今朝も台所の床に水をこぼし、ぞうきんで拭いた。
昨日は出先で雨に降られ(傘を持っていなかったので)
帰宅してすぐ足を雑巾で拭きとった。
このように困ったときに即出番となるのに、ふだんは
ぞんざいに扱われるぞうきん。
そういえば「ぞうきん」という詩集があるのを思い
出した。
<すぐ忘れられる ぞうきん
台所のすみに小さくなり
むくいを知らず
朝も夜もよろこんで仕える
ぞうきんになりたい >
牧師であった故・河野(こうの)進さんの詩集である。
こんなのもあった。
<まっ黒い ぞうきんで
顔はふけない
まっ白い ハンカチで
足はふけない
用途がちがうだけ
使命のとおとさに変わりがない
ハンカチよ
たかぶるな
ぞうきんよ
ひがむな >
小学校の教師であったある人がいっていた。
若い頃、産休、育休の代替教員で学校を転々として働き、
子どもたちに慣れた頃に辞めなければならない。
そんなとき、自分は使い捨てのぞうきんのようだと
惨めな気持ちになり、世の中をのろったりした。
だけど、この「ぞうきん」の詩で、それぞれの使命が
あるのだと知らされたという。
長い人生、ねたみそねみは付きもの。
そりゃ、失敗したときなど、これが私の運命などと諦める
こともできず、思わず他をのろったりすることもあるさ。
そういうときに、こんな詩を読んだら心にしみるのだ
ろうな。
ぞうきんはぞうきんで使命を果たせばいいのだ。
※ 『ぞうきん』 河野進 著
幻冬舎
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