一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

自炊

2014-02-26 15:58:36 | 雑記
 

      不可解なことが起きている。
      都内の公立図書館で『アンネの日記』
      および関連図書300冊以上が切り取ら
      れた事件である。
      誰が、何のために……?
 
      考えれば考えるほど不可解な事件で、
      再発防止のためにも真相を知るべきだし、
      知りたいとも思う。

      ところでずっと気になっていたこと、
      「自炊」の問題。

      自炊というと学生などが間借り生活を
      して食事は自分で作ること。
      と思うのはよほど古い人間であろう。
      (私もかつては自炊生活者であった)

      現代では書籍の電子化のことをいう。
      データを「自ら吸い込む」ことから
      「自炊」と呼ばれるようになったらしい。

      そして業者に書籍のデータ化作業を依頼
      することを「スキャン代行」(自炊代行)
      ということも今回はじめて知った。

      現段階では自分で利用するためにデジタル
      化(自炊)するのは問題ないらしいが、
      「スキャン代行ビジネス」については
      著作権の関連で法的措置になるケースが
      少なくない。
      現にいくつか著作権侵害だとして、
      訴訟問題にまで発展している。 
      

      一方で、時代が時代である。
      このままいけばますます若者の本離れ、
      読書離れが進むであろう。
      手をこまねいているばかりでは能がない。
      時代のニーズにあった、何らかの方法を
      考えなければならないかな、とも思う。
      

      一部の著作者団体はすでに、
      自炊代行を認めるかわりに、
      著作権使用料を決めるルール作りに
       向けて協議会を設立したというから、
      これから状況は変わっていくのかも
      しれない。

      まだまだ紙の本で活字を追いたい自分
      がいる一方で、
      タブレット一枚あれば何百冊も読める
      といわれると
      (想像はつかないが)
      複雑な気持になる。
   
      

見巧者

2014-02-22 20:34:14 | 雑記


      ソチ冬季五輪も23日(日本時間24日
      未明)で閉幕する。

      15歳から41歳まで多才なメダリスト
      が誕生した一方、多くの「敗者」も生ま
      れた。
      否、敗者の方が圧倒的に多いのだ。

      私はオリンピックに関して見巧者(みご
      うしゃ)ではない。
      つまり良き理解者でもなければ視聴者で
      もないということ。

      夜、TV中継に関係なくさっさと寝てし
      まうし、特定の選手を応援することも
      なし。
      翌朝、新聞などで結果を知って、ああ、
      そうだったのかと思い、たまたま点けた
      TVのニュースでやっていれば、一瞬
      手を休めて見入るくらいなものである。

      しかし、それでも選手の人間業とは思え
      ぬ究極の技の競い合いには、緊張して
      見守るし、ほうとため息が出る。

      彼ら(彼女たち)は幼いころから過酷な
      練習を続け、精神も高めてきたのだろう。

      「諦めなければ夢はかなう」
      そう信じて、ひたむきに歩み続けた年月。

      しかし、
      「いくら努力しても叶わないこともある」
      のが現実なのだ。

      そういう意味で私は勝者よりも敗者から
      学ぶことの方が多い。

      最も新しいところでは女子フィギュア
      スケートの浅田真央選手である。
      2日間で味わった天国と地獄。

      「どのようにして1日で気持を切り替え
       ましたか」
      のインタヴューに対して、こう答えた。
      「(4年間の苦労を思って)私はできる。
       目の前の課題を一つひとつやっていこ
       うと……」

      そして見事、立ち直って自己ベストを
      出した。
      この言葉は金メダルより光り輝いている。
      この日の女子フィギュアのフリーは
      末永く語りつがれるにちがいない。

      会場となったソチが終わり近くになって
      ぐんと近くなった。

      
      
      

      

      

マヒ

2014-02-20 18:10:22 | Weblog


     マヒとは何かの原因で働きが鈍ったり、
     停止すること。

     「雪で交通マヒ」と連動するかのように
     わが家もちょっとしたマヒ(麻痺)状態に。
     

     先週末から幼稚園児がインフルエンザA
     型と診断され、5日間の自宅待機をいい
     わたされたのだ。
     つまり登園禁止(笑)のこと。

     あいにくシッターさんが雪やら他の事情
     で来れなくなり、その間のシッター役は
     私がやる羽目に。

     幸い、子どもは予防注射(2回)を受け
     ていたので熱は37℃台で済んだ。
     (それも1日だけ)
     その分、元気で食欲もあるから1日3度
     の食事だけでもいやはや、
     1日が長~いこと。

     それに私は今冬、インフルエンザの予防
     注射を受けていなかった。

     
     この予防注射のことでいえば、接種する
     ときに体調が良くないと受けられない。

     年寄りと子どもは必ず予防注射を!
     というが、
     大体、(大げさにいえば)年中風邪を
     ひいている私はなかなかそのタイミング
     がはかれないのである。

     予防注射は元気でないとできない!!

     これは私のつぶやきなのだ。


     そして今日からシッターさんが来てくれ
     て、私も業務開始。
     とはいっても郵便局に振り込みに行ったり、
     図書館に本を返したり、買物を済ませたり
     (スーパーのパンコーナーはまだガラガラ
     状態。売り切れたのか品物が入らないのか)

     私の頭もまだ回転せず、こんなつまらない
     内容になってしまった。

     インフルエンザ・ウィルスは1~4日くら
     いの潜伏期間というが、
     今のところ、うつった気配はない。
     もしかしたら年中風邪菌におかされている
     私の身体にはインフルエンザ・ウィルスは
     寄りつかないのかもしれない。

     
     ともあれ、みなさまもご用心を。


     ※病院からもらってきた「予防チラシ」
     

     

     

もうひとつの雪

2014-02-15 19:55:39 | 季節



       もうひとつの「雪」があるのを思い出した。
       金子みすゞの
       「つもった雪」である。


        上の雪
        さむかろな
        つめたい月がさしていて

        下の雪
        重かろな
        何百人ものせていて

        中の雪
        さみしかろな
        空も地面(じべた)もみえない


       この感性、やさしさ、素直さ。
       平易なことばでの表現。
       できるようでなかなか出来るものではない。

       みすゞは今から90年以上前の明治36年
       (1903)、山口県に生まれた。
       20歳の頃から詩をつくり、「婦人倶楽部」
       「婦人画報」「金の星」などに掲載された。

       西条八十から「若き童謡詩人の中の巨星」
       と賞賛されたが、26歳の若さでこの世を
       去った。

       ああ、天才は夭折である。

       そのため、作品が散逸。
       詩人・矢崎節夫氏の尽力で発掘され、
       日の目をみたのは
       没後50年経ってからである。

       
       「大漁」「私と小鳥と鈴と」など、
       馴染みの詩が多い。





またも雪

2014-02-15 15:36:47 | Weblog



      またも雪になってしまった。
      週末が2週続きで、しかも前回より3倍
      もの雪が屋根にも車にもこんもりと降り
      積もっている。

      三好達治の「雪」を思い出した。

        太郎を眠らせ
           太郎の屋根に雪ふりつむ
        次郎を眠らせ
           次郎の屋根に雪ふりつむ


      たった2行の詩。
      (スペースの都合上、行替えしたが)
      
      雪がしんしんと降る山村の風景がうつる。
      それ以上の言葉はいらない。
      理屈も解説も必要ない。

      
      太郎と次郎は兄弟なのか……
      それとも別々の家の子どもたちなのか……
      この光景は村落なのか、町なのか……
      等々。

      ゆめゆめ、太郎や次郎を眠らせたのは
      お母さんかお姉さんであって、そうやって
      眠りに入った太郎や次郎の屋根に雪がしん
      しんと降って……
      といった解説に走らないで下さいと願い
      たいが、そういったら「学校の教育」には
      ならないのだろう。

      折しも受験シーズンである。
      (今朝のニュースでも慶応大と早稲田の
      法学部の受験を3時間遅らせたとあった)

      
      小説や詩の観賞はどう転ぼうと、どう飛
      躍しようと自由なのである。
      
      そんなことを思いながら、昼ごろ雪かき
      をした。
      家人が出張などで出はらっているので、
      玄関先だけでもと思い。

      ところが1時間半でギブアップ。
      余りの雪の多さに、スコップですくって
      みたものの、どこに放り投げればいいの
      か分からない。

      結局、玄関から庭先のアプローチは手つか
      ず仕舞い、駐車場の周り
      (しかも自分の車のところだけ)
      ちょこちょこと掻いて、お終いにしてしま
      った。

      娘から釘をさされていたのだ。
      「この雪では転んで骨折しても救急車も
       来れないからね」
      
      
      夕刻になったが、家の前を走るミニバス
      (小まわり君という)
      も来ない。
      今日の朝刊もまだ届かない。


      ※ 写真は斜め向かいのお宅の屋根      
      
      
      

      
      

竹取物語

2014-02-08 20:35:11 | 読書


     ※ 大雪のせいか夜になって
     停電しばし。
     消えては点き、消えては点きを3度
     ほど繰り返している。
     これはその合間をぬって書いている
     ブログである。
     まだ降雪の最中であり、月など拝み
     ようもないが、雪灯りでぼおっと
     していると、幻想的な想いにもとら
     われる。


     1月23日にUPした「かぐや姫の
     物語」、どうもアニメ映画だけでは
     片手落ちの気がしてならないので、
     原作にもちょっと触れておきたい。

     
     『竹取物語』は云うまでもなく、
    「今は昔、竹取の翁というふ者ありけり。
     野山にまじりて竹をとりつつ……」
     という美しい文章ではじまる。

     日本最古の物語文学であり、『源氏物語』
     などにも出てくることから平安初期には
     出来ていたとされる。

     作者は不明ながら、
     貴族の生活にくわしい上流階級に属し、
     漢字、仏教、民間伝承などにも精通した
     男性。
     しかし、物語に反体制要素が認められる
     ところから、当時権力を握っていた藤原
     氏とは相対する人物で、仮名文字をつか
     い、和歌の素養もある人とされる。

     なぜ、こんなことをいうかというと、
     先日、矢川澄子さんの「両界に生きた少女」
     を読んだからである。


     矢川さんは清少納言や紫式部にも勝るとも
     劣らぬ女性の作者が、奥の書院でひっそり
     と物語を書き綴っていたかもしれない、
     といっている。

     作者は何かの理由で人前に出たがらない。
     貴種にはちがいないのだが、
     心に人には云えない傷を負うているかも
     しれずーー
     それだけに超俗の彼岸にでも想いを馳せる
     しかなかったとした方が、
     物語の成立譚としてはふさわしいといって
     いるのだ。

     なぜなら、

     天人と地球人との間に立って微妙に心揺れ
     動きながら、さいごまで両界のことばの
     通訳をつとめようとする姫のいたいけな
     姿勢には、
     ある種の女性に特有の悲願をかいま見る
     ような気がするからだ、と。

     この矢川さんの発想はおもしろい。
     

      「大空の月の中より君来しや
          ひるも光りぬ夜も光りぬ」
                   与謝野晶子

     
     月どころか火星にまで行こうとする時代
     だが、科学をとっぱらって、昔の物語を
     思い、(雪がとけたら)
     昼も夜も月をながめてみたい。

        
     

     
     

白皚々たる

2014-02-08 15:06:09 | Weblog


     昨夜から降りはじめた雪は午後になって
     もやみそうにない。
     それどころか窓から見えるのはこんもり
     とした雪景色で、さらに昼ごろから風が
     強くなって猛吹雪の様相を呈している。
     ときおり真向かいの家の屋根から吹き
     上げる雪煙は、たけり狂う白竜のようだ。

     こういうのを、「白皚々(はくがいがい)
     たる」というのだろう。

     「白がいがいたる」といえば一葉である。

     すでにこのブログで「雪の日」という題
     で2回ほどUPしているが、
     今日は少し視点を変えて。

    
     明治25年2月4日。
     前日に伺いたいと葉書を出した一葉は、
     「今日、いらっしゃい」という葉書が
     偶然にも届いて「何と気の合うことよ」
     とうれしくてたまらない。
     (その頃の郵便事情は思いのほか良い)

     一葉は雪の中を訪ねていく。
     桃水は隣家から鍋を借りてきてお汁粉を
     ごちそうしてくれる。  
     (桃水は甘党だった)

     話というのは今度創刊する雑誌のこと
     だったのだが、そのとき桃水は「片恋」
     という思わせぶりなテーマで火鉢をかこ
     んで文学論を語ったりする。

     雪は降りやまない。
     夕刻になって、「こんな雪だから泊って
     いきなさい」という桃水。「自分は別の
     ところにいくから」といって。

     一葉は「とんでもない」と強くかぶりを
     振って帰る。
     帰途、覆いかぶさるほどの雪の中を、
     人力車に乗りながら一葉の胸はほっかほか。

     「白がいがいたる雪中りんりんたる寒気を
     をかして帰る。中々におもしろし。
     九段あたり吹きかくる雪におもて向け難く
     頭巾の上に肩かけすっぽりかぶりておりふ
     し目ばかりさしだすもおかし。
     種々の感情胸にせまりて雪の日という小説
     一篇あまばやの腹稿なる」

     
     一葉は桃水との恋はみのらず24歳で亡く
     なった。

     それから16年後、
     一葉の日記が公開されると、当然、桃水へ
     の秘めたる恋心が明らかになる。
     桃水はいい切った。
     「女史の気持ちにはまったく気づきません
     でした。
     彼女とは何もありませんでした」

     桃水は文学の師として、さいごまで一葉の
     原稿を売れるものにしたいと、心を砕いて
     いた。
     そして、一葉死した後のこの態度。
     弟子であり、友としても彼女の名誉を守り
     抜いたのであろう。

     現在では桃水は「一葉の恋いこがれた人」
     として語られないのですが、人間として、
     男としてあっぱれです。

     で、本当に何もなかったかって?
     何かあってもおかしくない状況は何回も
     あった。
     私は、一葉の生涯に桃水と何かあっても
     よかったのではないか、と思う。

     
     ※ 写真は雪に凍えるナンテン     
     
   
     
     

     

2014-02-01 20:48:52 | 芸術


     時々風邪をひいたり、漢方でいく湘南鎌倉
     病院の廊下(通路)にはいくつかの絵が掛
     けられている。

    
     最初は通りすがりに(何しろ病院なので
     観賞する余裕はない)ちらっと見るだけ
     だったのだが、それにしても……
     普段病院やホテルなどで見る絵とは異色
     だなあ、と思っていた。

     よくよく見ると、若手の絵描きさんの絵
     で、いずれもそれなりの賞を獲った、
     いわゆるセミプロという人たちの作品
     なのである。

     以来、病院にいって長い待ち時間の間、
     作者のプロフィールをみながら、絵を
     眺めるのが楽しみになった。

     共通していえるのは、功成り名を遂げた
     画家とはちがって、軽みがあるというこ
     と。
     軽みとは、いい意味での洒脱さで、
     これは立派な画家の描いた絵には決して
     ないものなのだ。

     小心者の私は、大画伯の描いた絵を前
     にすると、どうも気持が委縮してしま
     って、うっかりどこがいいの?なんて
     とても云えなくなります。
     こっちのセンスが疑われるような気が
     してしまって……。

     その点、セミプロとはいえ新人の絵は
     らく~に楽しめます。
     いやあ、どれもこれもいいのです。

     なかでもピカ一は、
     藤山昇代さんという娘さんの犬の絵。
     タイトルは
     「犬(ともだち)」

     プロフィールの写真によると、藤山
     さんは肢体が不自由で、尚且つ、
     他にも障害を持つ女性だとか。
     しかし、単色の色づかいといい、犬の
     構図といい、いくら見ても飽きない。
     過去には(他の作品でも)数々の賞に
     輝いている。

     大胆でシンプル。
     タイトルもいいですね。

     
     
     ※ 写真は館内の照明のため、
     尻尾のところに光が入ってしまいました。
     鼻のところにあるのも「非常口」の照明
     が映ってしまったのです。
     何回撮っても上手くいきません。
     (実際の絵はもっと素敵です)