3・11を前にささやかなひな飾りを出して
写真におさめた。
それに、華やかさと重みを添えるのは備前焼
のコーヒーカップである。
これは昨年秋、取材でお世話になった(岡山県)
備前市役所の谷本さんから送られてきたものだ。
なんでも実のお姉さんのところが窯元で、
そこでつくられたものだとか。
実は、備前焼は今回、取材の対象ではなかった。
ところが谷本さんの案内で陶芸美術館(赤穂線・
伊部駅前)をみているうちに、備前焼の奥深さ
に取り込まれていた。
備前焼は千年の歴史があり、釉薬や絵付けなど
一切なく、窯に入れて焼くだけ。
素朴で深みのある独特の赤茶けた色はそれだった
のか。
茶器に利用されたのはもちろん、大きな甕(かめ)
は歴代の戦国武士が戦で籠城するときに使われた。
水や酒、みそ、ほかの食糧などを入れる必需品で、
それがあるとないとでは戦の勝敗にもかかわって
くるだろう。
それに目をつけたのが豊臣秀吉である。
備中高松城水攻めの際にはわざわざ寄って、伊部
(いんべ)の里陣地に関する制札を出している。
(伊部村陣執禁止)
秀吉は備前焼の保護策を出して、つまり独占しよう
としたのだ。
驚いたことに、秀吉は自分の棺桶にもこの大甕を
使っている。
谷本さんの話だと、人一倍権力意識のつよい秀吉
のこと、その大甕に永遠に滅びない生命力(魔力?)
といったものを願ったのではないか、ということ
だった。
(ちょっと表現は違うかもしれないけど)
その谷本さん、ここに文化人あり!という人なのです。
こちらの意図を的確にくみとって、
(これはもう1つの才能にちかい)
むしろ、それ以上の資料を提供してくれる。
後のフォローもしっかりして、かゆいところに手が
とどくほどのものだった。
この気配り、確かな対応はなかなかできるものではな
い。
さぞかし職場でも有能なスタッフであろうと想像でき
た。
さらに、コーヒーカップには、
「備前焼は有名な陶芸作家のつくる高価なものもある
が、これは生活雑器として、せいぜい使って下さい」
といったメッセージが添えられていた。
この「生活雑器」という表現に、地元でずっと備前焼
に親しんできた人の謙虚さと誇りがこめられている。
これで備前焼との距離が一気に狭まったことは確か
である。