一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

七夕の願いごと

2012-06-26 15:45:15 | 雑記



      いつもいくスーパーの店先には6月に入った頃から
      七夕飾りがおいてあって、短冊に願いごとを自由に
      書けるようになっている。

      通りがけに何気なく見ると、たどたどしい字で「ピ
      アノがじょうずにひけるように」とか、「サッカーが
      うまくなりたい」とか、「○○ちゃんと友だちになりた
      い」とか、愛らしい願いごとが書かれている。
      それにしても現代の子は行儀がいい。

      たまに「お金がたまりますように」といったのがある
      と、見てはいけないものを見てしまったようなバツの
      悪さがある。
      それに、お母さんが書いたらしい「××男がいい子に
      なりますように」も、子ども本人の前で書いたのだろう
      か、なんて考えさせられる。

      これが大人だとこうはいかないだろう。
      我々の年代になると、おそらく老後(充分に老後なのだ
      が)、健康、痴呆症の心配、介護、お墓……といった
      ものになるだろうから。
      これはもう、素直なんてもんじゃない、グロテスクと
      といった方がいいもので、とても読めるものではないか
      もしれない。
            
      私はというと、目下、来月に予定されている作家の森崎
      和江さん(福岡在住)のインタビューを前に、先月来から
      著書を読み込んでいる段階である。
      さしずめ願いごとを書かされたら、インタビューの成功
      を願うことであろうか。

      森崎さんは昭和2年生まれの85歳。
      かつて日本の植民地であった朝鮮で生まれ、17歳まで育
      っているので、その人生も屈折の多いもので、
      (だから谷川雁と炭鉱地帯に入ってサークル運動など
       するのだが)
      簡単には総括できるものでない。

      数多い著書のなかには、私ごとき凡な頭では理解できな
      いものも少なくなく、立ち往生することもしばしば。
      しかしそうばかりもいっていられないので、くじけそう
      になる怠け癖にムチ打って、格闘している。
      
      写真はその著書の一部。
      かくして、パソコンの前は資料が散乱し、頭の中はその
      間にちらばったメモ用紙や、コピー用紙なみの錯乱状態
      なのである。
      
            
      
     

若竹のような

2012-06-21 17:27:56 | 雑記
        
  
      「若竹のような」と書いて、あれちょっとちがうかな、
      「若アユのような」というのかも知れないと思ったが、
      イメージとしては「若竹」を想像したので、このまま
      進めることにする。

      家の前を毎朝通る少年がいる。
      昨年まではもう一つ向こうの通りを通っていたのに、
      この春からはわが家の前を通るようになった。

      私が毎日この少年をみているわけではない。
      ゴミ出しにいく時間帯(7時前後)にちょっと見かけ
      たり、すれ違ったりするだけだ。
      見ない日もある。

      昨年まで彼は大きな黒い通学カバンを肩にかけて、
      ややふてくされた格好でゆるやかな坂道をのぼって
      いった。この先には鎌倉山バス停があるから、そこか
      らどこかの中学に通っていたのだろう。

      そして今年、こんどはゆるい坂道を下って、わが家の
      ちょっと先にあるバス停に急ぐ。
      この春から別の街にある高校生になったのだろう。

      驚いたのは、この何カ月かのうちに背丈も、手足も
      すらっと伸びて、確実に青年のとば口に立ったような
      爽やかさを身につけていることだった。

      彼の家も知らない。ましてどこの学校に通っているか
      も知らない。
      「おはよう」と挨拶するわけでもない。
      ゴミ出しのときに犬を連れた人や、通勤するらしい
      男性、女性には朝の挨拶をさりげなくするが、
      (向こうも返してくる)      
      少年にはそれすらはばかられるものがある。

      それでいいのだ、と思う。
      彼の頭は学校のこと、友達のこと、将来のこと等で
      いっぱいなのだから。
      エプロンをかけた汚ったないおばさん(バアちゃん?)
      のことなど、目にも入っていないだろう。

      私はそれが愉しくて、今日もゴミ出しにいくのだ。
      (写真はときどき散歩する鎌倉山の竹林)

      

静かなる友

2012-06-17 19:34:16 | 雑記



     今日はむしむしする日だったが、梅雨ざむの昨日
     は雨のなか東京に用事があって出かけ、その後、
     ちょうど日本に帰ってきていた友だちと会った。

     彼女はホーチミン(ベトナム)に半永住のような
     形で住んで13年にもなる。
     去年の震災のときはニュージーランドの姪と同様、
     まっさきに電話をくれた人だ。
     3・11の直後、身辺はみなパニック状態で、郷里
     とは電話(携帯も)通じないさなかだった。

     あれから1年、海外からみると日本=フクシマで、
     渡航もひかえていたが、
     (そのため昨年は日本に帰らなかった)
     東京にきてみたら全然変わってないじゃないの!
     と、逆に驚いた風だった。
 
     私は「そうじゃないよ」と、これまでのことを縷々
     (るる)話した。
     日本国中みんなフクシマやミヤギを心配してくれて、
     忙しい人ほどボランティアに駆けつけてくれたこと、
     募金もたくさん寄せられたこと……、まだまだ充分
     とはいえないけど、地元の人たちは言葉に表せない   
     ほど感謝していること等。

     そして現在、家に帰れた人でも仕事がなくなり、
     放射能汚染のために田植えもできず、畑に野菜を植
     えることも禁じられて、荒れるにまかせた田園を
     せつない思いで見ていることも。

     人間、どんなささやかでも将来に希望があれば生き
     られるが、それがなくなってしまうと生きる意欲も
     失せてしまうのではないか、という結論に達した。

     友人はもともと静かなものいいをする人だが、海外
     に移り住んでもほとんど変わらない。
     声高にしゃべるわけでもなく、ちゃんと自分の考え
     をもっているから、相手に必要以上に同調すること
     もなく、相手の話が終わるまでじっと聞いている。

     いつしか在ホーチミンの日本人の話になったが、
     企業から派遣された人はもちろん、NGOを名乗る
     人たちでも一流のホテルに滞在して、日本から取り
     寄せた食材で日本料理にこだわる人も少なくない
     らしい(すべての人がそうではないが)。

     ご主人ともども半分はボランティアに関わっている
     という友人は、せっかく向こうに行ったのだから、
     現地の人と交わらないともったいないし、失礼じゃ
     ない?というのである。

     おそらく友人のような人も増えているのだろうが、
     こういう人が多くなれば、どこの国に住もうと、
     お互い視野も広くなって生きやすくなるのではな
     いだろうか、と思った。

     (写真は途中でみた”雨にけぶるスカイツリー”)

          
     

泣いて血をはくホトトギス

2012-06-10 14:59:11 | 雑記



      関東地方も昨日梅雨入り宣言があったけど、今日は
      快晴の夏日、明日も晴れるらしい。
      どうなってんだろう。

      それはともかく、朝ベランダで洗濯物を干している
      と、ウグイスのさえずりとともに、ホトトギスがやかま
      しいほど鳴きかう。まるで勝ちほこったように。

      昨年の今頃も書いたけど、ホトトギスがウグイスの
      巣に託卵して育児までさせちゃうと聞いてから、
      「特許許可局」の鳴き声も虚心では聞けなくなった。
      子育てを放棄して遊びほうけている若いギャル
      (すべてのギャルはそうではありません、念のため)
      を想定して、許せなくなってしまうのだ。

      そこでもう1人の私が笑います。
      「ま~たはじまった、年寄りの繰りごとが」と。
      そうでした。自然界のことは自然にまかせておけば
      いいのです。人間が変な親切心や思い入れで手を
      出したりするから生態リズムをこわしてしまうので
      しょう。

      ところでホトトギスは「時鳥」とも書いて、万葉集
      や古今和歌集にも詠まれている。
      では「不如帰」と書くのは何故?
      徳富蘆花の名作は「不如帰」と書いて「ほととぎす」
      と読む。

      ご存じ、浪子(陸軍中将の娘)と武雄(海軍少尉)の
      悲恋物語だ。
      (これは実話で、大山巌大将の娘信子がモデル)

      これは新派や映画にもなって世の女性たちの涙をさそ
      い、空前のヒット作となったのだが、子どもたちの
      わらべ歌にまでうたわれている。
      
      
       一番はじめは一の宮
       二は日光東照宮
       三は佐倉の宗五郎
       …… ……
       …… ……
       十一 心願かけたけど
       浪子の病は なおらない
       ごうごうごうと行く汽車は
       浪子と武夫の別れ汽車
       二度と逢えない汽車の窓
       泣いて血をはくホトトギス

      私は祖母に聞いてうろ覚えであったが、今回こんな
      歌詞だったかと驚いた。
      (地方によって歌詞が多少ちがうらしいが)

      どうやら、ホトトギスの口の中が赤いのに浪子の病
      気(結核)と武雄の悲劇を掛けたようなのです。
      いわれてみればう~んと思わないでもないが、これ
      をうたいながら子どもたちが手まり遊びやおはじき
      をしていたかと思うと、ちょっとこわい気がする。

      (写真は家族のフォトアルバムにあったもの。これが
       ホトトギスらしいのです)



季節がやってきた

2012-06-05 18:17:27 | 雑記



     何の季節かというと蚊の季節である。
     蚊ばかりではなくブヨ(ブユ)もいて、この間チビ
     が足をぱんぱんに腫らしてかゆがっているので、
     皮膚科につれていったら女医さんが
     「ブヨです」という。
     「えっ、いまでもブヨいるんですか」と思わずいって
     しまったけど、明らかに蚊の刺されかたとはちがう。

     ブヨは水のきれいなところにしかいない(山歩き
     によく刺されるらしい)と聞いていたので、びっく
     りした。     

     話はそれてしまったが、殺虫剤や蚊取り線香などの
     ない昔はどうしていたのだろう。
     「奥のほそ道」にこんなのがある。

      涼しさを わが宿にして ねまるなり(芭蕉)
      つねの香炉に 草の葉を焚く(清風)

     山形県尾花沢の清風の家に泊ったときの句だ。
     清風は芭蕉の発句に「いつもの香炉に蚊を追いやる
     草を焚くくらいしかおもてなしできませんが」と
     続けているのである。

     当時はヨモギをいぶして蚊よけにしていたようだ。
     おそらく香炉は貴重なもので、客人にだけ使ったの
     ではなろうか。
     
     そういえば、以前は夏になると毎夜吊っていた蚊帳
     を思い出す。
     (現代の子供には通じないが)
     いまやすっかり夏の風物詩として廃れてしまったと
     思ったら、現在アフリカの防虫、つまり伝染病の予
     防に役だっているのだとか。
     どこかにはまだ蚊帳を売っているところがあるそう
     です。

     (写真は最近の蚊やり) 
    
     
     

潮干狩り雑感

2012-06-01 21:11:25 | 雑記



      先日、福島県の松川浦出身(現在は神奈川在住)のY
      さんからアサリをいただいた。
      潮干狩りにいったのだといって。行った先は横須賀の
      走水海岸。

      アサリをみてあっと思った。
      昨年の震災を思い出したからだ。

      去年の今頃、Yさんは故郷のことを思って、とても潮
      干狩りなどいく気がしないといっていた。
      生まれ故郷の松川浦では子供のころから貝を採ったり
      ヤリで魚を突いたりして遊んでいたという。
      そのせいか海の生き物にはやたら詳しく、(海)泳ぎ
      も得意なのだ。
      
      昨年、わが家の父子(婿殿と孫)が潮干狩りにいって
      アサリを採ってきたので、私は塩出しと料理を手伝っ
      た。
      たまたま娘(チビの母)が、被災した会社の人の弔問
      のために(宮城県)気仙沼にいって留守だった。
      (その人の実家では父親と祖父母一家3人が犠牲となり、
       合同の葬儀だった)

      そんな思いがあるせいか、アサリはおいしいのだけど
      なぜか哀しい。

      今年のアサリは極上の味だった。
      根本的な解決にはほど遠いにしても、Yさんが潮干狩り
      にいく気になったということで。

      (写真はいちばん簡単でおいしいアサリの酒蒸し)