労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

自民党の国会議員は使い捨て

2006-11-09 00:58:04 | 政治
 前首相であった小泉純一郎氏が、自民党議員を集めた「日本の夢作り道場」で講演し、“小泉チルドレン”を前に、「政治家は使い捨てになる覚悟をしなければならない」と訴えた。
 
 かくして、「日本の夢作り道場」は「政治家の悪夢作り道場」となり、出席者した“小泉チルドレン”たちは凍り付いた。
 
 自由民主党にとって、政治とは人をペテンにかけるもの、人は利用されるために存在するもの、利用価値がなくなればサヨウナラ、というあまりにもあけすけで正直な真実の吐露である。
 
 むしろこういうありがたいお話は、新庄剛志とか萩原欽一とか藤原紀香といった、来年参議院選挙に自民党から立候補がうわさされているバカ者たちを集めて聞かせてやるべきではなかったか?
 
 そして、この小泉純一郎の恐怖の絶縁宣言、“小泉チルドレン”たちにとっては死刑宣告に等しい絶縁宣言が彼らに告げられていた間、そばに座っていた安倍晋三は終始、ニヤニヤと笑っていた。われわれはむしろこの方が背筋が寒くなったが、安倍晋三にとってこれで郵政造反組の復帰問題は決定的になったというところであろう。
 
 正直言って、このような現在の自由民主党にはどのような希望も残されていない。彼ら全体が有権者から見捨てられるのは時間の問題であろう。  

質問にお答えします

2006-11-09 00:05:53 | Weblog
 『経済』11月号で、大村泉氏、渋谷正氏、平子友長氏の『「ドイツ・イデオロギー」の編集と広松渉版の根本問題』の続編(「上」が10月号に掲載されている)が打ち切りになったのはなぜか?
 
 このような質問が寄せられました。
 
 最もよい解答は、「『経済』編集部に直接聞かれたらいかがですか?」というものであろう。続編ものを打ち切ったのだから、「なぜか」という説明責任は編集部に当然あると思います。
 
 つぎによい解答としては、『経済』編集部が11月号の後書きで言う、「特定の版(広松渉版)に集中的に批判をくわえることは『経済』発行の趣旨にあわない」ということをそのまま信じる、ということでしょう。すなわち、『経済』はわれわれの『時告鳥』のように、ある特定の党派や個人を徹底的に批判して粉砕するために発行されたもの(労働者階級の理論闘争の道具)ではないということで、これはこれで一つの解答になっているのではないですか?『経済』とわれわれの『時告鳥』では雑誌の性格が違うということは当然あると思います。
 
 裏読み、邪推がしたいという方へ
 
 中にはこれを悪意を持って解釈したいという人もいるかもしれない。われわれにこの問題についての見解を聞いてきた人もそういう解答を期待しているかも知れないので、われわれの妄想というか主観をまじえて答えたいと思います。
 
 問題の論文は広松渉氏の『ドイツ・イデオロギー』を批判したものです。10月号の「上」でも、広松渉氏が「テキストの配列への介入」(広松渉氏がドイツ・イデオロギーの草稿の順序を勝手に入れ替えた)ということが問題になっています。
 
 しかし、より本質的な問題は、広松渉氏の独特な見解、すなわち、誰がこの『ドイツ・イデオロギー』を書いたのかという点で、広松渉氏はエンゲルスによるものという見解を持っています。
 
 (この点についてわれわれは、筆跡がエンゲルスのものであっても、それがエンゲルスによるものという根拠にはならない。ワープロやパソコンがない時代には、学習会用のレジュメや検討用の草稿、完成稿は字が上手な者が書くのであり、マルクスは字の下手さが突出していたので、マルクスが書いたものをエンゲルスが検討用に書き直した可能性もあると考えています。)
 
 このエンゲルス主導説は実は共産党の不破哲三氏も支持しています。彼の『エンゲルスと「資本論」』でも、最初、エンゲルスが共産主義者になって、マルクスはその影響を受けたということになっています。
 
 もちろん、不破哲三氏は、広松渉氏のように、最初に共産主義者になったのはモーゼス・ヘス(ドイツの真正社会主義者)であり、エンゲルスがヘスの影響を受け、マルクスがヘスの影響を受けたという、モーゼス・ヘス→エンゲルス→マルクスという系統をそのまま信じているわけではありませんが、それに近い考え方を持っているわけです。
 
 したがってここでエンゲルス主導説に疑問をもたらすような論文は共産党の趣旨に反するということではないかと思います。
 
 もちろんここには「エンゲルス問題」というよりやっかいな問題があるのです。
 
 正直にいいますとこの問題で、われわれ赤星マルクス研究会は非常に卑怯というか、姑息なことをやっています。つまり、公式的には「エンゲルス問題」について、「赤星マルクス研究会は、マルクスを研究する会であって、エンゲルスを批判する会ではない」という立場をとっています。
 
 これはエンゲルスを批判すると称して、マルクス主義そのものを葬り去ろうとする悪党集団(マルクス主義同志会)に対抗するために主張したことですが、われわれのもう一つの主張である「赤星マルクス研究会がめざすものはマルクスのマルクス主義の復権である」とつなぎ合わせると、われわれの本当の主張が浮かんできます。
 
 すなわち、われわれ赤星マルクス研究会は、エンゲルス批判はしないが、他のマルクス主義団体がやっているようなエンゲルスの目を通してマルクス主義を理解する、もしくはエンゲルスのマルクス主義解釈をそのまま受け入れるというものではなく、マルクスの著書から直接マルクス主義を学ぶ、という基本方針をとっているのです。
 
 つまり、われわれの立場は、はっきりと言ってはいませんが、エンゲルスには独特な視野の狭さがあり、いくつかの理論的な問題で支持することができないところがあるが、そういう部分については、黙殺ないしは無視するというという立場です。
 
 これはわれわれがエンゲルスを社会主義者として高く評価しており、一部で言われているようなエンゲルスがマルクス主義者として失格であるという見解に組みしていないことから来ています。つまり、われわれの立場は、エンゲルスの理論は、試験の点数で言えば80点以上なのだから、80点を見て、20点を無視、黙殺しようではないかという立場です。
 
 これに対して、日本共産党は依然として、マルクス=エンゲルス=レーニン=スターリンという20世紀型の社会主義に固執しており、エンゲルスのマルクス解釈のみが正しいマルクス主義であるというスターリン時代の見解をとっています。
 
 だから、今回の『経済』の論文のような「ドイツ・イデオロギー」でマルクスとエンゲルスはちょっとちがうのではないかなどという問題の接近の仕方そのものが、日本共産党の「エンゲルス・コード」に引っかかるものであることは自明なことであると考えます。