴーグ・ブハーリンは、ボリシェヴィキが農民に銃剣を突きつけて農民の剰余生産物をことごとく奪い去ることを「労農同盟」(!)呼び、食料がほしいという労働者のデモを機関銃でなぎ倒すことを「前衛党による労働者の指導」(!)と呼んだが、1921年には、こういう言葉の遊びでは収まらないほど事態は悪化していた。

 労働者と農民が「労農同盟」と「前衛党による労働者の指導」とによる「戦時共産主義」を不承不承に受け入れていたのは、当時ロシアが内戦下にあり、内戦において白軍が勝利すれば、自分たちはすべてを失い、今よりもひどい絶望が待っているだけであることを知っていたからであり、レーニンがいった「白軍に勝利するためにはこれ以外に方法はない」という言葉を信じたからであった。

 したがって、この内戦は、労働者・農民の大きな犠牲の甘受のもとで敢行され、勝利したのだが、内戦の終結は労働者・農民が大きな犠牲を甘受しなければならない理由を喪失させ、各地で労働者と農民の不服従が始まった。

 これは内戦の終結したあとのロシアには荒廃しうち捨てられた農地と革命前の十分の一以下にまで収縮した貧弱な工業生産があるだけであり、ロシアには慢性的な欠乏社会、食料も日用品も手に入れることができない社会が横たわっていただけだからである。(ついでにいえば、この内戦後の経済の荒廃は当時進行していたハイパー・インフレによってより先鋭な経済危機になっていったが、ボリシェヴィキの経済理論家を自認していたブハーリンとプレオブラジェンスキーは急激なインフレによって“貨幣価値”が喪失していくことを「社会主義の勝利」[社会主義とは貨幣の廃止だから]として手を取り合って喜んでおり、インフレを放置していた。)

 クロンシュタットの反乱もそんな労働者・農民の抵抗の最大なものの一つであったが、それは食糧難に抗議するペトログラードの労働者のストライキから始まった。

 ペトログラードのバルチック造船所と鋼管工場がストライキに突入していく中で、この地区を担当していたジェノヴィエフは、鋼管工場をロックアウトした。当時の情勢のもとでは、労働者が工場から追い出されるということは、配給を停止され餓死することを意味した。

 これに憤激したクロンシュタットの水兵たちが反乱を起こしたのである。彼らは当時の最新鋭の技術であったラジオを通して世界に呼びかけたが、「仲間の労働者諸君、クロンシュタットは諸君のために闘っている。なんの保護もなく飢え、凍えている人々のために闘っている」という言葉にウソはなかったのである。

 レーニンは全ロシア・ソビエト中央執行委員会議長のカリーニンを送って、反乱を起こした水兵たちを説得しようとしたが、説得工作は失敗した。ボリシェヴィキが政権党として存続することだけが労働者階級の希望であると考えるレーニンとボリシェヴィキ抜きのソビエトを主張する水兵たちのあいだには乗り越えられない壁があったのである。こうしてレーニンはクロンシュタットの水兵の反乱を軍事的に鎮圧するという苦渋の選択を余儀なくされたが、どういうわけか原仙作氏はこのクロンシュタットの反乱の鎮圧を積極的に評価している(!)。

 原仙作氏が言うのは、「小ブルジョア的・無政府主義的自然発生性は危険である」ということである。原仙作氏はその「自然発生性」の悪しき例として1968年の「日大全共闘」を出している。そしてさらにはこのような自然発生性と闘うためには「武器による批判」も仕方がない、とまで主張するのである。

 労働運動にせよ、学生運動にせよ、闘いはまずもって自然発生的な運動として始まるのだが、原仙作氏はそれが自然発生的(もっとはっきりと日本共産党の指導下にない運動というべきだろう)であるがゆえに、「武器による批判」を受けなければならないというのである。これは、はじめがなければ何もないという意味において、反革命そのものであって、1960年代末から70年代の初めにかけておこなわれた日本共産党に指導された民主青年同盟(当時は、『暁(あかつき)部隊』と呼ばれていた)が鉄パイプ等の『武器』で武装して、全共闘運動に“軍事介入”(この場合、『襲撃』もしくは『やくざの出入り』という日本語の方が正しいであろう)したときの論理そのものである。

 原仙作氏は、日本共産党に指導された運動(学生運動、労働運動、大衆運動)のみが許容される運動であり、それ以外の大衆的運動は運動は「武器による批判」が必要であるというのであるが、こういう主張は原仙作氏と日本共産党の名誉と信用を高めるのではなく、逆に、低めるものでしかないのではないか?また原仙作氏は、日本共産党の指導部を「図式化し化石化した理論と独善的自己認識」とも論難しているが、自分はどうなのか?われわれには原仙作氏がそれこそ「独善性」のかたまりのようにしか見えないのだが、いかがであろう。

 話を続けると、このクロンシュタットの反乱以後、レーニンは彼らの主張の受け入れられない「ボリシェヴィキ抜きのソビエト」等の主張以外の主張は取り入れようとした。

 レーニンはロシアの労働者・農民のこれ以上がまんはできないという言葉を重く受けとめていたのである。

 その主な政策の一つは、農民に商業の自由を認め、彼らの生産物の一部を自由に処分することを認めたことであり、もう一つは労働組合の自主性をある程度認めることであった。

 この労働組合のあり方をめぐってはボリシェヴィキ党はそれこそ四分五裂の状態になった。

 一つは、コロンタインのいう“労働者反対派”であり、彼らは党の役割を否定して、すべてを労働組合にゆだねるべきであるといった。

 それから、党の官僚的中央集権制の緩和を求めたオシンスキーの「民主的中央集権派」、労働組合を政府機能に組み入れ、労働組合は党と国家に無条件に服従すべきであるというトロツキー=ブハーリン・ブロック、そして労働組合は組合員の利益を護るために国家と対峙することも許容されるべきであるというレーニン。

 分派の禁止はこういう事実上の党の分裂状態の中で出された方針であり、それぞれが“派閥”を形成して自説に執着し党内闘争を続けていけば、党の分裂状態が固定化してボリシェヴィキは党として空中分解しかねない状態であった。

 分派の禁止は何よりも、このような党の分裂を回避しようとするものであった。(もしある分派の存在そのものが危険であるというのであれば、当然、その分派の処分、すなわち、党外への放逐が問題になるだが、ここではそういうものとしては提起されていない)

 そういう点ではレーニンは、“分派の禁止”ということで、確かに、今は党内で争っている場合ではない(原仙作氏はこのあとに「今は武器をもって闘うべきときだ」という言葉をつけ足しているが、正しくは、整然と隊列を組んで資本主義に後退するべき時だというべきであろう)といっているにすぎないのだが、ここで不思議なのは原仙作氏が自分は“レーニン派”であるといっていることだ。彼の見解からするならば、原仙作氏はトロツキー=ブハーリン・ブロックか「民主的中央集権派」に組するべきなのであって、自然発生性に屈服して労働組合の自主性を認めようというレーニンにたいして「武器による批判」を試みるべきではなかったろうか。

 ところが原仙作氏は、自分は“レーニン派”であるといいつつも、“トロツキー=ブハーリン・ブロック”の立場に立っている。何か非常に矛盾しているのではないか。

 


変える必要はない

2008-12-19 18:08:14 | Weblog
 親切な人物がマルクス主義同志会にウィキペディアの「社会主義労働者党」の項目はあまりにも現実とかけ離れているから書きかえた方がいいのではないか、と指摘している。

 それで読んでみたのだが、たしかにデタラメのオンパレードで笑える内容だ。

 これは新左翼と称する連中の見た、社労党であり、むしろ彼らの政治的な無内容、くだらなさを示している。

 それで、書き直すべきかだが、そんな必要はないだろう。

 1880年の参議院選挙の時、何者かがわれわれ(社労党)のポスターに「成田開港でシンデレラ」というシールを貼るということがあって、警察が“悪質な選挙妨害”ということで、事務所に来たことがあったが、あの時は大笑いだった。

 「これはいい、“魔除け”になるよ。こういう連中に嫌われているということは、われわれの宣伝になり、プラスになってもマイナスにはならないのだから、そのままでいいんじゃない。」といったが、それがわれわれの解答。

 実際、あれを読んで、われわれに接近するのはやめようという人がいれば、あの記事は真偽のほどは別にしても、それなりの政治的な役割を果たしているわけで、結構なことではないのだろうか。

未知の海へ

2008-12-18 00:51:06 | Weblog
 アメリカがゼロ金利政策へカジを切ることによって世界は未知の海へのりだすことになった。

 日本もかつてゼロ金利政策をとったことがあるが、円のようなローカル通貨が無制限な拡大をするということと“基軸通貨”であるドルがゼロ金利政策をとって無制限に拡大するということとはまったく意味が異なる。

 どうなるかはしばらく様子を見る必要があるだろうが、結果は案外早く出るような気もする。

自民党“改革派”とマルクス主義同志会の統一戦線

2008-12-18 00:44:22 | Weblog
 社会保障費を削減して財政再建を図ろうとする自民党の“改革派”(小泉純一郎氏や中川秀直氏等々の面々のような親ファシズム勢力)とマルクス主義同志会は、現在、奇妙な統一戦線を結成している。

 それは、マルクス主義同志会が、社会保障費がこれ以上増加すれば国家財政の健全化が大きく損なわれるという危機感を小泉派と共有しているからである。そして最近では、さらに進んで、小泉派の“改革”(社会保障費の削減)が不徹底であると彼らを論難するまでになっている。

 つまり、国家を軍国主義化するために、社会保障費の削減を目論む連中(自民党“改革派”)と、国家財政の悪化をふせぐことで資本主義の危機を防止しようと画策している連中(マルクス主義同志会)が、社会保障費の削減による国家財政の健全化という一点において、一致しているのである。

 「福祉国家とは労働者人民の『福祉』を国家(この場合は“国民共同体”もしくはそれを代表する“公的な”機関としての)が保証するということであるが、しかし資本主義社会の前提はそもそも個人(私人)であって、直接に社会的な人間ではないからである。ブルジョア社会は個人から出発するのであって、だから、その原則からして、個々人の「福祉」の確保は個人の努力や“責任”に帰せられるのであり、かくして国家(社会を代表するものとしての)は本質的に個人の『福祉』にはかかわらないのである(それが建前である)。近年も、盛んに「自己責任」ということが言いはやされた――今も言われているが――、まさにブルジョア社会の根底における人間関係の本質的なものを明らかにしている。」(『海つばめ』、第1083号)

 マルクス主義同志会によれば、資本主義は「自己責任」の世界なのだから、何でも自己責任でやれ、国家が「福祉」などやる必要がない、自己責任で自己を救済できない者は餓死でもすればいいではないか、という結論が出てくる。この思想こそ、まさに自民党“改革派”の主張そのものであって、ここにこそ彼ら(自民党“改革派”とマルクス主義同志会)の統一戦線の基礎がある。

 『資本論』の第1巻では、マルクスは福祉の対象になっている人々を「相対的過剰人口」の最下層に沈んでいる「受救貧民」について、

 「受救貧民は、現役労働者軍の廃兵院、産業予備軍の死重(運搬具自体の重み)をなしている。受救貧民の生産は相対的過剰人口の生産のうちに含まれており、その必然性は相対的過剰人口の必然性に含まれているのであって、受救貧民は相対的過剰人口とともに富の資本主義的な生産および発展の一つの条件となっている。この貧民は資本主義的生産の空費に属するが、しかし、資本はこの空費の大部分を自分の肩から労働者階級や下層中間階級の肩に転嫁することを心得ているのである。」(『資本論』、第1巻、国民文庫3分冊、P239)

 マルクス主義同志会が立脚するリカード主義、すなわち徹底したブルジョア合理主義によれば、受救貧民の存在は、「社会の死重」であり、「(価値を生まない)空費」なのだから、できるだけ少ない方がよいし、ゼロにすべき項目であるにすぎない。

 それで少し前までは、マルクス主義同志会は、マルクスの『ゴータ綱領批判』をもちだして、社会主義社会とは“働かざる者食うべからずの社会”であり、人は働いた分を社会から受け取るだけの社会である(したがって、働かない者、働けない者は社会から何ももらえず、餓死でもすればいいということになる)とまでいっていたのだが、どういうわけか、現在は少し修正されている。

 『ゴータ綱領批判』では、マルクスは社会主義おいて、社会の生産者に労働によって生みだされたもの(社会的総生産物)を生産者に分配する前になされるべき控除をいくつか列記している。それは、

 ① 消耗された生産手段を置きかえるための補填分。

 ② 生産を拡張するための追加部分。

 ③ 事故や天災による障害にそなえた予備積立または保険積立。

 ④ 直接に生産に属しない一般管理費。

 ⑤ 学校や衛生設備等々のようないろいろな要求を共同でみたすためにあてる部分。

 ⑥ 労働不能者等のための元本。つまり、今日のいわゆる公共の貧民救済費にあたる元本。

 であるが、マルクス主義同志会は最近になって、ようやくこの⑥の部分の控除を認めた。(もっとも、マルクス主義同志会は「資本はこの空費の大部分を自分の肩から労働者階級や下層中間階級の肩に転嫁する」ための手段として考え出された各種の社会保険を③の保険と混同しているが、いうまでもなく、マルクスが①から③まであげた項目は生産を維持発展させるための控除であるのにたいして、④から⑥までの控除は社会を維持発展させるための控除である。)

 だが、社会主義において、⑥の控除を社会の存続・維持のために必要なものとして認めるのであれば、当然、資本主義社会における「公共の貧民救済費」をも認めるべきであろう。

 そもそもが「空費」という概念自体が、貨幣の製造費と同じように、利益を生まないが強要されている出費という概念を含んでいるのであって、資本主義社会も社会である以上、社会の構成員の生存には責任を持たざるをえない。(被支配階級を養えない支配階級は滅びるしかないのである)だからヒトラーのナチス党や自民党“改革派”やマルクス主義同志会のような政治的に無責任な連中だけが、「空費」であるならば、ゼロにすべきだといいうるのである。

 現在、問題となっているのはこの労働者階級や下層中間階級の肩に転嫁されている「社会的空費」の部分が増大して(マルクスはこの部分が増大するのは必然だといっている)いることだ。保険料の引き上げにせよ、消費税にせよ、この部分の負担が増大することは労働者の生活を圧迫する。

 こうして現在の労働者はフランス革命前の農民のようないくつもの封建的な負担や近代国家を建設するための国税やその他もろもろの負担を強いられているような状態になってきている。

 つまり労働者階級の背には、資本による搾取のみならず、各種の税負担や「社会的空費」の肩代わりという重荷まで背負わされているのである。歩き続けるために、おろさなければならない荷物があるとすれば、それが何であるかは自明であろう。

 そういう点では、日本の“アンシャン・レジーム”(革命前の旧体制)はすでに始まっているのである。


立候補に際しての供託金の引き下げについて

2008-12-16 15:37:20 | Weblog
 選挙に際して候補者が積み立てなければならない供託金の引き下げが自民党によって企てられている。

 もちろん、この供託金の引き上げは70年代末から80年代にかけておこなわれたわれわれ社労党(社会主義労働者党)の選挙闘争に震えあがった自民党と社会党が結託して、画策したものであり、労働者の政治活動を兵糧攻めにして、不可能にすることを目的としていた。

 こうして、選挙に確認団体(政党)として立候補するだけで6000万円というべらぼうな資金が必要となり、ビンボーなわれわれ労働者党は資金難から選挙闘争をあきらめなければならなくなり、自民党と社会党の思惑はめでたくも成就することになった。

 今、その自民党が供託金の引き下げを画策している、ここにはどういう思惑があるのだろうか?

 一つは、日本共産党に全選挙区から立候補して欲しいから、つまり自民党は当面の敵である民主党の足を引っ張るために、供託金を引き下げ共産党の力が比較的弱い地域でも候補者をたてられるようにして、民主党候補の票を少しでも減らそうというのである。

 もう一つは、社労党(社会主義労働者党)の“後継組織”を自称しているマルクス主義同志会に再度、選挙闘争にもどってきて欲しいと考えているから。つまり、マルクス主義同志会に、他の左翼団体の足を引っ張って欲しいと考えているからである。

 今のマルクス主義同志会に、他の左翼組織の足を引っ張るだけの政治的、理論的な力量があるのかどうかは、われわれの知ったことではないが、治安対策、労働者の政治闘争弾圧法としての供託金の引き上げはすでに歴史的な役割を終えたと自民党が考えているのであり、むしろ民主党の議席の減少と、左翼組織の内紛を誘発しようという目先の利益が打ち勝っているのである。

 しかし、「時すでにおそし」である。政党としての自民党の運命はすでに定まっている。あと5年もすれば、自民党が、あの時、供託金を引き下げておいてよかったと思う程度の規模の政党へ転落することは、もう避けられない。そういう点では、今回の供託金の引き下げは自民党が泡沫政党への転落を予期した予防行動ともいえなくもない。

 もちろん、選挙において多額の供託金を設定するような、民主主義の原則を踏みにじった不公平な制度は即時撤廃されるべきであるとわれわれは考えているので、供託金の引き下げは賛成である。

 さらに、民主党の候補者を当選させるために、共産党は候補者を立てるべきではない、という見解にわれわれは組しない。結果はどうあれ、政党が選挙において独自の候補者をたてて自分たちの見解を人々に訴え、支持をえようとすることは、それ自体として意味をもっているからであり、そういう政党の独自性はある程度尊重されなければならないからである。

 また、供託金の引き下げに秘められた真のねらい、すなわち、労働者の闘争を、現在のような野放しの状態から、より管理された、おだやかなものにしようという試みについていえば、そういう試みは成功はしないであろう。

 そういう点でも、われわれは供託金の引き下げに反対ではない。

なぜ1857年に注目しているのか?

2008-12-14 21:54:23 | Weblog
 考えてみると、最近、1857年のマルクスに言及する機会が多いように感じる。

 読んでいて、おもしろいということもあるが、それ以上に、この恐慌が、マルクスが最良の条件のもとで観測できた恐慌であったということが大きな原因であると思うからである。

 マルクスが観測した恐慌としては、1847年と1857年と1870年の恐慌があげられる。

 このうち、1847年の恐慌は、恐慌としては典型的なものであったということや1848年の『共産党宣言』とヨーロッパの諸革命に帰結したという点で、注目すべき恐慌であったが、マルクスの経済学の研究は緒についたばかりで恐慌のメカニズムを必ずしも解明しているわけではなく、眼前で起こっていること、起ころうとしていることをすべて理解しているわけではなかった。

 これにたいして、1857年にはマルクスの研究はすでに充分深まっていた。だから、1856年にはすでにこれから起こるべきことがらをある程度予見していたし、恐慌勃発時には、冷静な“観察者”としてこの過程をつぶさに観察することができた。

 この時の研究は、マルクスにある確信をもたらした。それは、恐慌をきっかけに、1848年の革命後にうち立てられたヨーロッパの反動体制がほころびを見せ、世界は変わりつつあり、眠り込んでいた労働者の闘いがふたたび始まるいう確信であった。だから、彼は、これまでの研究をまとめて『経済学批判』として出版するとともに、週刊新聞『ダス・フォルク』の編集長を務め、政治新聞による労働者の組織化というその後のマルクス主義的な政治闘争の原型をつくりだしている。

 残念ながら、『ダス・フォルク』は資金不足で、1859年5月から8月までの極短期間しか存続しえなかったが、その先駆的な役割は非常に大きいものがある。だからこそ、これまでマルクスにたいして“死の沈黙”を強いられ、マルクスの名前すら口に出すことができなかった反動勢力だったが、あえて禁を犯して、カール・フォークトを通じて卑劣な誹謗中傷をはじめなければならなかったのである。(この時のマルクスの反論書は『フォークト君』として出版されている。)

 なお、『経済学批判』の序言には、マルクスの歴史観が簡潔に述べられているが、このなかで、「一つの社会構成は、それが生産諸力にとって十分の余地をもち、この生産諸力がすべて発展しきるまでは、けっして没落するものではなく、新しい、さらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の胎内で孵化(ふか)されてしまうまでは、けっして古いものにとって代わることはない」と述べ、恐慌は革命をもたらすというような短絡的とも言える見解とは決別を告げている。

 では1870年の恐慌はどうか?この時の恐慌はパリ・コミューンというはじめての労働者政権の誕生を生みだしたという点で画期的ともいえるが、恐慌としては、若干問題があった。

 繁栄→経済的パニック→不況というこれまでの循環とはちがって、70年の貨幣恐慌はパニック(経済・信用の急激な崩壊)という形式はとらなかったし、その後の回復もかんばしくなく、不況、もしくは経済の沈滞状態がダラダラと長く続いた(20年ほど)。このことはエンゲルスも『資本論』の第1巻の序文で書いている。(ただし、エンゲルスがいう、恐慌から恐慌までの期間が短くなったという見解は、彼自身の判断であってマルクスの判断ではない)おそらく、信用制度の整備、発達や独占資本の確立が景気の循環に影響を与えているのだろうが、恐慌現象が変形しているという点では、観察するにはあまり適切な恐慌ではなかったといえるだろう。

 また当時のマルクスは、第1インターナショナルの前身である国際労働者協会の“活動家”であり、観測者としてではなく、当事者として多忙であり、研究に没頭するということが許されない状態であった。

 また72年以後、マルクスは健康を害して、研究に専念することが困難になりつつあった。

 そういう点では、マルクスが研究者としてもっとも油がのりきった時代に、じっくりと観察することができた1857年の恐慌は、われわれが恐慌を考えるうえで見逃すことができない時期であるといえるだろう。

 最後に、新しい時代の始まりを確信していた恐慌前夜のマルクスのすばらしい演説を紹介して終わりたい。できることならば聴衆としてその場にいあわせたかったと思うのはわれわれだけではないであろう。

 「いわゆる1848年の諸革命は、貧弱な出来事でしかなかった。――ヨーロッパ社会のひからびた地殻に小さい割れ目やひびがはいっただけのものであった。だが、それは深淵の存在を暴露した。それは、一見堅固と思えた地表の下に、流動する物質の海があることを明らかにした。その海がふくれあがるだけで、固い岩でできたいくつもの大陸が粉みじんに吹き飛ばされてしまうであろう。それらの革命は、騒がしく混乱したやり方で、プロレタリアの解放を宣言した。この解放こそ、19世紀の秘密、今世紀の革命の秘密なのである。

 なるほどこの社会革命は、1848年に新規に発明されたものではなかった。蒸気や電気や自動ミュール(力織機)のほうが、市民バルベーズ(※1)やラスパイユ(※2)やブランキ(※3)にくらべてさえ、いっそう危険な革命家であった。しかし、われわれがそのなかで生きている大気はひとりの人間を2万ポンドの力で押しつけているのだが、諸君はその重さを感じるであろうか?ちょうどそれと同じように、1848年まで、ヨーロッパ社会は、四方八方から革命の雰囲気につつまれて押しつけられていながら、それを感じなかったのである。

 ※1 バルベーズ―フランスの革命家、小ブルジョア民主主義者、秘密結社「季節会」の指導者の1人、1839年に蜂起参加のかどで終身禁固刑に処せられた。1848年には憲法制定国民議会の議員、五月の労働者蜂起に参加して再度終身禁固刑に、1854年に特赦。

 ※2 ラスパイユ―フランスの社会主義的共和主義者、1830年と1848年の革命に参加、48年には憲法制定国民議会の議員、49年に5年の禁固刑を受けるが、その後国外追放に変更。

 ※3 ブランキ―フランスの革命家、1830年と48年の革命に参加、通算36年間獄中ですごした。

 われわれのこの19世紀は、一つの大事実、どんな党派もあえて否定しようとはしない一事実を特徴としている。一方では、以前の人類史上のどの時代も想像しなかったほどの工業力と科学力が生まれている。他方では、ローマ帝国の末期に起こったと記録が伝えている惨事をはるかにこえる衰退の徴候が存在している。

 現代では、あらゆるものがその反対物をはらんでいるようにみえる。人間の労働を短縮し、みのり多いものとする驚くべき力を付与された機械、それが働く人を飢えさせ過労におとしいれているのを、われわれは見ている。新しい富の源泉は、なにか不思議な、怪しい呪文によって欠乏の源泉に変えられてしまう。技術の勝利は、人格の喪失を代償としてあがなられたようにみえる。人類が自然を支配していくのと同じ歩調で、人間はますます他人の奴隷、または自分自身の非行の奴隷にされるようにみえる。科学の清らかな光でさえ、暗い無知の背景のうえでなければ輝きでることができないようにみえる。われわれのあらゆる発明や進歩は、物質的な力に知的な生命をあたえる一方、人間の生命を愚鈍化して物質的な力に変える結果となるようにみえる。一方における現代の工業と科学、他方における現代の貧困と衰退のこの対立、現代の生産力と社会関係のこの対立は、明白な、圧倒的な、争う余地のない事実である。

 ある党派はこのことを嘆き悲しむかもしれない。また別の党派は、現代の衝突をとりのぞくために現代の技術をとりのぞきたいと望むかもしれない。あるいはまた、こうも顕著な工業の進歩を、それに劣らず顕著な政治の退歩で補う必要があると考える者がいるかもしれない。われわれとしては、これらすべての矛盾にたえず印を残しているすばしこい妖精の姿を見まちがえることはない

 新しい社会の力をうまくはたらかせるには、新しい人間がこの力を支配しさえすればよいことを、われわれは知っている。――そして、そういう新しい人間とは労働者である。

 労働者は、機械そのものと同様に現代の創造物である。中間階級[ブルジョアジー※このように全集には書いてあるが、文脈からいえば、ブルジョアジーばかりではなく小ブルジョア層も含むであろう]や貴族やあわれな退歩の予言者たちを途方に暮れさせているこの印のうちに、われわれは、わがけなげな友ロビン・グッドフェロー(※4)、じつにすばやく大地を掘りうがつことのできる老モグラモチ(土竜、モグラのこと)、すばらしい工兵――革命のはたらきを認めるのである。

 ※4 ロビン・グッドフェロー(親切者のロビン)――イギリスの民間信仰によると、人間の守護者、援助者の役割を果たすという妖精。シェークスピアの『真夏の夜の夢』では、ほれ薬を塗る相手をまちがえてしまったために、行き違いになってしまった4人の男女の関係を本来の恋人同士にもどすために奮闘する妖精として登場している。

 イギリスの労働者は現代工業の長子である。そうだとすれば、彼らは、この工業の生みだす社会革命に助力する点でも、たしかに人後に落ちないであろう。この革命は、資本の支配や賃金奴隷制と同じように広くゆきわたっている彼ら自身の階級を、全世界にわたって解放することを意味する革命なのだ。イギリスの労働者階級が前世紀のなかば以来経てきた英雄的な闘争を、私は知っている。この闘争が人知れずうもれ、中間階級の歴史家によって黙殺されているからといって、その燦然(さんぜん)たる光が薄らぐものではない。

 中世のドイツには、支配階級の悪行に復讐するために、『フェーメ裁判所』とよばれる秘密の裁判所があった。ある家に赤い十字の印をつけられているのを見れば、その家の主人に『フェーメ』[刑罰の意]の判決がくだったことがわかった。いま、ヨーロッパの家ごとに神秘な赤い十字の印がついている。歴史がその裁判官であり、その執行人はプロレタリアである。」(『1856年4月14日ロンドンにおける「ピープルズ・ペーパー」創刊記念祝賀会での演説』、全集12巻、P3~4)


死せる『トリビューン』紙、生ける『赤旗』紙を叱る

2008-12-13 20:04:27 | Weblog
 『赤旗』紙が、12月10日号でWTI原油価格の推移をグラフ化した図を掲載し、鬼の首をとったように、やっぱり原油価格の上昇は投機の結果だった、と総括している。

 しかし、このグラフの読み方はこのようなものでいいのだろうか?

 つまり、投機の嵐が去って諸商品の価格がもとに戻った(価値どおりに売られるようになった)から、よかった、よかったという話なのか、ということである。

 投機によって原油価格が高騰し、投機が去って原油価格が暴落したという説明は、現在の1バーレル=40ドルという価格を説明できない。特に『赤旗』紙は、この記事の中で、原油価格の“妥当な水準”として1バーレル=70~80ドルという見解に賛意を示しているのだから、現在の石油価格が“適正な水準”の半分になっていることの説明がいるのではないか。

 また『赤旗』紙は、投機の基点を、07年8月以降といっているが、この時、原油価格は1バーレル=80ドル台であった。そして同じ『赤旗』紙の記事がいうように、この原油価格は04年12月には1バーレル=40ドルだったのである。

 つまり、投機だけでは、①なぜ04年から07年8月まで原油価格はなだらかな上昇を続けたのか?②なぜ08年7月から始まった原油価格の暴落が“適正な水準”では止まらず、その半分にまで“オーバーシュート”しているのか?という問題には答えられないのではないか?

 これに対して、150年前の『トリビューン』の“ヨーロッパ特派員”カール・マルクス氏は当時のイギリスの商業恐慌の様子について、次のように的確に報告を送っている。

 「われわれが大西洋のこちら側で[アメリカ合衆国で」、その後世界じゅうを襲った破産の偉大な交響曲のとどろきにたいするわれわれのささやかな前奏曲を楽しんでいたとき、わが奇矯な同僚紙、ロンドン『タイムズ』はイギリス商業の『健全性』というテーマで、得々と美辞を用いた変奏曲をかなでていた。だがいまでは、別のもの悲しげな調べを出している。きのう『ヨーロッパ』号によって幸福なこちら側にもたらされた、同紙最新版の一つである11月26日付号のなかで、同紙は『イギリスの商業階級は骨の髄まで不健全である』と明言している。そのあとにつづけて、道徳的憤りの最高音階を出して、同紙は次のように叫んでいる。

 『最も底深い破滅をつくりだしているものは、その終末まで8年ないし10年にわたった繁栄のあいだ追求されてきた退廃的行路である。一連の向こう見ずの投機者や空手形振出人を発生させ、そして彼らを成功したイギリス企業精神の手本としてもち上げ、こうして正直な勤勉によって徐々に儲けを上げていくことをあてにする気持ちをくじく、ということによって、害毒をそそぎこんだのである。このようにしてつくりだされた堕落の中心点は、それぞれたえずひろがってゆく圏を形成している。』

 ここでわれわれは、商業的痙攣(けいれん)の時代は自由貿易の採用とともに最終的に終わりを告げたという教義を、10年間にわたって宣伝していたイギリスのジャーナリストたちが、いまや、近代的金儲けのお追従的な賛美者たることから、それに対する古代ローマ的な風紀取締官(ケンソル)に突如として転身することが正当かどうか問おうとは思わない。だが、ついこの間のスコットランドでの債権者会議に提出された次の一覧表は、イギリス商業の『健全性』にたいする実際的な注解として役立ちうるであろう。

 負債の資産超過額
 ジョン・モンティース商会・・・・・・430、000ポンド
 D・アンド・T・マクドナルド・・・・334、000ポンド
 ゴドフリ・パティソン商会・・・・・・240、000ポンド
 ウィリアム・スミス商会・・・・・・・104、000ポンド
 T・トレーンズ=ロビンソン商会・・・・75、000ポンド
 合計・・・・・・・・・・・・・・1、183、000ポンド
 『ノース・ブリティッシュ・メール』が言っているように、
 『この一覧表を見ると、破産者たち自身の言によっても、5商会の債権者たちが118万3000ポンドの損失を受けたことが分かる』

 とはいえ、過去のあらゆる警告にもかかわらず、規則的な間隔をもって恐慌がくりかえし現れるというそのことからみても、恐慌の究極的原因をたんなる個々人の無思慮に求める考えは許されない。ある与えられた商業機関の終わりごろにおける投機は崩壊の直接的先駆として現れるとしても、投機それ自身は当該期間のそれより前の局面で生みだされたものであること、したがってそれ自身が結果たり付帯現象たるものであって、究極的な原因たり本質たるものではないことを忘れてはならない。商工業の規則的な痙攣(けいれん)を投機によって説明すると称する経済学者たちは、発熱をもってあらゆる病気の真の原因だと考える、いまではすたれてしまった自然科学者たちの一派に類似している。

 これまでのところ、ヨーロッパの恐慌の中心は依然としてイギリスであるが、われわれの予見したように、イギリス自身において恐慌の様相が変化してきている。わがアメリカでの崩壊が大ブリテンにおよぼした最初の反作用は貨幣パニックのかたちをとって現れたのであって、生産物市場での一般的不況がこれに随伴し、そして工業上の窮迫は、もっと遅れてこれにつづいたのであったが、今では工業恐慌が先頭に立ち、貨幣上の困難はしんがりとなっている。

 一時はロンドン(金融の中心地)が大火災の中心地であったが、いまではマンチェスター(工業の中心地)が中心地である。

 イギリスの工業が過去に経験したもののなかで最も深刻な痙攣(けいれん)であり、大きな社会的変化を生みだした唯一のそれであった1838年から1843年にいたる工業上の窮迫は、1839年中の短期間、貨幣市場の収縮をともなったが、右の時期の大部分のあいだ利子率が概して低く、2分5厘や2分に下がったことさえあった。

 われわれがこのようなことを言うのは、ロンドン貨幣市場の相対的な小康状態をもって同市場の最終的回復の徴候と考えているためではなく、イギリスのような工業国にあっては貨幣市場の諸変動は商業恐慌の強度をも範囲をも示すものではまったくないという事実を記しておくためだけのことである。

 たとえば、同じ日付のロンドン(金融の中心地)の新聞とマンチェスター(工業の中心地)の新聞とを比較されたい。地金の流出入だけを見守っている前者は、イングランド銀行が金の新たな買入によって『その地位を強化した』ので明るさに満ちている。後者は、この強化が利子率の低下と彼らの製品価格の低落とによって彼らの犠牲においてもたらされたものであることを感知しているために、暗さにみちている。

 それゆえ、『物価史』のトゥック氏さえも、ロンドン貨幣市場や植民地市場の諸現象については適切に論じているが、イギリスの生産の心臓の収縮はこれを描写することができなかったばかりではなく、理解することすらできなかったのである。

・・・・・・[略]・・・・・・・・・・・・・・・・・

 アメリカの恐慌にもかかわらず、1857年10月の輸出は1856年10月にくらべて31万8838ポンドの増加を示しているが、しかし、同じ報告書が示しているところでは、食料品および奢侈(しゃし)品のすべての品目の消費がかなり減退したことは、この工業生産の増加がけっして採算のとれるもの、ないし工業繁栄の自然の結果というものではなかったことを証明している。イギリスの工業にたいする恐慌のはねかえりは、次回の商務院報告書で明らかになるであろう。

 1857年1月から1857年10月までの各月の報告書を比較してみると、イギリスの生産は5月にその最頂点に達し、この時の輸出は1856年5月のそれを264万8904ポンド上回った。6月にはインドの反乱(セポイの乱)の第1報がはいった結果、総生産は1856年の同月のそれ以下に下がり、輸出は3万0247ポンドほど前年同月に比して減少を示した。インド市場の収縮にもかかわらず、7月には生産は1856年の同月の水準を回復したばかりでなく、じつに223万3306ポンドだけ前年同月を上回った。したがって、この月には他の市場がその通常の消費をこえて、いつもインドに送られていた分だけでなく、いつものイギリスの生産を大きく上回る超過分を吸収しなければならなかった、ということは明らかである。このため輸出の[前年同月に比しての]増加の幅は逐次縮小を余儀なくさせ、約230万ポンドから、8月には88万5513ポンド、9月には85万2203ポンドとなってきた。

 イギリスの貿易報告書の研究は、この国における現在の痙攣(けいれん)の秘密を解くうえで、信頼することのできる唯一の手がかりをあたえるものである。」(マルクス・エンゲルス全集、第12巻、P316~319「イギリスの商業恐慌」、1857年)

 これは150年前の出来事であるが、今なお、考えさせられる記事ではある。 

分派について

2008-12-12 00:49:19 | Weblog
 これは一部の見解だろうが、政党内で分派を認めないのは、非民主的だという見解がある。

 分派は認めないというのがわれわれの立場なのだから、当然、こういう見解については、何かをいう必要があるだろう。

 もちろん、レーニンの時代、革命後のボリシェヴィキ大会で分派を禁止したのは、ある意味では正しかったし、ある意味では正しくなかった。

 “正しい”というのは、政党の中で、その政党と異なった立場に立脚する政治集団が存在するのは、基本的におかしいからである。

 例えば、マルクス主義に立脚する政党の中で、マルクス主義なんかどうでもいいという集団が存在するのはまったくおかしなことであろう。

 そもそも、マルクス主義を否定しながら、マルクス主義の政党に居座ること自体がおかしいのではないか?

 そういう人たちは、政党の選択を間違えた人たちなのだから、離党して新しい政党を作るなり、他の自分たちの立脚点に近い政党をさがして入るなりすればいいのであって、何も無理して、居心地の悪い政党に居座り続ける必要はないのである。

 そういう点では、分派の禁止というのは、きわめて民主的な制度であって、むしろ、政党選択の自由を否定するほうが、よほど民主的ではない。

 “正しくない”のは、レーニンが分派の禁止と同時に政党結成の自由を認めなかったこと。レーニンは、「ボリシェヴィキが気に入らなければどこへでも行けよ」、と反対派にいっているのだから、彼らが党外で新しい政党を結成するなり、メンシェヴィキでも、エス・エルにでも入れるようにするべきだった。

 当時の状況がそれを許さないというのであれば、“次善の策”もしくは、“やむを得ない措置”として分派を認めてやるべきであったろう。レーニンがこのような“次善の策”すらとりえなかったのは、むしろレーニンの自信のなさであろう。

 当時進められていた、“戦時共産主義”はロシアの農民にとっても、労働者にとっても、満足のいくものではなかった。それを誰よりも知っていたレーニンは、ネップ(新経済政策)という一連の国家資本主義的な施策によって乗り切ろうとしたが、もちろんこれは強権的な「共産主義」から資本主義への後退であった。

 レーニンは後退は整然と行う必要がある(従わない場合は機関銃が用意されるというすごい言葉もあるがこれはここでは無視する)といい、即時の共産主義を求める“労働者反対派”が労働者のなかで大きな力を持って、レーニンのロシアの情況が強要している“日和見主義的”な政策に反対することを恐れたのである。

 しかし、後日、レーニンがいったように、これは“買いかぶり”もしくは“過大評価”であり、“労働者反対派”と呼ばれている人々は、単なる党内の不満分子の集合体であり、“労働者派”という名前すら、適切ではなかった。

 もちろんこの「分派の禁止」という規定はスターリンのもとで、別の意味をもち、指導部の独裁体制を正当化するものにしかならなかった。

 しかし、すでにスターリンの“前衛党神話”は崩壊している。革命をするのは××党でなければならないとか、政権を維持するのは○○党でなければならないというのは、単なる妄想にすぎないということが動かしえない歴史的な事実として確認された以上、われわれはふたたび、原則に立ち返って政党にとってなぜ「分派」を禁止する必要があるのかを考え直す必要があるであろう。

 この分派にこだわっている人々は、“前衛党神話”もしくは“政権党神話”にいまだに捕らわれているのである。

 自由民主党は、現在、“分派”の花盛りである。彼らは誰が選んだ総裁(党の責任者)かすら忘れて、さかんに自分たちの党の総裁を攻撃し、“反主流派”を自認している。さらには“政界再編”(自民党を割って他党と合流して新党をたちあげる)すら口にしている。

 要するに、党の執行部に反旗を翻して、将来的には自民党を出ていくかも知れない、ということをさかんに臭わせているのだが、どういうわけか、いっこうに自民党から出ていく気配はない。

 もちろん、それは彼らのすべての言動が単なる“お芝居”にしかすぎないからである。現在の自民党は本来の田舎政党に立ち戻っているが、都市部の自民党はいまだに古い“小泉流のペテン政治政治”に未練タラタラの連中である。

 そこで“別個に進んでともに討て”という政治を実践しているのである。つまり、地方では農民や都市の小ブルジョアに道路建設や財政出動を約束し、大都市部では反労働者的な公務員攻撃や福祉の抑制、財政再建を約束して都市の保守層の票をかすめ取ろうとしているのである。

 こういった連中がこのような恥知らずな行動に出てくること自体、総選挙が近いということを物語っているのかも知れないが、彼らは当選したらどうするつもりなのだろうか?農村部と都市部で有権者に正反対の約束をしたとしても、この二つの政策を同時に実行することは不可能であろう。

 つまり、どちらかの有権者を裏切らざるをえなくなるのだが、彼らはそういうことを一向に気にかける様子はない。こういうことは政党として責任のある態度とは言えないであろうが、そういう無責任な連中が寄り集まってできているのが現在の自民党である。要するに、自分が当選すればいいのであって、当選したあとのことなど知らないというのである。

 こういう自民党の“大分派時代”というか“群雄割拠”というか、“夜盗の群れ”というか、そういう無責任な政治には反対である。


まだ民主党から回答をもらっていない

2008-12-11 01:05:26 | Weblog
 われわれは少し前に、民主党にたいして、「頭のおかしな人間が知事になって、その地域の教育を体系的に破壊しはじめたら、だれがその地域の子どもたちの教育を受ける権利を担保してくれるのか?」という質問を出したが、民主党からはいまだにその回答を聞かせてもらっていない。

 われわれはこの問題は“切実な問題”であるといったし、なぜ民主党がこの問題に答えなければならないのかも説明したはずである。

 今、大阪で起こっている事態は深刻だ。

 大阪の橋下知事が私学助成金を1割削減したために、私学はやむを得ず入学金を引き上げることになった。

 当然、私学の入学金が高くなれば、自分の子どもを高校に入れることができない人々が出てくることになるが、それに対して橋下知事は公立学校の定員を増加させるように指示を出した。

 しかし、予算的な裏付けもなしに定員を増加させることに教育委員会は否定的である。

 つまり、このままいけば、春には、定員増加がうまくいけば、私立高校が子どもたちを公立高校に取られて、経営危機から倒産する学校がいくつかでるか(その場合には、千人近い子どもたちが教育の場を失う)、または、定員の増加がうまくいかなかった場合、公立学校にも行けず、私学の入学金も払えなくて高校進学をあきらめなければならない子どもたちがでてくることになる。

 つまり、定員の増加がうまくいっても、いかなくても大阪の子どもたちの一部は高校進学をあきらめなければならない状態が生まれるだろうということである。(また、無理に定員を増加させた場合、全体の教育の質の劣化は避けられない。「詰め込み教室で詰め込み教育」というのはシャレにもならないであろう。)

 資本主義社会における教育は資本によって運営されている以上、私立、公立を問わず教育資本の削減はそのまま教育を受けられる子どもたちの数、すなわち、進学率と教育の質に影響を与える。

 この教育と“カネ”の相関関係はそのまま、個人にもあてはまる。つまり、概して、貧しい子どもたちは貧しくない子どもたちよりも教育困難な状態におかれているのであり、それは学業成績にも投影されている。(もちろん例外もあるだろうが、われわれがいっているのは一般的な傾向のことである。われわれが統計学的な見地から、東大に合格する保護者の平均年収は高いといっているのに、貧乏でも東大に行ける人がいるといったところで何の意味もないことだ。)

 したがって、貧しいがゆえに、塾にも通えず、中には、参考書すら買えずに、給食費すら払えずにいる子どもたちの“学業成績”がふるわないために公立学校にも行けず、かといって私学の入学金も払えないがゆえに、高校進学を断念せざるをえなくなるとしたら、それは子どもたちの教育を受ける権利を地方公共団体が剥奪していると同じことであろう。

 それとも、民主党は、大阪の知事といっしょになって、貧乏人やバカは高校なんか行かなくてもいい、とでもいうつもりなのか?