労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

国会周辺に「周辺事態法」を適用か?

2006-11-03 00:46:01 | Weblog
 衆議院運営委員会は1日の理事会で、国会周辺の歩道の円滑な運行の確保策を検討することを決めた。
 
 これで思い出すのは、69年から70年にかけての新宿西口広場である。
 
 当時、若者達が新宿西口にたむろして反戦歌を歌うことは好ましくないということで、政府自民党は機動隊を大量に投入して、新宿西口広場の「円滑な運行」を確保するために、通行人に「立ち止まるな、歩け」と命令し、立ち止まるものに対して、公安警察が職務質問をかけ、逆らう者を逮捕した。
 
 かくして新宿西口広場の「円滑な運行」は確保されたが、確保されなかったのは若者達の歌を歌う自由、すなわち基本的な人権であった。
 
 しかし、国会周辺は新宿西口広場とはちがう。なぜならばここには日本国憲法16条にある請願権(何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇を受けない。)を行使しに全国から集まってきた人々がいるからだ。
 
 これらの人々を、通行のじゃまだからということで排除し、逆らったという理由で逮捕拘禁することは、これらの人々の基本的人権(請願権)を剥奪することに等しい。
 
 こういうブルジョア民主主義や日本国憲法の話を、このような観点がまったくない安倍晋三ファシスト政権することは、時間のムダのような気がするが、後でどうのこうのといわれると困るので、あらかじめ警告しておくのである。
 
 1905年の「血の日曜日事件」がなければ、1917年のロシア革命はなかったし、レーニンが政権を獲得することもなかった。自分たちの窮状をツアー(皇帝)に請願しようとした民衆が、足蹴にされ、撃ち殺されるというようなことがなければ、民衆がツアー(皇帝)を見限ることはなかった。
 
 だから反動派は、100年経った今でも、あの時、ボリシェビキが先に発砲したのだと、必死になって歴史をねつ造しなければならないのである。
 
 民衆の請願が権力の弾圧によって踏みにじられ、自分たちは見捨てられたと感じた民衆が、自分たちの力で救済の道を模索しようとしても、それは彼らの責任ではない。
 
 小泉純一郎が首相になって以来、自由民主党は、政治というのは国民をペテンにかけて、欺くことであるという、まったく間違った政治観を持つようになっている。
 
 だから現在の日本は、自由民主党の政治にだまされた人々、これからだまされるであろう人々であふれかえろうとしている。
 
 先日、行われた1万5千人の障害者の請願を見よ!先進国といわれるこの日本で障害者と彼らを支援する人々が救済を求めて1万5千人も国会に押しかけるのは、日本の民主主義と国会議員の恥辱であろう!
 
 これを恥辱と感じない者たちだけが、大勢の人々が国会周辺にたむろするのは円滑な交通の妨害となるためこれを規制しなければならないと言いうるのである。
 
 そしてこの事態は、教育基本法案の改悪が強行されようとするなかで、ますます緊迫したものになりつつある。
 
 安倍晋三政権が提出している教育基本法案の改悪案は、多くの国民の支持と納得を得ておらず、特に教育関係者と父兄達は危機感をつのらせており、これらの人々が国会周辺に集まりはじめているからである。
 
 どうやら自由民主党は、これらの人々を強制力を持って排除することを決意したようだが、この強制力行使の過程でもし不測の事態が勃発すれば、それは間違いなく日本の「血の日曜日事件」になりうる。
 
 安倍晋三内閣どころか、日本の議会制民主主義、日本資本主義の行く方そのものに、取り返すことのできない致命傷を与えるであろう。
 
 これはわれわれの衆議院運営委員会に対する善意の警告である。