あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道にある道しるべ⑪

2011-08-13 22:36:39 | 四国遍路あれこれ
 3月8日(火)正午過ぎ、県道240号を下って岩鍋池を過ぎ、67番大興寺(だいこうじ)が
近くなった、三差路にある古い遍路道標石。


 そばの電柱にも、現在の遍路標識が幾つも貼られていました。


 67番大興寺門前の標識。お地蔵さんの下にも、「へんろ道」の表示と手の形の矢印が刻
まれています。


 大興寺でのお参りと昼食を済ませ、観音寺市街の近くにある68番神恵院(じんねいん)と、
同じ境内にある69番観音寺に向かいます。大興寺の先の、ため池付近に立つ新しい標石。


 次の日、3月9日(水)は、観音寺市街の若松屋別館をスタートしました。70番本山寺(もと
やまじ)を経て、71番弥谷寺(いやだにじ)に向かいます。国道11号から平行する旧道に入り、
音田川を過ぎて、再び国道11号に近づいた辺りに立っていた、弥谷寺への標石。


 標高220mにある弥谷寺本道に参拝後、境内で昼食を済ませ、別格霊場18番海岸寺を
目指します。東に延びる稜線を進んで上がった天霧峠(280m)から、北に下る分岐にある
標柱。「白方へ」の方向が、海岸寺へ向かう下り道です。


 林間の遍路道を下って番外霊場虚空蔵寺(こくぞうじ)を経て、白方の集落へ。白方小の近
くにあった古い標石。 


 3月10日(木)、72番曼荼羅寺そばの門先屋旅館を出発して、75番善通寺に参拝しました。
善通寺市街を抜けて、JR土讃線の東に回って北に向かいます。高松自動車道の近くに立つ、
新しい「四国のみち」の石標。向こうに見えるのは、讃岐富士です。


 そばにある石標には、「右善通寺」と刻まれていました。


 善通寺内の76番金倉寺(こんぞうじ)と77番道隆寺(道隆寺)を巡り、道隆寺の背後で右折
して東に向かい、丸亀市を東に抜けて宇多津町(うたづちょう)に入りました。民家の角に残る、
78番郷照寺への標石。


 郷照寺へのお参りを済ませて、古い家並みを東へ。家並みの少なくなり大東川に近づいた
ところにある古い標石。左側は「すぐ金比羅道」、右側は「西丸亀道 東高松道」と刻まれて
います。


 JR予讃線の踏切を越えて県道33号を少し通過し、坂出市の市街地に入る手前で、瀬戸
中央自動車道の下を抜けて行きます。自動車道の手前の、新しい遍路道標識。高速道の向
こうは、公園の中を抜けました。


 3月11日(金)は、東日本大地震の発生した日。まだ発生前の朝、80番国分寺に参拝し、
背後の稜線に上がって県道を西に回って81番白峰寺に向かいます。県道から林間の遍路
道への下り口に立つ遍路石。左が県道を行く車遍路道、歩き遍路は右の小道を下り、自衛
隊の兵舎の後ろを回って白峰寺に往復します。


 81番白峰寺に参拝後、自衛隊の兵舎のところまで戻って、さらに稜線上の遍路道を東に
進みます。戻ったところの三差路に立つ標識。


 その中の一つ、1番左の古い標石。81番白峯寺、82番根香寺(ねごろじ)、80番国分寺
の方向を示しています。


 82番根香寺を経て、この日の最後は83番一宮寺(いちみやじ)に向かいました。高松
方面の展望の開けた車道から、ショートカットするへんろ道に下るところに立つ、へんろみち
保存協力会のへんろ札。  


 JR予讃線の鬼無(きなし)駅近くで、県道33号と予讃線の踏切を越えて、本津川の橋を
渡りました。その付近に立つていたもの。 


 その先で、香東川左岸河川敷に設けられた自転車道を進むのですが、その手前1㎞ほどの
ところにあった、地元ライオンズクラブで建てた新しい標識。


 83番一宮寺に参拝して、高松市の市街地にあるビジネスホテルに入り、テレビで東日本
大地震の発生を知り、大変驚いたのでした。  (続く)


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