一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

あれはどうなった? 続き篇

2010-12-25 17:05:01 | 歴史
     前回のブログ、まだまだ続くつもりだったのに
     プツンと切らざるを得なくなりました。
     来客があったり、外出が続いたり……とほとんど
     ドメスティックな理由なのですが、何をやっても
     手のろく時間がかかることもあります。
 
     その鶴岡八幡宮ですが、
     平氏をほろぼして征夷大将軍となった源頼朝が
     相模の国(神奈川)に幕府をひらき、その守護神
     としてつくったもの。
     (平安時代の)朝廷から、はじめて武家政権に変
     わった劇的な変化ですから、今日の政権交替の比
     ではないのです。

     頼朝の死後、幕府の実権を握ったのが妻の政子と
     その父親の北条時政であることは御承知の通り。
     鎌倉幕府が続いたのは150年弱。
     
     さて、そのはじまりですが、たしか昔、
     1192年(いい国つくろう、鎌倉幕府)
     と習ったはずですが、
     現在では1185年説が有力なのだとか。

     そして終わりは今回はじめて知った。
      1333年
      (いざ、さんざん、鎌倉滅亡)
     というのだそうだ。
     でも、いまさら覚えても仕方がないか。

     写真は何年か前にみた神苑庭園の寒ぼたん。
     (八幡宮の庭園内、1月1日~公開)  



あれはどうなった?

2010-12-23 08:58:04 | Weblog

     今年も残すところあと1週間あまり、やり残した
     こと、思いなおすことの多いなか、「あれはどう
     なった?」と思うことの1つ。

     鎌倉は鶴岡八幡宮の大銀杏である。
     ニュースなどで倒木の映像はみていたが、それっ
     きりで後は分からなかった。
     先日、友人と鎌倉散策をした際、鶴岡八幡宮に
     寄って、ようやく様子を見ることができた。

     3月の倒伏後、樹の生命は息絶えていなかったの
     か見事に蘇生して、現在はひこばえがぼうぼうと
     生えている状態なのである。
     この大銀杏は樹齢800年~1000年といわれ
     (誰が数えたか知らないが)
     鶴岡八幡宮の御神木でもあり、幹の周りも相当な
     ものであったから、たしかに倒れた時には衝撃で
     あったろう。
     (宮を訪れた人は誰しも目につくほどの大樹)

     でも(飛躍するが)どんなに権力を誇っていても、
     いつかは滅びるのだということも考えさせられた。
     (たとえ樹木であろうと)
     それはこの世のならし、だいたい、ここの主の
     鎌倉時代だって相当に激しい権力抗争があり、
     次から次へと将軍が変わったのではないか。
     戦国時代しかり。

     そもそも鶴岡八幡宮……って?

     (もしかしてこの年末年始に参拝される方も
      おられるのではないかと思い、この話題を
      取りあげました)
     
     

     
     

100年と15年

2010-12-19 20:12:54 | 雑記


     ブラジル移民のことはこの欄でも以前に書いた
     ことがあるが、第1回移民が笠戸丸で渡ったの
     は明治40(1908)年。
     791人が主にコーヒー農園に雇われたという。
     
     それから100年。
     日本人は本来まじめで勉強もよくするので、現
     地で成功した人は少なくなく、TVでも観たこ
     とがある。
     もちろん渡伯前と話がちがうといって、苦労を
     した人もそれ以上にたくさんいるのだが。

     それから時代を経て、日系ブラジル人の、いわ
     ゆる「出稼ぎ現象」がはじまったのは15年前。
     現在、およそ28万人のブラジル人が日本に
     住んでいるのだとか。
     ところが、日本もこの不況である。
     会社が倒産して職を失ったり、経済的理由で
     子供が学校にいけなくなったりして、帰国を
     余儀なくされてるケースも少なくない。

     知人はそのことを心配しているのだが。
     写真はクリ・チーバ空港より市街地に向かう
     途中。
     知人が住んでいたのは、パラナ州の州都
     クリ・チーバ市で、現在は行政も貧困層の
     支援に力を入れて、治安も良くなったとか。
 
     
     

小っせい 小っせい

2010-12-17 14:05:48 | 雑記


     先日、日本在住のブラジル日系2世の人が8年
     ぶりにブラジルに行ってきたといって写真を
     送ってくれた。
 
     おそらく航空機の窓から撮ったであろう、
     サンタカタりーナ州サンジョアン渓谷の写真。

     この雄大な景色をみて、神奈川から神奈川に
     移っただけで音をあげていた私は
     (自分に向けて)
      小っせい 小っせい
     と叱声するしかなかった。
     
     虫眼鏡から急に拡大鏡になったような視野の
     広さ。
     いつも小さな世界しか目に入らない私のような
     人間は、時にはぐっと頭を上げて遠景をながめ
     ることも必要なのだと実感した。

     それにしても見事な渓谷だが、これよりもっと
     高いところには、日系人の経営するブラジル
     NOⅠのリンゴ園があるのだという。
     冬には雪も降るのだというから驚いた。

     
     

はなびらのにがさ

2010-12-12 19:51:36 | 芸術


     谷川雁にこんな形で出会うとは思わなかった。
     晩年、雁さんは作曲家・新実徳英さんの曲に
     詞をつけ、それが「白いうた 青いうた」と
     いう合唱曲になっていることを知っていたけど。
     それが各地の合唱団で歌われていることも。

     今日は
     「新実徳英と谷川雁による21世紀への抒情歌
       白いうた 青いうた」フェスティバル
        於 鎌倉芸術館
     というのがあって行ってきた。
     いわば鎌倉に越してきて、はじめての地元での
     イベントだ。
     しかもこの鎌倉でのフェスティバルは今年で
     11回目だとか。

     小学生から中・高生~シルバー世代まで、素人
     からプロのソリストまで、出演者はさまざま
     だったが、雑多な気楽さがまた楽しかった。

     ある人によると谷川雁が作詞をするなんて、
     「革命詩人のいたずら」となるらしいが、
     きょう歌われたどれもこれも、いたずら
     なんていうもんじゃない。
     やはり谷川雁の詩だ、という印象をつよく
     した。
     そのうちの一つを紹介しておこう。
     (ことに十代の子どもたちにエネルギーを
      注いだ雁さんらしい詞を)
    
      はなびらのにがさを
      だれがしってるの
      ぴかぴかのとうだい
      はだしでのぼったよ 
      かぜをたべた
      からっぽになった
      わたしいま十四(じゅうし)
      うみよりあおい 
      はなびらのにがさを
      だれがしってるの
      だれが

          谷川雁 「十四歳」
  
      

農耕民族の引っ越し 3

2010-12-09 11:07:06 | 雑記

     まだ引っ越し噺が続いているの?といわれそうだが、
     気持ちを吐露しないと先に進めない感じなので、
     ご勘弁願いたい。

     引っ越しに大変なのは(私の場合)、さあ新しい
     ところに引っ越すんだァという勢い。
     勢いがないと、それにまつわる雑多な作業なんて
     やってられない。
     先ず、業者(不動産屋、引っ越し業者等々)との
     打ち合わせ。
     でもこれは何回か会って詰めていけば(流れに
     乗れば)何とかなる。ただこの場合も、あくまで
     も自分のペースで、決して妥協しない方がいい。

     なにより大変なのは家の中の片づけ。
     荷物の整理も「ラクラク引っ越し」といって、
     梱包を引っ越し業者にまかせる方法もあるが、
     私の場合、それができなかった。
     ほとんど捨てるものだからである。
     要る、要らないの選択は自分しか分からないか
     らだ。
     
     そこで必要なのは線引き。
     これから先、何年生きるかで多少違ってくるが、
     むしろ過去の荷物をどこで切るかが難しかった。
     結局、8~9割方は整理したのだが、それも途中
     で思いなおし、何回か調整する必要に迫られた。
     毎日毎日、廃棄物(つまり捨てるゴミ)との
     たたかいであった。
     焼却物、リサイクル品だけとは限らず、物に
     よっては友人に引きとってもらったり、また
     消火器などは直接、関連業者のところまで
     もっていかなければならない。
     
     いやあ、家の中にはどんだけ物が詰まっているか、
     ほぼ40年間の生活の垢が浮きぼりされた感じ
     でした。
     当日は4tトラックが2台。1つは新居に運ぶもの、
     もう1つは処分用のトラックで、笑ってしまった。
     (1人で処分できない大型の家具・電気機器など)

     写真はめでたくえらばれて新居まで運ばれた
     観葉植物たち。

農耕民族の引っ越し 2

2010-12-05 11:21:39 | 雑記
     ついでといってはナニですが、ちょっとつけ
     加えておきたい。
     地鎮祭はとこしずめのまつり。
     つまり、その土地の神(氏神)をまつり、土地
     を利用させてもらうことの許しを得る、そんな
     意味合いがあるのだという。

     そういえば私が育った生家には、氏神さまがあ
     って、節季ごとの節目にはお餅やお神酒をあげ
     ていた。
     家の裏の高台にある氏神さまからは屋敷全体が
     見渡せる。子供心にも神聖な場所に思えて、
     ちょっと悪戯をするのにもはばかられるような
     気がした。
     それからそれから、新築や屋根のふき替えには、
     お餅やお菓子を大量にまいて楽しかったですね
     え、子供の頃は。近所にそんなのがあると
     お祭りみたいだった。
     (大人の苦労も知らずに)     

     長じてそんなこと一切が煩わしくなり、何も
     かも端折って生きてきた結果が現在の私。
     今頃になって地鎮祭に出くわすとは思わなかった。
     もっとも建築メーカーの指示に従ってこちらは
     初穂料(御祝儀)を包むだけ。
     (形式の大小は業者によって違うらしい)

     祭壇には笹竹やら野菜・果物などを飾り、お神酒
     が5本もあった。
     (写真はほんの一部)
     その後、上棟式でもお神酒が増え、計7本。
     それをどうしたかって?
     取材の先々で配り(みなさん喜んでもらってくれ
     ました)、ご近所にも差し上げ、あとは調味料と
     あいなりました。
     (家の者は日本酒は飲まないため)
     まだ1本残っています、お正月のお屠蘇にするため。
     

     

     
      
     

農耕民族の引っ越し 1 

2010-12-02 21:51:19 | 雑記
     引っ越しにともなう混乱を2回ほどぐたぐた
     書いたが、その原因は分かっていた。
     私は根っからの農耕民族だということに。
  
     農耕民族はそこに住みついて米などをつくる
     定住型民族のことをいう。
     どうあろうと一度住みついた土地を離れるなん
     てこと、金輪際考えない。
     家の周囲の土を耕し、米や野菜をつくって細々
     と暮らしているからだ。

     実際には私は庭の土いじりもろくにしなかった
     が、心情的にはずっとそれに近いものがある。
     だから引っ越しはつらかったァ。
     片づけがイヤだとか、引っ越しにまつわる煩瑣
     なことが面倒だとか、
     (それも充分あるけれど)
     そんなことをいう前に、移動そのものが受け
     入れ難いのだ。

     それに引きかえ、娘たちは遊牧民族だから、
     どっちかというと引っ越し大好き人間。
     移動も苦にならず、愉しんでやっている感じ
     なのである。

     そもそも今年の正月明け、土地探しからはじ
     まって、ハウスメーカーとの4ヵ月もにわた
     る打ち合わせ。
     これがきつかった。細かいことを1つ1つ詰めて
     いくのだが、それが簡単にいかない。
     パンフレットをみて、時には実物を見せてもら
     ってああでもない、こうでもないとシュミレー
     ションをして……週末は全部それに使い、しか
     も毎回帰りは夜になるという長丁場。

     しまいにはどうでもいいと思うようになったが、
     こういう人間に限って出来上がったら文句を
     いうのだろう、きっと。
     よほど好きでないと、またはエネルギーがない
     と家造りなんてできないなァというのが実感
     である。

     写真は地鎮祭の模様。
     「猿田彦神社」云々とあって、蒸し暑いさなか
     (6月の梅雨入り前)神主さんが衣裳を着て
     (おそらく夏冬兼用の)汗だくだった。
     こちらはやれやれ、やっとここまできたという感
     じだが、まだ予断を許さない放心状態であった。