一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

人生に正解はない

2017-08-27 08:06:00 | 雑記


       新聞の「人生相談」をみていると、
       いろいろな人生があるものだなあ、とつくづく思う。

       先日はこんなのがあった。
       「主人が好きではありません」

       ドキッとするようなタイトルである。

       相談者は40歳の女性。

       かいつまんで話すと、
       「結婚して10年。2人の子にも恵まれたが夫のこと
        が好きになれない。
        時折、モラハラのような扱いも受ける。
        このままモラハラに耐えながら、臭い靴下を一生、
        洗い続けるかと思うと死にたくなる」
       というものだった。

       回答者は作家の高橋源一郎氏。
 
       結論からいうと、この問題に正解はない、ということ。

       「少々のことは我慢して一生、添いとげるべきだ」
       という回答も、
       「好きではない人間と共に生きていく義務はないのだ
        から別れるべきだ」
       という回答も、
       どちらが正しいということはできない。

       キルケゴールもいっているではないか。
       「結婚したまえ、君は後悔するだろう。
        結婚はやめなさい。
        それでも君はやはり後悔するだろう」

       これからしても、
       「人生に正解はない」
       ということが分かる。

       それでも、
       我々は選択をしなければならない時がくる。
       その時、どんな基準で選択をすればいいのか。

       高橋氏は、
       「人生の終わりに臨んで振り返った時、
        後悔しない選択はなにか」
       と考えることにしている、という。

       何十年間の後、
       後悔しないと思える選択は何ですか?

       それに答えられるのは、実は相談者のあなた
       なのです、と。

       私は、氏のみごとな回答にう~んとうなる
       と同時に、
       そうだ、相談者は実は、答えは自分の胸の内に
       持っていて、ちょっと背中を押して欲しいだけ
       なのだ、
       と思う。

  
       ※ 懲りもせず、家人がメダカを飼いはじめた。
         子メダカは水草に隠れていて写真では見えないが。
       
       

       

習慣は第二の性格か

2017-08-25 14:17:27 | 雑記



       きびしい残暑が続いている。

       これ残暑? 本暑じゃないの?
       といいたくなるほどの暑さ。

       ミンミンゼミとアブラゼミの蝉しぐれのなか、
       やや遠慮がちな”ツクツクボ~シ”のひと鳴き。

        「鳴きやめて祈るかたちに法師蝉」
                     鷹羽狩行

       法師蝉が鳴くと、
       ああ、夏も終わりだなあとホッとするが
       その法師蝉も”ミ~ンミ~ン”に圧(お)されて
       いま一つ迫力がない。

       夏に弱い私は毎年、
       この猛暑をあと何回経て死ぬことやら、
       と嘆息する。
       (ナニ、冬になれば、この厳冬を……と思うのだから
        いいかげんなものだが)

       この暑さのなか、出かけるとなれば、
       それなりに日焼け対策をして、気合をいれなければ
       とても出かけられない。
       
       川柳に
        「『美しい』鏡を見つめ言いきかす」
                  (作者)てぬきうどんの女
       というのがあったが、
       ファンデーションを塗るのも、すっぴんではとても
       見られないからだ。

       アメリカ式に家では短パンでも、
       (アメリカは老いも若きも、男も女も夏は短パン)
       外出となれば、ズボンくらい履きかえる。

       ……となると、もし、私が外出することもなく、
       人に会うこともなくなったら、
       もっとひどいことになっているだろう、
       と思うとゾッとする。        

       
       「習慣は第二の性格だ」
       といわれるように、
       面倒でも繰り返すことによって、
       習慣がつき、それが性格形成にもつながってくる
       のかもしれない、  
       と思うと、それまた恐ろしいことだが。

       あ~あ、それにしても一筋の涼風が待ち遠しい。

       
       ※ 地元の夏祭りのおみこし
       

       
    
       

屋久島 超巨大杉

2017-08-20 09:08:51 | 自然



        屋久島に行ったのは十数年前になろうか。

        鹿児島の南方、60㌔の海上に位置する島である。

        淡路島より小さいながら
        島のほとんどが山地であり、
        1000㍍から1900㍍級の山々がつらなる。

        つまり気候は熱帯の島ながら、
        日本列島をタテにしたほどの変動があるということ
        である。

        雨は、
        屋久島では一ヶ月に35日降るといわれるほど。
        その熱帯の気温と多量の雨が数々の大杉を育てた。

        ちょうど私が訪れたときは台風による悪天候で、
        遭難者が出た後だった。

        だから真っ先に、
        安易な登山はしないこと、
        単独行動もしない、
        登山の技術のない人は高い山は目指さない、
        などのレクチャーを受けた。

        弥生杉や夫婦杉、ウィルソン株周辺は素人でも行けるが、
        縄文杉はテントをもっての山停泊、
        高度な登山技術と知識、経験がなければ無理なのである。
        

        それゆえに屋久島への思いはつよく、
        折あるごとに雑誌や報道番組などをみていたのだ。

        
        折りも折り、先日、NHKで「屋久島 ”伝説の超巨大杉”」
        が放映され、食い入るようにみつめた。

        あるプロジェクトチームが
        最新の航空調査をして、上空から屋久島をスキャンし、
        縄文杉を超える巨大杉の操作をしたのである。

        これまでに人が入ったことのない山に登り、谷を下り、
        滝をロープを使って渡り、はだかる岩や大石をものともせず、
        けもの道を分け入る。

        谷は地図には載っていないので「天空谷」と名づけた。

        いくつかの大杉を経た後、
        とうとう、夢にまでみた巨大杉が見つかった。

        幹回り 12、13㍍ (縄文杉は16㍍)
        樹高  45㍍ (これは屋久島でいちばん高い)
        (樹の高さはドローンで測定)

        「天空谷」にちなんで「天空杉」と命名した。

        それは前人未到の地に、
        人を寄せつけない、気高さと、
        風や雨や雪をすべて受け入れてきた、強さをもち、
        誇りたかく立っていた。
     
        これこそ、
        縄文杉とならぶ、否、超える巨大杉であった。

        だが、しかし、
        私は最後のことばがつよく印象に残った。

        「私たちは、その位置を明らかにしないことにした。
         なぜなら、登山道から外れてけわしい道なき道を
         行けば、遭難や事故につながるから」


        ※ 屋久島の山中をおおう深いコケ
          巨大杉は見れなくても、このコケを見るだけで
          感動する。
        
        


        
        
        

        
        

雨後のきのこ パート2

2017-08-19 08:11:04 | 自然


        いつだったか(2~3年前)、
        「雨後のきのこ パート1」をこのブログに
        UPしたが、
        今度はパート2である。

        長雨がつづいている中、早朝のウォーキングの際、
        森で見つけた白くて大きなきのこ。
        雑木林の傾斜地にニョキニョキ生えている。
        何というきのこだろう、以前見たのとは違う種である。

        それにしても長雨がつづいた。
        8月18日現在で18日連続の雨。
        
        この大雨で被害をうけた地域も少なくなく、
        まだ復旧作業が充分でない報道をみるにつけ、
        みなさんの無事を祈るのみです。
        お見舞いを申しあげると同時に、
        一日もはやく安寧の日が訪れることを祈ります。

        夏の長雨、
        関東地方では、8月のかぎりでいえば、
        1977年の22日連続に次ぐ40年ぶりの長雨だという。

        ぜいたくをいったらきりがないが、
        この雨は日常生活にも影響をよよぼしている。

        太陽が照らない分、
        気温がいくらか低くていいかと思いきや、
        湿度が高いから、ジメジメして洗濯物も乾かず、
        不快さもマックスである。

        困るのは雨と日照不足とで野菜や果物の高騰だ。
        すでにお盆をはさんでレタスやキャベツ、小松菜と
        いった葉物が2~3割値上げし、
        果物は店頭に並んではいるものの、
        思わず手を引っ込めるほどのプライス。
        
        庶民の食卓も青息吐息だが、
        農家の方々のご苦労も分かる。

        さらにTVのニュースでみたが、
        この長雨で海の家、プールは閑古鳥で、
        かき氷もさっぱりだという。

        そのかわり、
        日焼けサロン、コンビニのおでんは超人気だそうな。

        
        
        
        

        
        
        

十歳の夏まで戦争だった

2017-08-12 08:39:33 | 読書



        わが故郷である
        福島県南相馬市原町区在住の詩人・若松丈太郎さん
        から新刊の詩集が贈られてきた。

        『十歳の夏まで戦争だった』
                若松丈太郎著 
                コールサック社

        丈太郎さん(あえてこう呼ばせていただく)とは
        数年前、あることの取材でお目にかかった。

        そのときに我が母校の高校の国語教師だったこと
        を知った。
        (私が卒業後に赴任されたので直接教わることは
         なかったが)
        そこを最後に定年退職された。

        東日本大震災後も丈太郎さんは原町(はらまち)に
        住みつづけ、折につけエッセージを発信してきた。

        昨年の6月には、
        NHK Eテレ「こころの時代」で
        若松丈太郎 & アーサービナード氏の対談
        「ひとのあかし」が放映された。

        アメリカ生まれの詩人であるビナード氏が
        若松家を訪れての対談だった。

        そのとき丈太郎さんは、
        ちょうど十歳のときを回想され、
        国語の教科書のスミ塗りをさせられたのが
        原点だと語っておられた。

        情勢が変わり、都合悪くなったらケロッと変える、
        そういう人にはなりたくない、
        と子どもながらに思ったのだという。

        それは『十歳の夏まで戦争だった』にも載っている。

        「(前略)
         --墨を塗りましょう
         --墨を塗りましょう
         (中略)
         教科書の墨塗りは敗戦よりもおおきな衝撃を
         わたしに与えた
         なにによってわたしは衝撃を受けたか
         教科書に墨を塗るという行為そのものの
         異常性は言うまでもない
         それ以上にわたしなりの結論では
         戦中にその教科書でわたしたちを指導した
         同じ教師が
         ここに墨を塗れ
         このページは切り取れ
         と指示したことにより強烈な衝撃を受けた
         のだった
         (中略)

         身震いしてふとわれに返るとベッドのうえだ
         十歳からいっきに八十二歳になっている
         (後略)」


         そう、
         丈太郎さんは現在82歳、現役の詩人である。
         
        

        

旅は人生に似ている

2017-08-11 08:18:11 | 読書



       TVのニュースはお盆の帰省ラッシュや、
       海外雄飛組みの成田空港の様子などを映している。

       みんな元気だなあ。
       かつては私もあの一員だった。
       などと思いながら、映像に目をやる。

       いまはこの暑い中、遠出などしたくない。
       できればクーラーのきいた部屋で本を読んでいたい。

       そんな思いで読んだ
       『深夜特急』(沢木耕太郎著) 全7巻
       第1便 香港、マカオ
        2便 マレー半島、シンガポール
        3便 インド、ネパール
        4便 シルクロード
        5便 トルコ、ギリシャ
        6便 南ヨーロッパ、ロンドン
       最終便 旅する力
      

       それは、実際に旅に出る以上のものを与えてくれた。

       
       これは沢木耕太郎が1996~98年にかけて、
       およそ1年2ヶ月にわたる紀行文である。
       
       そのとき 沢木26歳。
       「人のためにもならず……およそ酔狂なやつでなくて
       はしそうにないことを、やりたかったのだ」
       という。

       ヒッピーにちかい極貧の貧乏旅行。
       ホテル代をけちって寝袋で野宿したり、一杯のチャイ
       (紅茶)で1日を過ごすこともあった。 
 
       それでいて、
       安宿で同室となったヨーロッパの青年が熱を出して
       寝込んだとき、1キロのブドウを買って枕元に置いた
       こともある。
       (その青年は最初は食糧をめぐまれたことをかたくな
        に拒否していたが、やがて回復して敬意をあらわす
        ようになった。
        しかし、一緒に旅したいという青年を振りはらって
        沢木は一人ホテルを後にする) 

       まさに人情、涙、笑いあり、その中には貧困、薬、売春
       人種差別……といった世界のかかえる問題あり。
       
       沢木の乾いた文章でつづられる本書は、
       よけいな感情の記述がなく、
       淡々と語られている。
       それだけにかえって、その土地の空気や湿気、臭いまで
       も感じさせてくれるのである。

       そして、沢木はこういう。
       「旅は人生に似ている。
        以前私がそんな言葉を眼にしたら、書いた人物を軽蔑
        しただろう。
        少なくとも、これまでの私だったら、旅を人生になぞ
        らえるような物言いには滑稽さしか感じなかったはずだ。
        しかし、いま、私もまた、
        旅は人生に似ているという気がしはじめている。
        たぶん、本当は旅は人生に似ているのだ。
        どちらも何かを失うことなしに前に進むことはできない
        ……」

       
       百聞は一見にしかず。
       というけれど、
       一気に読んだ私にとって沢木の本は、
       一読は百聞にも一見にもまさる、のである。
              
 

       
       

蝉の声

2017-08-06 09:02:47 | 自然



        盛夏。

        蝉の鳴き声が暑さをいっそうあおる。

        主体はまだアブラゼミ、ミンミンゼミだが、
        ここ何年か、シュワシュワシュワといったクマゼミに
        似た蝉の鳴き声がさかんに聞こえるようになった。
 
        最初にクマゼミを聞いたのは熊本であったが、
        年々、北上しているのだろうか。


        夕刻、窓をあけて涼んでいると、
        遠くの森、近くの森からカナカナカナ……と
        ヒグラシの声が輪唱のように聞こえる。

        それはまるで、僧侶の読経のようだ。

        そういえば、お盆も近い。
        ヒグラシの鳴き声が読経のように聞こえるのは
        日頃、これといって先祖供養もしない私の心に
        いたく染みわたる。


        お寺さんから送られてきた四季の便りに
        こんなのがあった。

        「蟪〇(けいこ)春秋を識らず」

        蟪〇(けいこ)とは蝉のこと。
        「けいこ」の「こ」は虫へんに「古」と書くのだが、
        漢字では出ない。

        つまり、
        「蝉は春秋を知らない」ということ。

        たしかに夏に生まれ夏に死んでいく蝉は他の季節
        (春、秋、冬)を知りません。
        それどころか、生きている今が夏だと云うことも
        知りようがないのです。
        今が夏だと分かるのは、他の季節を知って初めて
        分かること。

        ならば人間はーー

        仏教では、
        私たち人間は「迷いの世界」にいると教えています。

        そして、今いる私たちは、この迷いが永遠に続いて
        終わらないような気がします。

        これは夏だけしか知らない蝉と同じではないでしょうか。

        この迷いを抜けるとき、
        それこそ「悟りの世界」らしいのです。

        私のような凡俗にはそれは生涯、訪れてこないような
        気がしますが……。

        (これは多少曲解したもので、私の勝手な解釈です)

        
         ※ 近くの公園には蝉の抜け殻がいっぱい
        

外来種

2017-08-05 08:14:09 | 雑記


      近頃、おそれられているのはヒアリ。
      強い毒をもち、刺されると命にもかかわる。
      このヒアリの発見がどんどん広がっている
      というから恐怖である。
      
      もともと南米原産のヒアリは海外からの輸入物質
      にまぎれ込んでやってきたらしい。

      ひところ話題になった噛みつきガメや珍魚など、
      外来種が急速に繁殖して、日本の生き物の生態系
      をこわしている。
      日本ではそれら外来種の天敵がいないので、
      やつらは従来のコイやフナなどを喰いつくして
      増える一方なのだそうだ。

      ところが、所変われば外来種も変わる。

      今の季節、野山を歩くと、クズがいたるところに
      はびこっている。
      秋の七草の一種で、根がくず粉や漢方薬として
      万葉集の時代から使われてきた。
      
      このクズがアメリカでは最悪の害草の一つなのだ
      という。
      英語名もクズ(Kudzu)。

      アメリカに導入されたのは19世紀後半。
      土壌の流出防止などのために植えられた。
      当初は「奇跡のツル植物」としてもてはやされた
      が、現在は繁殖力が旺盛で、在来の植物をおびやか  
      す侵略者だと位置づけられているというから、
      驚く。

      たしかに、クズのあの、あずき色の花はきれいで、
      私は大好きなのだが、
      あれが庭に入ってきて、庭全体をおおってしまったら、
      ヒチコックの「鳥」なみに怖い。

      なぜ、そうなるのか。

      もともと原産地の生態系ではさまざまな生物が一緒に
      進化してきたので、天敵も競争相手もいる。
      どれも独り勝ちできない。
      ところが、ある生物が別の生態系に侵入すると、
      競争相手もなく、独り勝ちするのだという。

      先日、TVでやっていたが、
      印旛沼や東京の西の方の池を席巻する、噛みつきカメ
      などはいい例だろう。

      つまり、
      天敵も競争相手もいる環境がバランスがとれて、
      好ましいということか。

      実は、新聞の情報によると、
      外来種と在来種の線引きも難しいらしい。

      童謡にも歌われるスズメは、
      稲作の伝来とともに大陸から日本列島に渡ってきた。
  
      モンシロチョウは奈良時代、菜の花が日本に普及した
      ときに、一緒にやってきた。

      いまや、スズメもモンシロチョウも我々の生活にとけ
      こんで、外来種だという人はいない。

      現代のように、居ながらにして外国の物が手に入る時代
      には外来種の問題も特別なことではなく、
      日常的なものになるということか。

      人間も世界中を飛びまわる時代である。
      そもそも「人類」こそが外来種だといえるかもしれない。


      ※ 朝のウォーキングの際、見かけるクズの花